佐々木源三秀義
Sasaki Hideyoshi
(1112-1184)


諱は秀義。源三と称す。贈近江権守なり。 佐々木季定の嫡男。源為義の猶子となり、源為義の娘を娶る。

保元元年(1156)に崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱で、秀義は天皇方の源義朝に属して勝利し、佐々木庄で勢力争いをしていた佐々貴山氏に対して優位を得る。平治元年(1159)の平治の乱でも義朝に属し、義朝の嫡子である悪源太義平に従い戦うが、義朝方は敗れ、伯母の夫である秀衡を頼って奥州へと落ち延びる途中、相模国の渋谷重国に引き止められ、その庇護を受け娘を娶り五男の義清をもうける。

治承4年(1180)に源頼朝が伊豆で平家打倒の兵を挙げると子の定綱、経高、盛綱、高綱を頼朝に従わせ、その功により(自らは最初は平家側に味方したものの)本領を安堵され、近江佐々木庄へと戻る。
元暦元年(1184)7月19日平家の残党と江州甲賀郡上野村(現 滋賀県甲賀市甲賀町上野)で戦い90余人を討った後討死した。行年73歳。死後その功により近江権守を贈られる。(『源平盛衰記』第41)

子には、長男定綱、次男経高、三男盛綱、四男高綱、五男義清などがいる。


※メトロポリタン美術館蔵「保元・平治合戦図屏風」(1600年頃)より
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