第五章 アキアカネ (3)
2003/09/08 Mon 12:45
昼休みになってもキアは戻ってこなかった。
職員室へ偵察に行こうとした僕は本山に呼びとめられた。
「ちょっと来てえよ」
横柄な口振りにかちんときたが、相手は女の子だ。しぶしぶついて行った先は、以前大宮と一緒に弁当を食べた階段の踊り場だった。
先に来ていた男子上級生が、こちらを見てひょいと手をあげた。
髪は深紅のメッシュを残して赤茶色に染め直し、前をはだけたカッターの下には蛍光イエローのTシャツ。
江坂だ。
本山は僕を置いて階段を駆けのぼり、江坂にぴったりと身を寄せた。
江坂は何のためらいもなく本山の腰に左腕をまわした。
「コレがどうしてもお前に訊いて欲しいことがあるて言うんや。まいるで」
僕はほんの少しだけ頭をさげた。
「急いでいるんで、手短にお願いします」
一応、上級生をたてて丁寧に返事したつもりだったが、本山は不満そうだった。
「誰に向かって口きいとん……」
「ええがな。こうゆう奴や。俺も暇やないし」
へらっと笑いながら、左手は女子生徒のスカートをなでまわしている。
「こいつにやった石ころが、教室でのうなったんやと」
あの宝石のことか。それでさっき女子が騒いでいたのか。
「高価な品物を学校に持ち込んだまま置きっぱなしに?」
「家に置いとったら親にみつかってまうやん。あのばばあ、勝手に人の部屋を掘り返すねんから」
そりゃあ母親なら今のきみを見て心配もするさ。
「体育の授業中は教室に鍵かけとうはずやのに、あんたが入りこんどったて男子に聞いたんよ」
「それは宇多野先生が先に開けていたから……」
「へえ、容疑者が二人になったで」
「先生を泥棒呼ばわりするのか」
「なら、お前が犯人か?」
「僕じゃない」
「聞いたか?」
江坂は本山の耳に息がかかりそうなほど唇を近づけた。
「こんなんで何もわかるかいな。もうええやろ。あきらめぇな。光りモンが欲しいんなら、またやるけ」
本山はぷくっと頬をふくらましたが、そこを江坂につつかれて吹き出した。
「あん、いけず」
僕は肌をミミズが這うような気持ち悪さに耐え、二人を残してその場を離れた。
後ろでけらけらと笑う声が聞こえたが、振り返る気にもなれなかった。
それでも、江坂がクマゼミを投げたときと同じ目で僕を見ていることは感じていた。
教室には戻らず、職員室にむかった。ちょうど玉出先生が廊下に出てきて並びの生徒指導室をノックしたところだった。ドアを半開きにして顔をだした伏見先生が、一言二言玉出先生に声をかけてすぐにひっこんだ。
ぼくは職員室に入ろうとした玉出先生の袖をつかんだ。
「葺合はあそこにいるんですか」
玉出先生は眉をしかめて生徒指導室をちらっと見た。
「伏見先生が面倒みとう。手助けはいらんそうや」
「じゃあ、僕から伏見先生に説明を……」
「呼ばれもせんのに、でしゃばらんでええ」
「でも……」
先生は職員室とは反対側の壁に僕を押しやって低い声で言った。
「これ以上、話をややこしゅうせんとってくれ。あのアホが素直に謝らんせいで、教師ものぼせてもとんや」
「葺合は悪くないんです」
「いちいち横から弁解したるんが友情やないで。落ち着け」
僕よりも落ち着いていないのは先生だ。
伏見先生の石頭には、玉出先生でも手を焼くのか。
キアのことは心配だったが先生は譲ってくれる気などない。しぶしぶ教室にもどるより他はなかった。
SHRが終了したあと、もう一度生徒指導室に行ってみた。
部屋はがらんと開け放されていて誰もいなくなっていた。
職員室をのぞいてみたが、キアはおろか伏見先生も玉出先生もいなかった。安土先生ににらまれ、黙ってひきかえした。
階段をのぼりきったあたりで大人の男の人の怒鳴り声と女子生徒の泣き声が聞こえてきた。目の前の一年C組の教室から数人の生徒達がそそくさと出て行った。
今度は何の騒ぎだ。
僕はいいかげん、うんざりしながら教室にはいった。
宇多野先生がケージの前で大宮に詰め寄り、大仰に両手を振りまわしていた。右手につまんでいるのは本山のピアスだ。
