左三つ巴

【津和野 高岡氏系図】

【始祖】高岡八郎左衛門少尉源宗泰  【本貫】出雲國神門郡塩冶郷高岡邑

【世系】高岡氏は源姓なり。津和野藩士なり。

【歴史】高岡氏は出雲源氏にて、遠祖は佐々木源三秀義の五男佐々木五郎左衛門義清に出づ。 義清、承久兵乱の功により、出雲・隠岐両州の守護と成りて彼國に下向す。
よりて其族両州に繁榮す。義清の八男を八郎左衛門少尉宗泰と云ふ。若くして隠岐の守護代と成り、 出雲國神門郡塩冶郷高岡邑を貫して氏と為す。これ高岡氏の始祖なり。

暦應4年(1341)出雲守護塩冶判官高貞讒死の後山名時氏に仕へ、 明徳兵乱ののち但馬に身を寄せるが、備後山名氏に扈従して三次郡に遷った。 三次郡は雲・石・芸・備の彊域の要衝にて争乱多く、城を築き城主と為る(歌田山城・松笠山城・比丘尼掛城)。

のち大内氏、毛利氏に属し、関ヶ原後の転封の節、城を明け渡して長州萩へ遷るが 有故他國暇乞し子孫津和野に住すと云ふ。



   高岡
(60)輔房(  -  )
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   :
   |高岡
(69) 某 (  -  )
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   |高岡
(70)道敬(  -  )
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   |高岡      |高岡
(71)直吉(1860-1942)  熊雄(1871-1961)
   |島根縣知事   北海道帝國大學総長
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   |高岡      |高岡      |        |        |        |        |
(72)弘道(1889-1944)  正道(1908-1993)  女子(  -  )  女子(  -  )  女子(  -  )  女子(  -  )  女子(  -  )
   |                  君子       榮子       壽子       幸子       晴子
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   |高岡      |
(73)直道(1922-1961)  女子(  -  )
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『津和野 高岡系譜』
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