そば関係の資料
    焼畑と蕎麦
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ソバの作付面積と焼畑

 日本のソバ作付面積は大正から昭和にかけて急速に減少してしまった。その後、多少の挽回はされているものの消費量の大半を輸入に頼っている。 日本は古来から稲作社会であって水田が重視されたなかで、畑作物であるソバや雑穀は軽視され減少の一途をたどる。その背景や原因はほとんど省みられることもなく今日に至っているように思う。ましてや、日本の各地で盛んに営まれた焼畑農業が消え去ったことも忘れ去られた。

 古来、中国で「田」は「穀物を植えるために区画された土地」を意味する漢字で、作物を栽培する耕地を表していた。日本に入っていつの時代からか「田」は「水田」のことを意味するようになり、広辞苑でも「田」は「耕して水をたたえ、稲を植える土地」とされ、すなわち水田(稲田)である。
そのために、「水田(すいでん)」に対して、その他の耕作地を「陸田(りくでん)」として区別し、さらに陸田を区別して「畠」と「畑」という漢字が当てられている。
新編・大言海 大槻文彦著 冨山房」によると、はた(畠・畑)は「水田に対して乾田ノ轉ナラム。ヌハ云フ、火田(ほた)ノ轉ニテやきばた(焼畠)ニ起スルト。」とある。
乾田は、「平坦で一面に陽のあたる広い田」すなわち「白田(はくでん)」を指して「白田=畠」となり、「畑」はいうまでもなく「火入れした田」「火(やいた)田」、すなわち焼畑を表記したものである。
 このように、畠と畑の字はそれぞれの意味で使い分けされていたが、今日ではほとんど区別することなく、「畑」の漢字が用いられるように変わってしまっている。
この二つの漢字の変遷が、全国に「焼畑」が分布し、伝統的な農耕法が営まれ、やがてこれが減少の一途をたどって消滅してしまった時代背景と通ずるのではなかろうか。

ソバの作付面積の推移
 江戸時代から明治の頃までは日本の至る所でソバが栽培されていた。
農林水産省の統計資料によると、明治27年から32年(1900年前後)のソバ作付け面積はおよそ17万ヘクタールで推移しているがその後徐々にではあるが減少し、やがて昭和に入ると加速して昭和30年には約4万ヘクタール、40年の約3万が51年には1万5千ヘクタールを割り込むまでに減少してしまう。
その背景には、稲作重視による米作付け面積の拡大策のために畑地を水田に転換する政策が進められたことや、食糧事情が厳しくなるなかで主食に近い麦やイモ類の増産に傾斜し、収穫効率の低い部類のソバやヒエ、アワなどの雑穀は次第に軽視されていったのである。
 一方でコメの問題に目を向けると、昭和43年(1968)には稲の作付面積が328万ヘクタールと史上最高を記録するに至り、一気にコメ過剰問題が表面化する。そして二年後にはコメの生産調整と減反政策がとられることになって長年の水田拡張の政策が一変して水田の休耕と他作物への転作が奨励されていくのである。

 コメの生産過剰による水田の減反政策と休耕田対策が急務になる一方で、転作用作物のひとつにソバが指定され、昭和49年(1974)頃から新たに休耕田でのソバ栽培が行われるようになるとともに各地の地域おこし活動とも相まって国産ソバの減少に歯止めがかかったのである。
結果として現在、わが国のソバ自給率はほぼ20%で推移している。

もうひとつの「畑(焼畑)」の消失
 上記は、コメとソバ、言い換えると水田に対する畑(畠)という観点でみてきたが、そこには焼畑という耕作地も含まれていて、この部分が消滅してしまったという背景を見過ごせない。
焼畑の衰退
 焼畑の主要作物にはソバ、ヒエ、アワなどの雑穀類が多く含まれる。
近世以前の焼畑面積は24万ヘクタールを超えていたといわれ、しかも、焼畑の一部では近世無検地の村もあったとする記録もみられることから正確な統計数値を知ることは困難であるが、さらに多く存在した可能性すらある。
明治30年(1897)に森林法が制定され、植林の推奨と火入れの制限が実施されて明治・大正時代をつうじて衰退の一途をたどり、昭和25年(1950)頃にはわずか5〜6万ヘクタールとなって昭和30年ころを境にして姿を消してしまった。
森林法の施行によって、火入れの制限によるあらたな焼畑の造営の制約と焼畑耕作地への杉や桧の植林化が奨励されて焼畑の山林化が急速に進む一方で、都市部での雇用機会の増大という時代背景もあったと考えられる。

 焼畑の消滅が、具体的にソバの作付け面積の減少にどれだけ影響を及ぼしたかの推定はむつかしいが、仮に全国の焼畑面積のピーク時を25万ヘクタールとしてその2割でソバが作付けされたと仮定すると5万ヘクタールが消滅したことになる。極めて大雑把な仮定ではあっても、現時点の日本の総作付面積(2004年4万4千ha)に匹敵するソバの耕作地が消えたことになる。
当然のことながら、焼畑の主要作物であったヒエ、アワなどの雑穀類についても同様である。

*収穫量との関係は無視した
*ヘクタール【hectare】記号はha 
         1ha=10000u
*近世以前の焼畑面積等はEICネット
  [環境用語集:「焼畑農業」]による
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