野見宿祢  勝利の聖プロジェクト
  三都物語
 奈良[大和桜井市・飛鳥・藤原橿原市・平城]・京都・東京
 
 大和朝廷の地・桜井市

 勝利の聖プロジェクト事業 担当 藤 井

  連絡先 090-9163-3084
  E-mail bkkgrace.fujii@outlook.jp



   
相撲/柔道の祖・活動に参加募集

  相撲/柔道の祖・活動に取り組んでいます。 各種団体様と連携いたしたく お知ら
  せ願います。

徳勝龍の大勝利!
  
野見宿祢 勝利のご利益おめでとう!
  一昨年には 徳勝龍関が「勝利の聖」へ祈願頂き、優勝を達成、感激
原画 野見宿祢
 宿祢・ギリシャ女神の原画 [先の国立競技場所
 に掲げられました]
 原画
 原画 長谷川路可遺族さまからのご提供
所  縁
  日本書紀の記述によりますと、垂仁7年7月7日に 出雲の野見宿祢と土師の当麻
 蹴早が 天皇の御前で捔力(相撲又は柔道)を執り行い、 野見宿祢が勝利し土師の
 地(葛城地方)を授かりました。
  この事を記念し、垂仁天皇の纒向珠城宮に 相撲神社が設けられされました。

趣 旨
 
 相撲/柔道の祖・捔力の地「勝利の聖」を象徴に 纒向文化を全国にお伝えする
 「大和朝廷の地・桜井市」の観光力取組み。

先の催し

  昭和37年10月6日に 日本相撲協会の時津風理事長(双葉山)を筆頭に 大鵬・柏戸
 両横綱をはじめ幕内力士一行が参列し、相撲神社で両横綱による奉納土俵入りが
 行われました。
*この事を記念し、桜井市では「はじまりの街桜井物語」の一つとして「相撲発祥の
 地」が顕彰されています。

<はじまりの街桜井物語>
  桜井市では 記紀万葉のふるさととして、大和朝廷の今に伝わる文化を4本の柱と
 して「相撲発祥の地」「芸能発祥の地」「仏教伝来の地」「万葉集の巻頭歌が詠まれ
 た地」日本のスポーツ・芸能・宗教・文学が ここ桜井市から芽生えました。
 日本の心の源流・原風景に里帰りしませんか?


大鵬柏戸土俵入り
大鵬・柏戸両横綱による 奉納土俵入りが執り
行われました [昭和37年
]
 その後、神社は荒廃が進み 忘れられた地(ゴースト地)となっていました
勝利の聖建立事業
  
平成24年に 相撲神社を訪れた際に、背高程の草が覆い茂り 祠も荒廃したまま
 で、大相撲ご一行が訪れた相撲の聖地とは忍びない程に荒れ果てていました。
 この事より 再興の運動を1人から始めました。

  最初に、各種団体に呼びかけ モニュメントの建立事業に取りかかりました。
   ・日本相撲協会の後援
   ・桜井市/桜井 記紀万葉プロジェクトのご支援
   ・桜井市議会のご協力
   ・氏子総代(穴師区・島岡区長)のご支援
   ・穴師坐兵主神社の中宮司のご支援
   ・地域の皆さまのご協力
   ・奈良県相撲連盟のご後援
   ・民間団体(大和ガス・大和信用組合・㈱矢尾重量
など)からのご後援

 この事より、古事に因み この地にモニュメントの建立「勝利の聖 建立プロジェク
 ト」を立ち上げました。

    相撲神社 祠

 荒廃が進んだ 相撲神社の祠(軒はトタン葺き)
[モニュメントの建立プロモーション] 勝利の聖 建立プロジェクト
 
  先の東京オリンピック[昭和39年]で 柔道が正式種目に採用された事を記念し、
 故長谷川路可画伯が 勝利の象徴として「野見宿祢」、栄光としてギリシャの「女
 神」のモザイク画をメインスタジアムに掲げました。

  この野見宿祢画を 捔力が行われた地に里帰り頂き、相撲・柔道発祥の地として
 長く後世にお伝えし、纒向文化を広く発信するプロジェクトを立ち上にあたり著作権
 継承者様の長谷川路夫様のご理解得る事が出来ました。
 

 Episode1 著作権者ご理解の経過
  勝利の聖建立に当り、私が中学2年生の時の東京オリンピックの開幕ニュースを突然
  思い出しました。確か[東京国立競技場に野見宿禰画が作られました]と、その事を
  Net検索しますと、メインスタジアムに長谷川路可画伯が 野見宿祢のモザイク画
  を掲げられましたと有りました。
  早速、この野見宿禰画に里帰り頂くために取り掛かりました。
  著作権者の捜索に当り、桜井市に支援を申し入れましたが 市長から断られ、やむ
  なく自身でモザイク画協会に連絡し、路可画伯の弟子でありました武蔵野美大特別
  教授の宮内様をご紹介頂きました。
  宮内教授からは 路可画伯遺族様・長女[百代様]のご主人の風巻様をご紹介頂き
  ました。誠に残念なことですが 百代様が亡くなられた直後であり、これも百代様
  からの御引き合せではないかと感じました。
  喪が開けました時期に 風巻様にご連絡させて頂き、漸く長谷川路夫様からもご快
  諾頂けました。このことから急ピッチで石像の製作を進め、地域の皆様にご支援
  頂き、建立出来ましたのは 発願から漸く1年後のことでした。
  風巻義孝様からは スタジアムへの建立にあたり、当時ご自身も寄付に奔走され
  日本板ガラス様を始め多くの企業様から支援を頂けました結果、建立に漕ぎつけた
  とをお伺い致しました。

 序幕式当日には 遺族様をご招待させて頂き、里帰り頂きました宿禰碑に立ち会い
 頂き 感謝・感激!でした。


 Episode2 大相撲一行が訪れて頂きました時期
  ここ相撲神社に大相撲一行が訪れ、横綱大鵬・柏戸関の奉納土俵入りが行わたのは
  私が小学生の頃でした。その時期が不明になり、確かめるため 大和タイムス (現
  奈良新聞)の記事を保管頂いています奈良図書情報館を訪れ、マイクロフィルムを
  調べた結果、昭和37年10月6日の事と分かりました。
  同紙面を見ていると 私と同姓同名の名前を見つけ、びっくり!私の名前です。
  59年ぶりに 私の記事を発見! こんな偶然があるのですね?!