「もう片方はどこへやった?」
先生は唾を飛ばして甲高い声をあげた。
同じ質問を何度もされたらしく、大宮は泣きはらした顔で単調に返事した。
「餌入れで一個みつけただけです。本当にそれしか知らないんです」
「なんでこんなものが鳥かごから出てくるんだ。お前が盗ったのか。もう片方はどこに隠した」
大宮はわけがわからないという顔であたりを見まわした。ほとんどの生徒達は教室を出てしまったあとで、残った数名も何も言おうとしなかった。先生の目つきを見れば、まともな会話が成立しないことは明らかだ。
「餌を掃除してたら出てきただけです」
大宮の精一杯の返事も先生をますます刺激しただけだった。
先生はいきなりケージをつかんでひっくり返し、底板を引き抜いて巣箱をつかみだそうとした。
水と餌が散らばり、文鳥が鋭い叫びをあげてめちゃくちゃに羽ばたいた。
「やめてください!」
大宮が先生の腕にすがったはずみでケージが音をたてて転がり落ちた。大口をあけた底部から文鳥が飛び出して、教室の窓枠に飛び移った。あっという間もなかった。小鳥は開け放たれた窓から雲の垂れた鈍色の空に飛びたった。
大宮は両手で口を覆ってその場にへたりこんだ。呆然と窓を見つめ、うつむいて嗚咽をもらした。
御影が先生の横をすりぬけて大宮の前に膝をつき、空っぽのケージを拾い上げた。
「なんだ、お前は。その態度……」
宇多野先生は御影まで怒鳴りつけようとしかけたが、僕が見ていることに気がついてあわてて口を閉じた。頭にのぼった熱がすっとひいたようだ。
とりつくろうような咳払いをしてピアスをワイシャツの胸ポケットにすべりこませた。
「校則の禁止品だ。拾得物だが、学校預かりになるぞ」
先生は今までのやりとりなどなかったみたいな顔をして見かけ平然と教室を出ていった。
僕は教室後方の用具入れから箒とちりとりを持ち出して床に散らばった餌をはき集めた。
そのあいだに御影は拾った餌箱と水入れに新しい餌と水を入れなおして元通りケージにセットした。
「あの子が帰って来たときに家がなくなってたら困るでしょ」
明るい声をかけられて、大宮は涙をぬぐいながら少しだけ笑った。
2003/09/09 Tue.
始業前の教室に生徒が登校してくるたび、さざなみのように噂話がひろがっていった。一晩あけたことで生徒達の気分も落ち着き、おしゃべりのねたにする余裕ができたのか。直接僕に話しかけてくる者はいなくても、耳をそばだてているだけで大筋はつかめた。
伏見先生が体育館に戻ったとき、門真とキアはまだあのままにらみ合っていた。先生はその場で二人を一喝し、指導室に引き立てて説教した。門真はべらべら自己弁護を話して止まることを知らず、授業をさぼろうという魂胆がみえみえだったので、すぐに追い返された。
キアは一言も口をきかなかったことで何時間も生徒指導室に閉じこめられた。最終的に解放されたのが何時だったのか、知っている者はいないようだった。
同じ頃、住之江の母親が校長室に乗り込んできた。息子のけがの原因について教師達に問いただしたらしい。
伏見先生は住之江のことを、いつ誰からどんなふうに聞いたんだろう。
キアは予鈴ぎりぎりに登校してきた。僕を見ようともせず、最後列の自席に足を投げ出して座った。
転校してきた直後と同じ、人を寄せつけない雰囲気にたじろいだ。
声をかけたものかどうかと迷っているうちにSHRが始まり、めずらしく時間通りに宇多野先生が現れた。
「昨日、体育の授業中に暴力事件があった」
今朝は先生まで一学期に戻ったみたいにしゃんとしていた。
「今日の放課後、保護者同伴で加害者から被害者に謝罪をさせる。親が来る前に逃げたりするなよ。わかってるな。門真。葺合」
声に出して抗議するのをがまんするために、拳をにぎりしめた。爪が手のひらに食い込んだ。
なんでキアの親が呼ばれるんだ。いったい教師達は体育館で何があったかわかっているのか。住之江から事情を聞かなかったのか?
