そばの文化    <  サイトへ移動   .
 上方の熱盛りそば  

 大阪のそば屋に入ると、今も「熱盛りそば」を品書きに入れているところが多い。全国的にみてもごく限られた地域にしか残っていない、かつての味を大切にしている浪花のそば屋の心意気のようなものを感じる。
知る限りでは「なにわ系」のそば屋で、たいていは「せいろ」と称していて普通盛りを「一斤(いっきん)」、大盛りだと「一斤半とかイチハン」などとなっていて常連客には根強い人気がある。

 現在の大阪で熱盛りを扱う店の最右翼となると、やはり、元禄8年(1695)創業という堺市宿院の「ちく満」で、かつて蒸籠で蒸した「なにわの蕎麦」の歴史の一端を今に伝える店だ。ふた付きの白木のせいろに湯通しされた温かいそばが盛ってあって、生卵を溶いた中に熱々の蕎麦つゆを注ぎ入れた椀につけて食べる。

   
 この他でも、北区ではお初天神東横丁の「夕霧そば・瓢亭」の湯通し「せいろ」で、ここは柚子切りを特徴にしている。
中央区は北浜の手打ちそば・三十石で「ざる」で出す湯通し「せいろ」、平野町に行くと大正13年の老舗「美々卯・本店で熱盛りの温かい「うずらそば」。
都島区は京阪モールの「手打ちそば京橋・三十石、湯通し「ざる」となっている。
梅田2・サンケイホール東隣の「名代そば・ちく満では白木の「せいろ」が熱盛りである。
「手打ちそば処・やまがは福島区海老江、冷たいざるに対して温かいのはずばり「あつもり」である。この店は「おそばと落語の会」でも有名である。
ざっと挙げただけでもこんな具合であり、大阪のそばを語るときには外すことの出来ない特徴である。

 京都にも熱盛り専門のそば屋があって上京区椹木町烏丸に竹邑庵太郎敦盛、ふた付きの白木のせいろに湯通しされた色の濃いそば、生卵に九条ネギを刻んだ椀となぜか梅干しが付いている。そばは一斤か一斤半、または二斤となっている。
中京区車屋町二条の老舗本家尾張屋は「温せいろ」、蓋をとると細くて長い尾張屋独特の白い蕎麦が漆塗りの少し横長の蒸籠に入っている。食べ終わる頃のそばにもう一度熱いそば湯をかけるとそばがほぐれて甦る。「冬の京せいろ」には鷹峰産辛味大根の下ろしたのが添えてある。

 「蕎麦切り」の誕生そのものには諸説があり、その誕生から現在の「そば」に至るまでの過程でもいろいろな変遷があった。
「熱盛りそば」については、蕎麦切りの初期の頃、そば粉だけでそばを作る生粉打ち(きこうち・つなぎの入らない十割そば)であったので麺が切れやすく、茹でるよりも蒸す方法がとられたとか、江戸時代の初期に、蒸籠で蒸す「蒸し蕎麦切り」が流行ったり、菓子職人が菓子を蒸して作った技方からそばも蒸籠で蒸された時期もあった名残だとするなどの諸説がある。
実際には、茹でたそばを保存しておくために蒸籠に入れておく方法であったり、一度茹でて洗ったそばをもう一度熱い湯に通したり、盛りつけた蒸籠の上から熱湯を掛けるなどの方法がとられる。
 そばの収穫は秋に多く、秋の新そばの頃から冬の寒い時期が旬であったことからも「温かい蕎麦」にして食されたということと、製粉技術や保存設備、さらに衛生環境も悪かった時代、そばは「足の速い」食べ物であって「いたみやすく」「消化が悪い」とされていたので、温かくして食べることは理にもかなっていた。
だから、江戸時代や明治の書物でも、温かいそば・熱盛りがよく登場する。
特に明治の末頃が全盛だったようでその後も冷え込む季節には「おつ」なものとして好まれ、かつてはいつでも食べられるごく普通のメニューであった。

 寛永4年(1751)の「蕎麦全書」巻之下のなかで「諸国名の有る蕎麦の事」に播州・舞子浜敦盛そばが登場している。
江戸時代から明治の初めに繁盛したという須磨の茶店「敦盛そば」で、その昔源平合戦で討たれた平敦盛の塚が西国街道の須磨浦にあったので、その敦盛塚と温かいそばの「熱盛り」とをかけた名前であったともいわれる。

 現在では温かいそばというと「かけそば」系のことになっているので、ここに言う「熱盛りのそば」が品書・メニューのなかにあっていつでも食べられる地域は、全国的に見てもきわめて少ない存在になっていると思われる。
 大阪近県以外は、わたしの知っている範囲で東京の新橋の一軒(といっても京都の熱盛りの店・竹邑庵太郎敦盛が本店?)、九州では熊本・阿蘇から大分・湯布院へ行く途中のたしか水分峠のレストハウスだったと記憶するが、焼いた瓦に茶そばを載せ肉ののった「瓦そば」があった。山口県の川棚温泉発祥の瓦そばがあると聞いたことがあるがそれと同じだったのだろうか。
また、山陰地方の場合は古くから温かい食べ方が主流であり、萩などではつい最近までむしろ冷たいそばのほうが珍しかったと聞く。
さいわい比較的多くの地域のそばに巡り会えたが、少なくとも北海道・東北・関東・甲信越・九州では「熱盛り」を食べている客をみかけることはなかった。

注:このページは、2007年の初めに更新した文章であり、その後、サンケイホール東隣にあった名代そば・ちく満(大阪市北区)や、おそばと落語の会でも知られた手打ちそば処・やまがの2店が閉店している。また、くらわんか舟でも知られる三十石を冠した北浜と京橋の二店も同様である。(2018年10月20日更新)

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