隠国の初瀬谷 わらしべ長者物語

 由 来

 わらしべ長者物語 ~ 今昔物語集より ~

 昔々、長谷寺詣でをした男が、帰路門前で拾った藁(わら)に虻(あぶ)をくくりつけ歩いていると、子守りをしている人に出会いました。
 子どもは男の持っている虻(あぶ)を欲しだり、持っていたみかんと交換しました。
 しばらく行くと、喉をからした商人に出会い、持っていたみかんと、商人の反物(たんもの)と交換しました。
 またしばらく行くと、弱った馬を連れた侍に出会いました。侍は大層困り、男が持っている反物と交換を申し出ます。男は反物と馬を交換しました。
 しばらくすると、馬は元気を取り戻しました。
 馬を連れしばらく行くと、大きな屋敷にたどり着きました。屋敷の主人が急用で馬を必要としていました。出会った男の馬を譲り受け、「私が帰らなければ、屋敷を譲る」と言い残し、屋敷の主人は出かけて行きました。
 その後、屋敷の主人は帰らず、男はこの屋敷で裕福に暮らしましたとさ。

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 明和の春 大和 ~ 管笠日記 ~

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江戸時代の国学者・文献学者・医師である本居宣長 (もと
おりのりなが)
が、古事記伝の編さんにあたり、記紀の古里・桜井へやってきた場所でもある。
この桜井へやってきたのは、桜の花が咲く明和9年(1772年)。 このことは、『管笠日記(すげがさにっき)』に綴られています。
宣長のご両親は、子ども授けの祈願のため吉野の水分神社を訪れ、甲斐あって宣長が生まれました。
両親は、宣長に常々お陰参りに行くように伝えられていました。
そこで、お陰参りの道中、記紀の古里・桜井を訪れたのは、行程の3日間で「榛原の油屋から吉野・千俣」までの約40㎞の道のりでした。
当日は、生憎の雨で初瀬を出る頃には雨も上がり、泊瀬朝倉宮・初瀬列木宮を訊ねています。
この旅を終え、1790年に古事記伝の初版を刊行し、私たちが「記紀の古里」を知ることが出来るようになりました。

 本居宣長 (もとおりのりなが) 来訪(記の古里・桜井市)履歴

 ◆ 寛保2年(1742年) 宣長13才
 ◆ 宝暦7年(1757年) 宣長28才 在京日記に残されています。
 ◆ 明和9年(1772年) 宣長43才 管笠日記に残されています。
 ◆ 寛政11年(1799年) 宣長70才 若山行日記に残されています。
 ◆ 享和元年(1801年) 宣長72才 上京日記に残されています。
   同年11月に亡くなっています。
 ※ 生涯にわたり、記紀の古里・桜井を訪問いただいています。

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