家族で奥穂高岳山頂に立つことは(あ)が小2の頃、槍ヶ岳山頂から遥かにそこを望んだ際、
「今度は奥穂に行きたいな〜。」
こう云った時からの想いだった。
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奥穂山頂に立つための王道は上高地から入山し涸沢、ザイテングラートを経てそこに達するものだろうが、こうした場合、一般的には白出乗越に達するのに二日を要するだろうから、今回は飛騨側、新穂高から入山し乗越に一日で達することのできる(達しなければならない)白出沢を経由するルートを採ることにした。
このルートは標高差が約1,900メートルもあり、これを一日でこなすには、普段から運動不足気味の(ひ)には少なからず負担がかかり一抹の不安もあったが、何とか頑張ってくれることを願い、前泊の中尾温泉・山本館をあとにした14日早朝、ようやく雨の上がった新穂高を発った。
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露天風呂もある中尾温泉・山本館 |
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しばらく森林浴気分で右俣林道を行く。
遥か上方に見える南岳方面の稜線は
「本当にあの高さまで上がれるんだろうか?」
と、気持ちをやや弱気にさせる。
現在も牛の放牧を行っている穂高平を経て、さらにもうしばらく林道を行くと白出小屋の建つ白出沢出合。
そもそもこのルートは行き交う人は少ないのだが、ここからは多数の人たちは槍平方面へとさらに直進するかと思いきや、意外にも何名もの人たちが同じルートで乗越を目指すようだった。 |
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白出沢を左手に見て左岸を行く |
林道を外れると、ここから本格的な登りとなる。
樹林帯を進むと次第に白出沢の河原を左手足下に見るようになり、レリーフを見るとやがて重太郎橋の架かる個所で右岸へと渡る。 |
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切り立った岩場に掛けられた長い梯子で一気に高度を稼ぎ、トラバースの岩切道を行く。
あいにく、朝まで止まなかった雨の名残か、あるいはこの付近が狭い谷底だからか、辺りはガスに覆われ沢すら見ることはできない。
ルートは岩場にもかかわらず登山路脇には可愛らしい花が咲き、心和ませてくれる。
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重太郎橋(左上に向け梯子が掛かる) |
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鉱石沢を過ぎると再び樹林帯の急登だ。
同じ樹林帯でも出始めとは違い、ここはかなりの急登。
樹の根っこや、時には小さな梯子に従い階段を登るがごとくグングン高度を稼ぐ。
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ソバナ、シモツケソウ |
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しばらく頑張るとやがて、これまでの展望のなさから解放され、またガスの上に出たのか一気に展望が開ける。
正面に大きな岩を敷き詰めたような白出沢と、その上部には小さいながら真っ白な雪渓。
遥か上部にジャンダルム方面が聳え立ち
「これぞ、アルプス。」
の景観が目の前に広がる。
これからのガレ場の登りに備え、荷継小屋跡で大休止。
ちょうどそのとき白出沢を下って来た若者曰く
「ここから上部は大変なことになっていますよ・・・。」
はて、この後はどんな様子だろう・・・。
「見る限りでは、傾斜はかなり急に見えるが、大して変化はなさそうだが・・・。」
しばらく(ひ)の到着を待ち合流して小休止したら、荷継沢を横切り正面の白出沢に足を踏み入る。
ここから乗越までは基本的に足元は悪く、傾斜も次第に急になり、それよりも何よりも高度を上げれば上げるほど乗越が手のとどきそうな所に見えるにもかかわらず、これがなかなか近づかず精神的にきつい。
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白出沢(正面)とジャンダルム方面を見上げる |
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荷継沢 |
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時折振り返り見ると、上がって来た沢はまるで奈落の底に見えなくもなく、高度感を実感できるのが唯一の救い。
彼らが云ったように、ここは
「大変なところ。」
だったが、今さらそんなことを云っても始まらない。
とにかく一歩々々、歩を進めるしかないので、最後は小屋脇に設置された風車がのんびり回るようにのんびり行こう。
結局、荷継沢から乗越まで、ちょうど二時間を要してようやくたどり着いた。 |
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白出沢上部を行く(あ) |
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乗越に出て穂高岳山荘正面に回り込むと、これまでの静けさとは打って変わりすごい人。
宿泊手続きを済ませたら(あ)と二人、小屋前のテラスを散策する。
前穂や吊尾根方面はややガスが沸いているものの正面の常念山脈はよく見える。
そんな折、ヘリポート付近にたたずむ小屋のご主人、今田英雄さんを見つけたので常念をバックにパチリ。(下画像)
