そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

三十石舟
 
早船三十石とも呼ばれ京都・伏見から大阪・天満橋詰八軒屋までの約十里を昼夜二回の運行で、下りがおよそ六時間・上りは船頭が岸に上がって太綱で船を引っ張るから十時間とほぼ一日または一晩の行程だった。淀川の船運の歴史は平安の頃からといわれ、その淀川水運は最盛期・享保年間(1716〜36)には、三十石船だけで671隻と記録されている。
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三十石文庫
 
大阪・北浜のそば屋「手打ちそば三十石」の箸袋「三十石文庫A」から。淀川の三十石船の乗船客に飲食物を商うために漕ぎ寄せる小舟を「くらわんか舟」とか「荷売舟」「貨食舟」と言い、様々なものが売られた中の変わり種として「蕎麦切舟」があり、うどんやそば切りを売り回ったという記録が元禄16年(1703)刊の「立身大福帳」に書かれているという。それによると、伏見の豪商天王寺屋長右衛門の先祖で越後浪人只右衛門が小舟で淀川の夜船へうどん・そば切りを売り始めたとあり、越後騒動で浪人した人物なので天和・貞享(1681〜89)の頃の話しだという。
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(そば屋)三十石
 
大阪に「三十石」というそば屋が二軒あるがそのうちのひとつが淀屋橋三十石で現在は北浜のそば屋「手打ちそば三十石」の話。三十石船にちなんでの店名であろうが、箸袋も「三十石文庫A」となっていて、淀川の「蕎麦切り舟」を載せていた。三十石船に漕ぎ寄せる「くらわんか舟」(商い舟)の中の変わり種としてうどんやそば切りを売り回った「蕎麦切舟」があったという珍しい大阪のそばの歴史である。
もうひとつは(京橋)三十石で、現在は京橋の京阪モール5F。店の口上は、「そば」は手打ち・手延べ・手切り。
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