そば関係の資料
    焼畑と蕎麦
    < サイトへ

焼畑とソバ

1.忘れ去られた日本の焼畑
 わが国の農業については水田と畑作のみが重視され、全国の山間各地で行われた焼畑についてほとんど語り伝えられてこなかった。しかし焼畑は、古くからの伝統的な農耕法のひとつであり、山間僻地の多い日本の農業にとっては貴重な耕作地であって近世以前の焼畑面積は24万ヘクタールを超えていたともいわれている。
 古くは縄文時代からおこなわれてきた歴史を持つ焼畑であったが、明治30年(1897)に森林法が制定され、植林への転換による焼畑地の林地化と新たな火入れの制限が直接の引き金となって、明治・大正時代にかけて衰退の一途をたどり、昭和20年(1945)台には5〜6万ヘクタールまでになって昭和30年頃にほとんど姿を消してしまった。
 山の草木を切って枯らしてから焼き、その焼跡にそのまま作物を栽培する方法で、わが国のどの地域の山間部にも広く分布していた農耕法である。
 焼畑は、その地域や地形さらには山の高低や日照条件などによって「春焼き」と「夏焼き」に分けられる場合が多い。いずれも焼いた初年目にはそれに適した作物を蒔き、2年目、3年目とそれぞれに適した作物に変えながらおおよそ4年から5年くらいを一区切りとして終える。その後は再び草木のはえるままに放置して自然の山に戻し、地力の回復した10年、20年後再び焼畑として用いている。
山間僻地の生活では何世代にもわたる営みであり、何ヶ所もの焼畑用の山の区画を持って、順次一区切り(1サイクル)付く頃に次の用地を焼くという形で常にいくつかの焼畑が営まれながら焼畑農耕が続けられてきた。
なかには、山村の場合では焼畑を自然に戻さず、そのまま何年も耕し続けてそのまま常畑(畑や田)にするケースも多くみられた。
(注:近世以前の焼畑面積等はEICネット[環境用語集:「焼畑農業」]による。) 2.焼畑の呼称と地名 日本の各地には、それぞれの名で呼ばれる山の耕作地があって、それらすべてを総称して名付けた呼称が「焼畑」である。従って全国には、焼畑または焼畑耕作地を表したさまざまな呼称とそれにもとづいてつけられた地名が多く残っている。

青森や秋田・岩手の地方ではアラキ、東日本ではノバ、アラク、カノ、カノウ、サス、ソウリ、ナギハタ、ムツジ・・・  西日本ではキリハタ、ニシメ・・ 九州に多く見られるのはコバ、アラマキ、カンノ、キーノ・・などじつに様々である。同様に、焼畑に関する地名も各地に見ることが出来る。
以下はその一部で、青森、秋田、岩手など北東北のアラキ(荒起)、東北、関東のアラク(荒久、新久)、各地に分布しているカノ(刈野、鹿野、狩野、加野、神野、蚊野、軽野)をはじめ九州に多いコバ(木場、古庭、小場)、アラマキ(荒巻、荒牧、荒蒔)などである。手近にある郵便番号簿をざっとめくってみただけでも、各地に実在する焼畑に関係する地名があって興味深いものがある。(下記以外にも見つけることが出来たがここでは割愛した。)「岩手(下閉伊郡)鼠入」、「富山(平村)夏焼」、「岐阜(下呂町)火打 夏焼」、「三重(菰野町)切畑 (宮川村)小切畑」、「京都(網野町)切畑」、「大阪(豊能町)切畑」、「和歌山(本宮町)切畑」、「佐賀(富士町)古場」、「長崎(長崎市)(平戸市)(福江市)木場町」、「熊本(菊池市)(玉東町)木庭」、「鹿児島(栗野町)木場」などと広く分布している。

3.焼畑の作物

「焼畑の主な作物」
代表的な焼畑の作物
 
ソバ・アワ・ヒエ   
豆類:大豆・小豆  トウキビ
里芋・カライモ  コンニャク
大根・カブ   
ミツマタ(和紙の原料)

「焼畑とソバの関係」    
一年目にソバを播く例が比較的多く見受けられ
 春焼きと夏焼きによる違いや地域による違いはみられるが、山を焼いた一年目に栽培される作物と二年目の作物、または三年目の作物など輪作の順番には多少の違いはあっても、一年目の作物に比較的ソバが多く見受けられるのは特徴的といえる。
 草木を焼いた灰にはリン酸やカリ分を含み肥料効果もあり、特に熊本県菊池地方では「灰は熱いうちに種子をおろせ」とか、中国地方の「竹やぶを焼いた後は灰の熱が冷めないうちに蒔け」など、この他にも「ソバは灰が熱くてはぜるうちに蒔け」などという言い伝えが残っている。
このことはいずれの作物も焼かれたばかりの灰にさほどの手を加えずに種を蒔いて生育させるという特性が焼畑にあり、焼畑とソバの密接な関係を示唆していると考えられる。

