枚方市史に記載の粟倉神社
大字小倉字渚の岡 旧粟倉郷後の小倉村の氏神としては古くから有ったが、元和二年(1616年)新に八幡大神を勧請して社殿を造営し、八幡宮と称し、小倉及び渚村の産砂神と仰いだ。延宝九年(1680年)四月の社寺改に、
「小倉村氏神 除地、八幡宮、宮座七人之内、1人一年ずつ神主役相勤、当神主役 長左衛門」
とあって、もと当社には七人の宮座があったことが分る。元禄五年(1692年)の社寺改に次の如く記されている。
「一、除地 八幡宮社、 村中支配、境内 三十五間、四十間、 梁行 四尺五寸、 桁行 五尺、柿葺」
「是は往古より有来候、造立勧請知申不候、禰宜神主無御座候、除地と申傳御年貢は付不申候得共、御水帳には其訳無之候」
文政年間(1818~1825年)に之を拡張改築したが、其後小倉と渚の両村間に紛擾を起し、遂に渚村は当時当社の御旅所であった同地の観音寺(旧渚院址)の傍に八幡宮を勧請して独立した。<注:これが現在の御殿山神社に至っている> 爾来当社は小倉のみの氏神となり、明治五年(1872年)村社に列したが同四十二年(1909年)片埜神社に合併したのであった。
合併当時境内地の五百三十坪(官有地第一種)と、境外所有地田三筆合計壱反拾七歩、大字小倉字渚岡保安林五反八畝二歩の土地は片埜神社の維持財産となった。
(写真は片埜神社への合祀前の旧社殿)
用語集
産砂神 | (うぶすながみ) | 氏神と同義で、住む土地の鎮守の神のこと |
勧請 | (かんじょう) | 神仏の分霊を請じ迎えてまつること |
社寺改 | (しゃじあらため) | 社寺の調査 |
除地 | (じょち) | 江戸時代、租税を免除された土地 |
宮座 | (みやざ) | 部落の祭祀組織。特定の家に属する者、または氏子の一定年齢に達した男子によって構成され、順番に定められる頭屋が中心となって祭祀を行う。 |
三十五間 | (35けん) | 約64m |
四十間 | (40けん) | 約73m |
禰宜 | (ねぎ) | 神主の下、祝(はふり)の上に位する神職 |
紛擾 | (ふんじょう) | みだれもつれること。ごたごた。 |
御旅所 | (おたびしょ) | 神社の祭礼に、神輿が本宮から渡御して仮にとどまる所。みこしやど。 |
村社 | (そんしゃ) | 旧社格のひとつ。郷社の下、無格社の上に位する。祈年祭、新嘗祭、祭礼など村から奉幣した。 |
片埜神社から小倉への遷宮
明治四十二年(1909年)片埜神社に合祀されたが、小倉町の有志が昭和三四年(1959年)粟倉神社を小倉に再興した。当時記された遷宮記によると、
「昭和三十年(1955年)正月小倉区有志間に於て氏神遷宮の儀おこり、之が備として氏子八十名にはかり、三年間を期して積立貯金をなしたるも尚不足の為一ヶ年の積立をなし、茲に遷宮の期を得左記委員を選出して以って之が実施に当たる事となる」、
とあり、当時の小倉区に遷宮委員会が結成され、昭和三四年(1959年)十月四日に遷宮式が実施された。そのときに建立された本殿が現在に至っている。、
(写真は遷宮時に催された仮装行列)
「神社」と「こどもみこし」を説明した小学生用の資料がここにあります。