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資勝卿記
 
江戸初期の公家・日野資勝権大納言の日記。知遇を得ていた家康が大御所、秀忠が将軍の慶長17年(1612)の書き始めで三代家光の時代には武家伝奏となるなど朝廷と幕府間の斡旋にも努めていて、江戸初期の朝幕関係を知る上でも貴重な資料といえる。この日記の元和10年(1624)2月の条に「・・・大福庵へ参候て、弥陀ヲヲガミ申候也、其後ソハキリヲ振舞被申て、又晩ニ夕飯ヲ振舞被申候也」とあって京都におけるそば切りの初見が登場する。江戸のそば切りの初見である「慈性日記」を書いた慈性は日野家次男である。なお、日記にある大福庵は慈性日記にもたびたび登場している京都にあった天台宗の寺である。
*「日野資勝」の項参照
 
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