以下は、ソバと焼畑の関係を具体的に示している例を出典と共に列記してみる。 出典1:民俗と地名T 民俗地名語彙事典上 日本民俗文化資料集成
○奥羽、出羽山地から上越、頸城山地では初年目にソバ、二年目に豆類とアワ、三年目に豆類を作付けする。
○南会津の檜枝岐でも、夏のアラク(一年目の焼畑地)にはソバを播いた。
○熊本・菊池地方 一年目アワ、ソバなど 二年目ソバ、小豆、里芋など三年目ソバ、里芋など
○佐賀・神埼郡では焼野(焼畑)をキーノ(切野)という例があり、収穫する作物によってキーノゾマ(切野蕎麦)、キーノアワ(切野粟)、キーノイモ(切野芋)などといった
○熊本・八代郡坂本村市の俣ではソマコバ、カライモコバがあり、ソマコバを行うことが多かった。*コバ(木場、小場、古庭で焼畑) *ソマ(熊本や大分の一部でソバのこと:古くはソマムギ)
○岡山・勝田郡勝田町では一年目は大根かソバ、二年目は小豆か粟、三年目は小豆などを植え  ソバの焼畑をソバ山、大根の焼畑地は大根山など○岩手・北上山地の焼畑では、春播きの豆類(主として大豆)と雑穀(主としてアワ)を初年に播種し、それ以降はアワと大豆とを隔年に作付けし、数年ないし十年に及ぶ長期間耕作を続けた後、最終作物としてソバを栽培して焼畑の輪作を終了する。 *ソバが最終作物となっている例はめずらしい。出典2:マタギ 森と狩人の記録  田口洋美著 慶友社
○秋田・阿仁町ではカノマキといい 一年目はソバ 二年目からは大豆、小豆、アワ、キビ 出典3:山地母源論1「日向山峡のムラから」野本寛一著○宮崎・東臼杵郡椎葉村向山日添では ソバコバまたは大根コバで一年目にソバか大根、二年目に里芋、三年目、四年目には茶を植える ヒエコバでは一年目に稗 二年目も稗 三年目は小豆 四年目には稗や粟
○焼畑の具体的な例: 「ソバヤボ」〜7月初め、ニレ・サクラ・ネムなどの30年ほどの木の多い雑木林を伐る。標高700m前後のところは、土用の天気に焼いて土用中に蒔きつけする。家の近くの600m前後のところは、盆のうちに焼き、播種をする。一年次にソバ・ナタネを混播 二年目に粟 三年目には大豆又は小豆だが、土地の良いところに里芋を植える。ソバは11月初旬に収穫。  出典4:山に棲む 民俗誌序章・・・・  未来社 香月洋一郎著  
○高知県長岡郡大豊町仁尾ヶ内ではソバヤブとは夏に火を入れる焼畑のことで、まずソバを蒔く。翌春三椏(みつまた)を植え、三椏を三回程度刈り取ると山へ戻す。三椏は植えて三年目に刈るため、十年ほど畑として活用することになる。
○木を切る前(焼畑にする前)のソバ用の地をソバヤマといい、切って焼いてソバを播くとソバヤクと呼び、刈った後の土地はソバジリとなる。 焼けあとの斜面へはバラ播きである。
○年に二度播くソバと一回とる単作ものとある。主として秋ソバで、夏ソバはごく僅かしか作られない。 ソバの多くは焼畑でつくられたため、耕地は傾斜面が多い。 出典5:【写真ものがたり】昭和の暮らし2 山村 須藤功著 農文協
○高知・池川町椿山では、昭和の終わり頃まで焼
畑を続けていた地域で、「春焼き」と「夏焼き」の二回行い、春には和紙の原料となる三椏を植え、夏にはソバをまきました。 出典6:Webサイト  杜(森)の話・日本の森林利用
○富山の焼畑 1年目7〜8月に草木を切って8月初旬に火を入れて、ソバやカブの種を植え 2年目にアワ、ヒエ、シコクビエ 3年目にアズキを植え 4年目にキビやアワ、ヒエ、シコクビエを植えて山に返す。
○和歌山・大塔村の三川、富里地区で明治時代まで行われていた。灌木の雑木林や造林地の伐採後の草木を焼き、6月の土用か春に焼く。焼いた後に大根やソバを蒔いて、さらにアワ、ヒエ、陸稲、サトイモ等を作ります。2年で栽培をやめ、3年目からはスギやヒノキを植栽。
○長崎・対馬では前回の焼き畑から15〜25年たった広葉樹の森を伐採。伐採後の木々を利用して猪囲いを作り残りを燃やして灰にします。夏作に、アワ、ヒエ、ソバ、マメを植え、地味の良いところでは冬にムギを植えます。 出典7:Webサイト 南アルプス邑 早川町にすむ2000人のホームページ
○山梨・南巨摩郡早川町では春に山を焼きました。栽培の順番や作目は地域によっても異なるが、ソバ、ムギ、アワ、ヒエ、キビ、大豆、小豆、サツマイモなど、毎年作目を変えて3〜4年耕作しました。放棄する際は木の苗を植え、15年から20年たつと元のような山林に戻っているので、再び火を入れるのです。

   【ソバ作付け面積】