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プリュミエの植物画

C. Plumier as a skilled drawer and engraver

プリュミエによるフクシアの図版

プリュミエが発見したフクシアは、1703年発刊の Nova Plantarum Americanum Genera に掲載されました。
「プリュミエの航海の謎」 で書いたように、彼は難破に見舞われて、そのときの航海で収集した標本のすべてを失ったと言われています。

Nova Plantarum Americanum Genera に掲載された図版とはどのようなものだったのでしょうか。自サイトに掲載できればよいのですが、借りられそうなところが見つからないので こちら 1)でご覧ください。リンク先ページの終わり近くにある 「3. F. triphylla」 がその図版です。
非常に簡素なものです。花と実しか描かれていません。
これについては、Leo Boullemier による The Checklist of Species, Hybrids and Cultivars of The Genus Fuchsia に次の記述があります 2)
It was inaccurate in both description and drawing, but it was still this description on which Linnaeus based the genus Fuchsia 1737. (中略) Historians put the errors made on this occasion by Plumier down to the fact that the specimens were lost in the wreck and he only had the notes that he made under poor conditions, from which to work.
「記述も描画も不正確であったが、1737年にリンネがフクシア属の基礎としたのはこの記載であった。(中略) 歴史家たちは、このときにプリュミエが犯した誤りを、難破で標本を失い、悪条件の下で作成した覚え書きを基にしたからだとしている」 (訳は管理人)

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どのような誤りか図からは定かではありません。
中央の花にオシベが4本しか描かれていないのは、花を縦割りにした図と考えるとつじつまが合います。

しかし Nova Plantarum Americanum Genera で全草が描かれていないのはフクシアに限りません。もう1つサイト3)を紹介します。
リンク先の図版を見るかぎり、フクシア以外の植物も部分的な描画にとどまっています。
F. triphylla − ヨーロッパ人にとって初めてのフクシアはこのような形で紹介されました。

3) のサイトは、"Agence régionale de l'environnement de Haute-Normandie"(オートノルマンディ地域環境局) のサイトです。局名の和訳は管理人によるもので、正式な和名は承知していません。
同局には古書を管理するドキュメントセンターがあり、Nova Plantarum Americanum Genera もそこに含まれています。

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プリュミエによる本格的な図版

では、プリュミエの本格的な植物画を見てみましょう。
右の図は、1693年にパリで発刊されたDescription des plantes de l'Amérique の図版です。一目でトケイソウとわかりますね。

図版の右下には 「Clematitis indica, hirsuta, foetida」 (有毛で悪臭のするインド産の植物) と記されています。

インドとはアジアのインドではなく、アメリカの西インド諸島のことでしょうね。
クサトケイソウ (Passiflora foetida) の仲間と考えて差し支えないでしょう。

左下には 「Fr. C. P. m. b. r. d」 とあります。

Image courtesy Missouri Botanical Garden
http://www.botanicus.org/

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これは 「Frater Carolus Plumier Minimus Botanicus Regius delineavit」 の略で、「国王の植物学者であるミニム会修道僧シャルル・プリュミエこれを描く」 という意味だと思われます。"Carolus" は "Charles (シャルル)" のラテン語形です。

ところで、"delineavit" が 「原画を描いた」 という意味なら、彫版は誰がしたのでしょう?
"delineavit" とだけサインされている場合、「彫版」 (sculpsit) もプリュミエがしたことになるのでしょうか? Boullemier によると、プリュミエは優れた彫版師でもあったとのことです。
私としては彫版もプリュミエによるものと思いたいのですが、今のところ確認できません。

しかし、誰が彫版したにせよ、Nova Plantarum Americanum Genera の図版と比べてグンと出来がよいと思えます。

図版の画像をお借りしたサイト BOTANICUS では、他にもさまざまなプリュミエの図版を閲覧できます。

BOTANICS からは一定の条件を守れば画像を借りられます。
トケイソウの絵の下にあるクレジットはその条件の1つです。
条件の詳細は BOTANICS の Copyright タブにあります。
何100年も前に危険を冒して大西洋を渡り、熱病の恐怖と戦いながら収集した植物の絵だと思うと、現代の植物画を見るのとは少し違った気分になります。

ただ、プリュミエの旅の重要目的は、マラリアの特効薬となるキナノキを見つけることでした。
当時のヨーロッパ諸国は自国に富をもたらす植物資源を求めて、カリブ海に植物学者を送り込んだのです。プリュミエもその一人でした。フランスではルイ14世の下でブルボン朝が最盛期を謳歌し、スペインではハプスブルク家 (アブスブルゴ家) が終焉を迎えようとしていました。

(2009年8月5日)

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参考 (数字をクリックするとページ内のリンク先へジャンプします):

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