「お前達も、親を呼ばれたくなかったら、ちょっとは態度を慎め」
後席の女子が僕の椅子の脚をけとばした。
「今まで保護者の呼び出しなんてしたことないやん」
「住之江の親父が大学の先生やから、校長もびびってんのよ」
聞こえよがしの放言を先生は無視して出て行った。
僕はキアの席の横に身を屈めて小声で訊いた。
「どういうことだよ。お前、ちゃんと説明しなかったのか?」
キアは面倒くさそうに髪をかきあげた。
「聞きたい返事しか待ってへん奴に何が言える?」
「お父さん、来るのか?」
「知るか。校長が勝手に電話しとったわ」
「家に帰ってからお父さんと話はできたのか?」
「仕事で出たまんまやから、昨夜は会うてへん」
「じゃあ、校長はどうやって連絡を……勤め先の電話、お前が教えたのか?」
「時間がなかった。夕刊配達に遅れたら、今度こそクビや」
キアはそこまで淡々と応えて生あくびをした。なんだか目の表情が虚ろだった。
目の上の痣を見せられたときと同じだ。父親の話になると、キアはいつものキアでなくなってしまう。
「もうええやろ。今日も早いとこ済ましてバイトに行かんならん」
それ以上、話は続かなかった。
住之江は二限目の途中から登校してきた。
赤黒く腫れた唇がめくれて、抜けかけた前歯を金属の装具で固定しているのがのぞいていた。
怯えたように僕の視線を避けていたが、ここで引き下がるわけにはいかない。
休み時間、教室の片隅に追いつめて疑問をぶつけた。
「おい。いったい先生たちにどんな説明をしたんだ?門真に何をされたか言わなかったのか?」
「そんなこと……ちくったら仕返しされるし……」
「じゃあ、葺合に助けてもらったってことも言ってないのか?」
「先生が……伏見先生が、あいつらが悪いんやろてそればっかり……怖い顔して聞くから」
「それで?」
「はい、はいって返事しただけ……」
「それじゃ事情が通じないだろ!葺合は……」
住之江は上目遣いに僕の顔をうかがった。
「葺合くんは仕返ししないよね?」
「……だからって……」
あきれ果てて絶句してしまった。
門真が怖い。伏見先生が怖い。怖くないキアになら、何をしても許されると思っているのか?
「住之江、今からでも遅くない。先生に本当のことを……」
「無理だよぉ。もうマ……お母さんも知ってるもん。お母さん、めちゃ怒ってるのに……」
母親も怖いのか。叱られて言い訳をする幼児のように目を潤ませた住之江を見ていると、何を言っても無駄に思えて気持ちが萎えてしまった。
こいつ、いったいどんな顔をして葺合親子と顔をあわせるつもりなんだ?
六限目が始まってまもなく、校舎裏の来客用駐車場にシルバーグレーのプリウスがすべりこんできた。運転していたのは住之江の母親だ。
授業が終わるとすぐに宇多野先生がキアと門真、住之江を呼びにきた。
担任のいないSHRがなしくずしに終了した頃、古ぼけた軽トラックがプリウスの隣に停まった。荷台の横腹には聞き慣れない会社の名前がペイントされていた。
背の高い作業服姿の男の人が、軽トラから降りてゆっくりと職員室のほうに歩いていった。
僕はしばらく教室の窓から駐車場を見張っていたが、二台の他に入ってくる車はなかった。
「門真の親なら来ないわよ」
御影が僕の横に立っていた。
「中央小から来た子に聞いたの。門真くんがいじめられた時もけんかした時も、親は来なかったって。連絡をもらったときだけ調子よく返事しておいて、約束の日には決まって病気になったり仕事がはいったりするんだって」
子供を見放してるのかよ。それじゃあ今日は住之江の母親とキアの父親の一騎打ちか。
僕はなるべく人目をひかないように管理棟の裏口にまわって職員室をめざした。
使われているのは生徒指導室か、校長室横の応接室か。
息を殺して周囲の物音に耳をすました。
二、三分たっただろうか。唐突に何か重いものがぶつかる音とがらがらと崩れ落ちるような音が校舎中に響きわたった。
目の前の応接室の引き戸ががらりと開いて、男子生徒が転がるように走り出てきた。
住之江だ。何もない廊下の真ん中で転倒し、そのまま四つん這いになってばたばたと壁際に身を寄せた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
頭を両腕でかかえて防御呪文でも唱えるようにくりかえし叫んだ。
僕は扉が開いたままの応接室に駆け込み、息をのんだ。
もうもうと埃の舞う部屋の奥では、大型の書棚が倒れて木製のデスクにもたれかかり、表紙が硬くて重そうな本が散乱していた。
その場の人たち……教頭先生、伏見先生、宇多野先生、住之江の母親、それに門真は、応接椅子にすわったまま、ひとり立っている長身の男の人を呆然と見あげていた。
書棚と机のあいだにできあがった本の山から、スラックスの裾と上履きだけがのぞいていた。男の人はその足首を片手でつかんでキアを引きずりだし、部屋の外めがけてゴミ袋のように放り投げた。
埃まみれの身体が住之江の足元にどさりと落下した。
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