はじめての競輪


0.はじめに
 この文は随分前に書いたものですが、どこにもアップすることなく埋もれていたものです。競輪のことを書いた文が少ないので、チリを払ってホコリを持って載せることにします。

1.道中

 生まれて初めて、競輪に行く。場所は和歌山競輪。西宮でも開催していたが、和歌山にした。記念開催で、メンバーが豪華だし、400バンクだからやや固め〜中波乱ぐらいのバラエティに富んだ配当が予想でき、レース自体もサンサンバンクより面白いという。一緒に行った競輪に詳しい友人によると、西宮競輪というところは、ヤクザが100万円を130万円に換えるところなのだそうだ。つまり、激固かさもなくば大荒れ。庶民が楽しめる競輪場ではないらしい。天下茶屋から南海電車に乗って、和歌山市駅まで。遠いなあ。南海本線の駅は泉州から紀州にかけて泉佐野、泉大津、箱作(はこつくり)、樽井、淡輪(たんのわ)などの子供の頃に行った釣りの名所が現われてとても懐かしい。なんだかんだで和歌山市駅着、競輪場がどのへんにあるのか事前の調査、知識なしで行ったが駅を降りたとたん「それらしき」人、つまり尼崎競艇場で1マーク側に住んでおられる方と同じ匂いのする人々がぞろぞろと同じ方向へ進んでゆくので、それをマークして細い線路沿いの道を歩き、3人が横に並べばいっぱいになるくらいの細い踏み切りを渡って競輪場へ流れ込んだ。旅打ちに行かれる皆さん。どこへ行くにしても、場への最寄の駅までは調べる必要がありますが、そこから先は調べる必要が全くありません。スラックス族について行けば、自ずとたどり着くことができます。さて、入り口近くの小さなスタンドで「競輪研究」を一部買い、いざ、出陣。

2.入場
 生まれて始めての競輪場踏破。雰囲気、尼の1マーク側と全く変わらず。ほんと、いろんなところに旅打ちに行ったけど、競技は変わっても、こういう種類のオヤジって、どこでもいるのよな。ひざの抜けたスラックス、よれよれのポロシャツ、かかとが削れた合皮革靴この三種の神器を身に纏い、ハゲてないのにハンチング帽、そしてタバコの銘柄は「いこい」。スポーツ紙は概ね「ニッカン」で、該当する公営競技の記事が載っているところだけをちぎって残し、あとは捨てる。筆記用具は水色のキャップをつけた赤鉛筆を愛用。勢いマークカードにこの赤鉛筆を使ってしまい、窓口のおばちゃんに怒られたりすることがある...なんと健全、なんと正しい博徒のスタイル。この美しく均整の取れたフォルムと行動には、「様式美」の雰囲気すら漂うようではないか。それと比べてゲート前に徹夜して並び、ゴール前の最前列に陣取ってGT勝利騎手コールをする大学生や大井のナイターに恋人同士で行ってロマンを語る奴らなどは言語道断。賭場の風紀を乱す不健全極まりない人間でお前らは道頓堀の橋の上から50メートルパンチだ。

3.場内
 さあ、生まれて初めての競輪、いくぜぇ!...買い漏らした。
 たまたま手にしたマークカードが「流し、ボックス」って書いてあって、並んでから塗ったもんだから要領がわからず、窓口で「ちゃんと塗ってもらわんとこまるわぁ」とか言われて突っ返され、なんと並び直さされた。あのときはしゃあないかと思ったけど今考えるとひどいよな。で、締め切り。生まれて初めての競輪がいきなり「見」とは...。でもま、競輪という競技を一度見学してから本チャンで車券購入してもいいのではないかと思い直し、バンクに向かう。バックストレッチで観戦。