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ほどなくには、
「えらく小奇麗にしたご婦人がいるもんだ・・・。」
と思ったのもつかの間、なんとこの人、あの田部井淳子さんではないか。
これまた、小屋前でパチリ記念写真を撮ってもらった。
実は田部井さんがここにいるには訳があり、このあとその訳が分かる。
テラスの前の大きな石垣に座り、誰やらテレビカメラに向かい身振り手振りも交え流暢に喋りはじめた。
はじめ誰だかわからなかったが、わかりづらかったのはこの人がえらく日焼けしていたためで、喋りだしてしばらくするとどこかで聞き覚えのある声で、風貌も確か・・・、真っ黒に日焼けしたNHKの内多アナだ。
内多アナといえば、最近はNHKの山関係の番組では頻繁に画面に登場する人だ。
真っ黒に日焼けした顔からは想像できない喋り口調はさすが一流アナウンサー。
のちに小屋内に張ってあるインフォメーションを見て分かったことだが、田部井さんと同アナは立山から雲ノ平を経由して奥穂高・ジャンダルムまで縦走中の最終局面で、ここ穂高岳山荘前で本番収録中だったようだ。
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穂高岳山荘、今田英雄さんと |
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撮影中のNHKスタッフと田部井さん(左手前) |
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一行はしばらくの間、下山したばかりのジャンダルムへの想いを収録したら、スタッフともども早々に涸沢へと下山していった。
さて、こちらも行動開始したいところだが、ここに到着後かなり時間が経つものの、(ひ)がまだ着かないので身動きが取れない。
時折、小屋の裏手に足を運んでみても、奈落の底に人影は見えない。
白出乗越に到着後、時間的に余裕があればいくつかの行動プランを考えていた。
まずは今日のうちに奥穂高岳山頂に立つ。
そして、さらに余裕があれば前穂高岳往復、あるいはジャンダルム往復し山荘まで戻る。
奥穂高岳山頂まで行けない場合には、より短時間で山頂に立てる涸沢岳山頂に立ち、その間の実際の所要時間を自ら確認の上、好条件に恵まれたなら槍の姿を見たあと小屋に戻る。
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涸沢岳から見る奥穂高岳と穂高岳山荘 |
時間に余裕があればさらにいろんなルートが考えられなくもなかったが、奥穂高岳方面に向かうプランはすでに無理なので、至近の涸沢岳山頂目指すことにした。
涸沢岳山頂からはあいにくのガスで槍は見ることはできなかったが、北穂高岳・南峰、北峰は指呼の距離に、また奥穂高岳、ロバの耳、ジャンダルム、前穂高岳方面はガスの合間に目にすることができた。
このとき、涸沢岳山頂までの所要時間は約15分で、意外と速く到達できることを確認できた。
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しばらくたたずんだあと、ふと白出沢方面を見下ろすと、
「おっ、来た来た。」
遠目ながら、あの風体は(ひ)に違いない。
ようやく乗越間近まで上がって来たようだ。
こちらが乗越まで下ると、(ひ)は無事そこに着いていた。
荷継沢からでも我々二人よりさらに二時間弱を要したことになるが、ケガもなく明るいうちに到着できたのだから、これはもうメデタシ、めでたし。
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涸沢側に現れたブロッケン現象 |
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「よく頑張りました。」
褒めてあげよう。
ようやく三人そろって小屋前テラスでティーブレイク。
すでに下山してしまった田部井さんたちのことを(ひ)に話すと少し残念がっていたが、それよりも自分がここまで来れたことに満足げだった。
夕食が済んだらサンセットショーの始まり。素晴らしい光景を見ようと小屋裏の石垣は人だかりだ。
蒲田川の谷を覆い尽くす見事な雲海は錫杖岳、笠ガ岳稜線をその上にぽっかり浮かび上がらせ、遥か彼方の白山山塊までも続いていた。(表題画像)
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このショーが終わったら暗闇の中、(あ)とふたり涸沢岳へ。
山頂に到達すると、天空から地平の彼方まで見事に晴れ渡り、ぐるりと素晴らしい景色が広がっていた。
先に来た時は姿を見せてくれなかった槍ヶ岳も黒々とした穂先を天に向け突き上げているのが見える。
よくよく考えてみると、この大観を目にしているのは二人の先客と我々の四人のみだ。
何という至福の時か。
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穂高岳山荘前テラスに横たわる(あ) |
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二人に習い三脚を構えしばらくこの景色を撮った。
乗越に戻り、小屋前テラスに横たわり天空を見げても、どれがどれだか分からないほどの溢れんばかりの星が空いっぱいに広がっていた。
一方で小屋内に入ると、そこは人でごった返していた。
布団2枚に三人と聞いていた寝床も早々に休んだ人に占拠された状態で、どう見ても自分たちの場所が確保できず、おまけにこれだけ人がいればその熱気で熱い。
しばらくすると(あ)と(ひ)はこの状況に耐えられなくなったか布団をロビーに運び、そこで夜を明かした。
同じような人は他に何人もいたようだ。
二人がいなくなったおかげでこちらの寝床はずいぶん広くなり、それなりに休むことができた。 |