西山浄土宗 日輪山称名寺 本文へジャンプ
 称名寺

光烟光佛

弥陀如来

釈迦如来

薬師如来


増 長 天

地蔵菩薩

春日曼荼羅


千体地蔵尊

 
 称名寺は、南都興福寺の学僧であった専英、琳英の兄弟が、法相学を修めた後、弥陀本
 願の法に触れ念佛の教えを乞うた京都西山三鈷寺の澄忍上人と力をあわせて建立した常
 行念佛の道場を創始とし、その創建は、文永2年(1265・鎌倉時代)と伝えられる。
 当初は興福寺の北に位置していた為、興北寺とも呼ばれていたが、室町時代に現在の地
 に移転された。
 開創以来興福寺の別院とし、四宗(浄土宗、法相宗、天台宗、律宗)兼学の寺として、
 毎年八講が執行されていたが、明治7年(1874)の廃宗の令により興福寺を離れ現在
 に至っている。
 なお、寺伝によれば宮廷の祈願所にも定められ、室町時代には東西400メートル、南
 北300メートルの寺域を有し、境内には本堂ならびに釈迦念佛、弥陀念佛の東西二堂
 の道場をはじめ、塔中五院の諸堂等を擁していた。しかし、宝永元年(1704)四月、
 南都の大火で類焼し、元文年間(1736−1740)に再建されたが、宝暦12年(
 1762)の再度の火災で諸堂ことごとく焼失し、当山第24代鸞空上人が明和元年(
 1764)以後40年の歳月をかけて、享和2年(1802)に現在の本堂及び茶席(独盧奄
 )のみが再興されたが、寺域もその殆んどを失ない昔日の面影をなくした。したがって
 現在では、本尊の阿弥陀如来(光烟光佛と称す秘佛)にあわせ、東堂の釈迦如来及び西
 堂の弥陀如来の三尊を以って当寺の本尊として本堂にお祀りしている。
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