♪ちゃらら〜ちゃちゃっちゃちゃ〜
ちゃらら〜ちゃちゃっちゃちゃ〜♪

テーマソングにのって選手が入場し、ホームストレッチまで来ると繋留機に自転車を載せ、ハンドルに手を乗せて構える。発進係(というのか?)がアポロンのような格好をしてピストルを構え、発砲。そろりそろりと各選手が様子を伺いながら繋留機を離れて自転車を操る。バラけていた各選手の動きがやがてひとつの線になる。印象は「静かな競技」である。競艇はあの強烈なモーター音の迫力がレースを盛り上げるが、競輪は道中、本当に静かである。注意すれば自分の前を通過するときに「シャー」っと言うタイヤとバンクが擦れる音を聞くことができるが、それ以外のときはなんの音もしない。聴こえるのは野次ばかりである。あのジャンだって、ひょっとしたら最終周回を知らせるものであると同時に、あまりにも静か過ぎて迫力が出ないから、レースを盛り上げるという意味もあって鳴らしているのかもしれない。はじめは各選手チンタラチンタラと流れの中で自転車を漕いでいるが、赤板(残り2周=800m)ジャン(残り1周半=600m)あたりになると力の入れようが断然違ってくる。動詞で表すと

漕ぐ→踏む→もがく

といった感じである。最終の4角(第四コーナー)まではチームプレーがものをいう団体競技。そこを立ち上がってゴールまでの直線が個人競技である。競艇のゴールは1艇ずつ順番にゴールインすることが多いので誰がどう見ても結果がすぐにわかるが、競輪はその全く逆で3、4車がほぼ同時にわーっとゴールするので、真正面でじっくり見てもだれがなん着なのかの判定が非常に難しい。見るところがゴールから1mも離れたら角度が変わって正しく判断できなくなる。だからレースが終わって、まずみんなが行くのはテレビである。「おいおいおい、いまの2が交わしたんちゃうんけ、どやねんな?」などとブツブツいいながらオヤジどもはテレビの前に集合。結果が出た後は「ケッ」と言ってその場を
去るか、そのまま反省会となる。

「ありゃ、ほうっ?ほうっ?おほほほほーっ、取った!ケケケケケケ!」


これはテレビを見ている友人の声、どうやらこのレースを取ったらしい。配当を見ると万車券だった。しかもスジ(=予想しやすい組合せなので低配当になることが多い)で、である。

「な?な?これが競輪の魅力やねん、1レース取ったらもうあとは遊べるやろ?競艇は配当が安いからこうはいかんもんな、2、3レース当てても負けになることがあるし」

言いたい放題である(ちなみにその当時はまだ3連単がなかった。後々こいつは3連単にはまり、こっちが競輪に誘っても「ボート行こうや〜」と言うようになる)。

4.購入と的中
 こんなものをいきなり見せつけられて射幸心をあおられまくった僕はこの日、8千円以上配当がつく車券しか買わなかった、というより買えなかった。もちろんそんな配当のレースがボコスカあるわけではなく(もし当たったら200万ぐらいになる車券とか買ったりした)、外れ街道まっしぐらで迎えた最終前、ようやく的中させることができたが、変な当たり方だった。ゴール前で

「ガッシャーン!」

という音とともに1台が落車した。友人によると、この、落車、というものは、とても痛々しく、シャレにならないので、見ていて本当に心が痛むものらしい。自分の買った選手がそうなっても、野次るとかそんな気にはとてもならないそうだ。僕はこの日、買い方として一番弱いラインのグリをずっと買っていたのだが、全然当たらなかったのは前述の通りで、このレースもゴールした時点では僕の車券は「ハズレ」だった。
ところが先の落車が、最初にゴールに到達した選手の責任によるものということでその選手が失格になり、着順が変わって確定され、めでたく的中に相成ったというわけ。

「失格になるっていうのは滅多にないから、今日はお前結構ツイてるで」

と言われ、調子に乗って最終レースドカーンと勝負に行ったがハズレ。でも二人とも勝って大満足で競輪場を後にした。

5.後書
 今思えばこれをきっかけにしばらく正月は競輪に行くのが恒例になっていたような気がする。はじめはポンポンと当てていたのだが、やはり控除率に逆らうことはできず、数行けば行くほど段々勝率は下がっていった。ただ、今でも保持しているのは

「記念以上の開催で負けたことがない」

というもので、この和歌山の記念と、向日町の記念、そしてふるダビ向日町と参戦したがこの3開催に関してだけいえば、負けていない。ま、一般開催で鼻血が出るほど負けているからどうにもならないが。
 この和歌山記念で覚えているのは十文字、東出、山口幸二。このあたりが出場していたということ。後節だったら吉岡がいたのに残念、と思った記憶がある。行った記念に新聞を実家に残しているはずなので、また入手できたらここへなにか追記できるかも知れません。


−了−


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