佐々木四郎左衛門尉源高綱
Sasaki Takatsuna
(  -1214)


諱は高綱。佐々木四郎。左衛門尉。紋は四目結。佐々木秀義の四男。母は源為義の娘。

平治の乱で敗れた佐々木秀義は、近江佐々木荘領家・預所職を没官されて奥州藤原秀衡を頼り東下するが、高綱は洛外吉田の叔母の所に住む。
治承4年(1180)8月頼朝の挙兵に参加、石橋山の合戦では頼朝側が負けたものの、高綱は殿軍を任され奮迅しその敗走を助ける。

寿永3年(1184)正月20日、宇治川の合戦で名馬「生ロ妾(いけづき)」に乗り梶原景季と先陣を争い高名を得る。
建久6年(1195)家督を子重綱に譲り高野山で出家。法名西入1)。建保2年(1214)11月6日2)寂。


1)信濃國筑摩郡の正行寺(浄土真宗)の所傳によれば、法名は「釋了智上人」で「承久3年(1221)10月25日歿」とある。
2)歿年は諸説あり、「建保2年(1214)11月6日」説は『國史大辞典』による。『乃木系図』では「建保4年(1216)2月15日寂」とある。
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