 Episode3 「勝利の聖」と命名
  本事業を立ち上げるにあたり、皆様にご理解頂くため 相撲の地として葛城市が
  有名で 桜井市での活動が進んでいなかったこともあり、当地出身の野見宿祢が
  勝利したことを 表す「大勝利」としていました。しかし、相撲神社には野見宿祢
  と当麻蹴速の両者を お祀りしされていることから、蹴速にも考慮し「勝利した
  地」の意味で 急遽「勝利の聖」と命名致しました。
  本事業を推進するにあたり、広く訴求する上で奈良県の補助金の申入れを行いま
  した。審査を受けたのですが 審査員の1人から「聖」は仏教用語で名前はどう
  か?と反論を受けましたが、聖地と言う意味で表現したものです。補助金は 
  甲斐あり承認頂きました。
  その後、地域の方から辞退する動きとなり、内に籠る行動には呆れました。
  結局、押切り補助金は受領したのですが、何かすっきりしない出来事でした。
  申請が切っ掛けで、奈良県では「相撲発祥の地 奈良県」に繋がり、私と奈良県
  とで大相撲の優勝トロフィー製作に結びつけました。
広い視野での取組みが大切!

 Episode4 桜井・相撲甚句会の設立
  「勝利の聖」記念碑の目途がついたことより、序幕式に花を添える取組みとして、
  葛城市で盛んに活動されています「相撲甚句会」と相談し、和田県議・井戸
  桜井市議の3人で広く呼掛け、桜井の甚句会が結成されたのは序幕式の3カ
  月前の4月でした。
  それから、除幕式に向け登り旗のご寄付に奔走頂き、約20本の大登りが準備
  出来ました。
  甚句会に参加頂いた方には 猛特訓の結果、7月7日の序幕式に間に合い、
  盛大に披露頂きました。

 Episode5 活動の継承 大和朝廷の地・桜井市
  1人からの取組みは 奈良県の「相撲発祥の地 奈良県」事業 さらに3市連合
  (桜井・葛城・香芝市)の「大和まほろば相撲連絡協議会」に継承されています。
  しかし、当初の趣旨から外れ 名目が残るだけの取組みに留まり、「纒向文化/
  大和朝廷の地・桜井市」の啓発が取り残され残念なことです。
 地域が孤立し、行政は出来る範囲の活動に留まっていることより、活動が形骸化し
  ています。今後は 活力ある民間を中心に、地域・行政の連携によりビジネスに
  繋がる取組みに変革し、長く広めて行きたいものです。
 実行には 一刻も早く地域・行政の皆様が気づき、再スタートを切ることです。


 Episode6 野見宿祢&ギリシャ女神の再興
  先の国立競技場に掲げられました「野見宿祢(勝利)とギリシャ女神(栄光)」は 国立
  競技場の再建に向け廃棄される事になりましたが、東京芸術大学の工藤晴也教授
  はじめ保存活動を頂き、博物館に保存される事になりました。[2016年]
 本年(2020年1月)完成しました新国立競技場に出向きました。まだ工事は継続中で
  競技場を取り巻くフェンスにはテントで覆われていましたが 隙間から覗くとあり
  ました。Gゲートに「野見宿祢・ギリシャ女神
がありました。感激
  工藤教授の作品は 我が桜井市にもあります。なんと、近鉄桜井駅の構内に箸墓
  古墳のモザイク画が 改築の際に掲げられました。

  
 
 旧国立競技場メインスタジアムの壁画
  
(左が野見宿祢画)

 
 大和タイムス 昭和37年10月7日の記事








 
  新国立競技場の壁画  [Gゲート付近]
[建立の催し] 平成25年7月7日(日)

  所縁を広く知って頂く上で、古事に因み7月7日に日本相撲協会・副理事長八角
 親方(現第61代理事長)と故・長谷川路可画伯・所縁者(風巻義孝様)をお招きし、
 桜井市長をはじめ 多数のご参加頂き、序幕式が執り行いました。

 八角親方は この事が切っ掛けで日本相撲協会の理事長に就任され 出世のご
 利益がありました。また、相撲神社を参拝頂きました地元・徳勝龍関は 好成績を
 積み上げることが出来ています。

           新聞記事
             平成23年5月22日付け
       建立事業に共感し、毎日新聞では特集記事を掲載頂きました。
長谷川路可 宿祢モニュメント
故長谷川路可様   路可遺族様

     序幕式
[展開事業]
   このプロジェクトを機に、奈良県では平成27年度より「相撲発症の地・奈良県」
  の県民活動を展開頂いています。

  私と奈良県(スポーツ振興課)で 遺族様のご了承の元優勝トロフィー[野見宿祢像
  (故長谷川路可作)]を制作し、大相撲の優勝力士に贈呈されるようになりました。
   優勝トロフィー  トロフィー贈呈
更新日 令和3年5月1日