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第三章 フンコロガシ (3)

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2003/07/08 Tue.

 朝のTVでは日本海側を通過する低気圧が梅雨前線を刺激していると言っていた。窓をたたく雨粒の音はどんどん大きくなってうるさいほどだ。校庭のサクラの木もざわざわと枝を揺らしていた。
「日直かわってくれよ」
 三国に頼まれて引き受けてしまってから気がついた。
 明日から期末考査が始まる。
 あいつら今日決行するつもりか。
 けっこうだ。こっちだって早いとこけりをつけたいと思っていたのだ。
 僕は六限の終了後、なにげないふりをしてキアに手書きのレポート用紙を手渡した。
「数学の予想問題。今日はこれだけ家で復習しといてよ」
 キアはもの問いたげに僕を見た。
「さきに帰ってて。日直の用事が手間取りそうだから」
 あいつらはきっと、四月の一件を蒸し返してくるだろう。転校してくる前のことでキアをわずらわせたくはない。

大雨強風注意報が発令されたとあって、ほとんどの生徒たちはそそくさと帰宅していった。
 僕が学級日誌を職員室に届けて戻ってきた頃には、教室には数名の生徒しか残っていなかった。
 このタイミングを待っていたのだろう。鞄をもちあげた僕に高井田がすり寄ってきた。
「ちょっと顔かせよ、カア公」
「いやだ」
 立ち上がって振り向いた時にはもう、三国と淡路、茨木に囲まれていた。
「ちょっとくらい、ええやろ。俺らの部室につきあえ」
「いやだ。話があるなら、ここですませたらいい」
 なおも言いつのろうとした高井田を制して、淡路が思わせぶりに嗤った。
「好きにさしたれ。せっかく内々の話にしたろ思うたのに、よっぽど人前で恥かきたいらしいな」
 僕を取り囲んだ連中は誰も手を出してくるそぶりを見せなかった。
 ここで僕が無理矢理包囲を突破して帰ろうとしたら、先に暴力をふるってきたと難癖をつけるつもりだろう。以前キアにちょっかいをかけた時とは違って、あらかじめ指示をだしているやつがいるのだ。
 教室にいた他の一年生たちは、こそこそと後部の出入口に向かおうとしていた。
 茨木が偉そうに言いはなった。
「なんも怖がるこたないやろ。お前ら、出て行かんでもええねんで」
 そこから動くなと言われたも同然だ。
 生徒たちは教室の隅に身を寄せ合って縮こまった。
 そこへ、ふたりの男子生徒がのっそりと入室してきた。
 門真と……。
 なんで……キアが……。
 今まで平静を装っていたのに、膝ががくがくと震えだした。
 淡路は明らかに僕の動揺を楽しんでいた。
「ひとりやったら心細いやろ思うてな。お友達を連れてきたったで」
 キアはじろりと室内を眺めわたして、不機嫌そうに腕を組んだ。
「烏丸に指一本でも触れてみい。どないなっても知らんで」
「そない怖い顔せいでも、俺ら穏便に話しあいたいだけや」
「ごたくはええ。さっさと終わらせろ」
「そう、せくなって」
 淡路に合図されて、また高井田がしゃしゃりでた。
「千林との勝負、どないや。勝ち目はありそうか」
「ああ」
「えらい自信やな。けど、全教科はきついやろ。いくら頭ようても最後は運や。気ぃ抜いてついうっかりとか、なんぼでもありそうやな」
「そういうことにはならない。僕は最後まで手は抜かない」
 虚勢に虚勢ではりあった。
 本当は、この先の話をキアに聞かれると思っただけで頭がくらくらしていた。手遅れだ。後悔したってもう後戻りはできない。
 高井田は僕の余裕のなさに気づいているんだろうか。肩をいからせて低い声で威嚇してきた。
「烏丸ぁ。四月に俺らと約束したこと、けろっと忘れてもたんやないか。最近ちいと態度でかいでぇ、お前」
「あの時のは約束なんかじゃない。脅しだった」
 声が震えているのがばれているだろうか。
「脅されてびくついた僕がばかだった。でももうこれ以上我慢し続けるのはまっぴらだ」
「はあ?何えらそぶっとんねん。ちいと味方が増えた思うて、いい気になりよってよぉ」
 高井田はスラックスのポケットから最新機種の携帯電話をひっぱりだすと、待ち受け画面を開いて僕に見せびらかすように振り回した。
「ここに何がはいっとうか、お友達に教えたってもええんかなぁー」
 キアが何かを言おうとしたのに先んじて、僕はどなった。
「言われなくても、自分で説明する!」
 耳からはいった自分の声が頭の中でわんわんと反響した。
「入学してすぐに、こいつら僕の友達を恐喝(ゆす)ろうとした。止めにはいった僕だけがつかまって旧校舎にひきずりこまれた」
 崖から突き落とされるくらいなら、自分から飛び降りてやる。
「服を剥がれて素っ裸の写真を撮られた。それをネットに流すって脅されて……」
 声がうわずって、最後はほとんど悲鳴になった。
「土下座して許してくれって泣きわめいた。もう二度と逆らいませんって自分から言った……」
 高井田は唖然として僕を見ていたが、我に返ると自分が侮辱されたみたいに真っ赤になった
「何えらそうにくっちゃべっとんや、だぼかす、どマゾ、そないにいたぶられたいならやったろやないか!」
「もういい!どうとでも好きにしろ!それでお前らが無事で済むと思うなよ!」
 一歩前へ出て指を突き立てた。高井田に。その後ろの淡路に。
「お前ら、自転車ドロで本署の刑事さんに目をつけられてるだろ。週刊誌の記者やTV局が刑事さんに張り付いてるの、知ってるか。僕の写真を公開するなら、全員実名でたれ込んでやる。校長も江坂も道づれにしてやるからな!」
「だぁまぁれええ、くそがき……」
 高井田が両手を振り上げて僕につかみかかろうとした。横から飛びこんできたキアが、その手をつかみ、勢いにのせてひるがえした。
 高井田の身体が宙に浮いた。背後の椅子に落下してもろともに転がった。携帯電話が机の脚にぶつかってはねとんだ。
「やりぁがったな!」
 茨木が血相を変えてキアに飛びかかった。キアは身を沈めた位置から茨木のむこう脛めがけて蹴りを放った。
 よたついた茨木は反対側からつっこんできた淡路にぶつかった。キアは二人の間をかいくぐって前転し、高井田の携帯に手を伸ばした。
 一瞬早く、携帯を拾い上げたやつがいた。
「ええかげんにせえよ。誰が先に手ぇ出せ言うた」
 売布が冷ややかな目で周囲の惨状を見降ろしていた。
 転びかけて机にしがみついた淡路とその足元に手をついた茨木、背中をまるめてうずくまっている高井田。
 キアは僕に背を向けたまま、売布を警戒しながらゆっくりと立ち上がった。
「自分の身ぃ守る気もないアホ共にまじでつっかかるやつがおるかよ」
 売布は抑揚のない低い声でつぶやくように言った。
「自爆テロにはまんのは勝手や。けど、えーさんに迷惑かけたらどないなるか、わかっとうな」
 そうして両手でつかんだ携帯をぐるっとねじった。ヒンジがべきべきと音をたてて割れ、ちぎれた機体の端から細い電線が臓腑のように垂れ下がった。
 高井田が獣のようにうなったが、抗議のことばにはならなかった。
 売布は機械の残骸をぽとりと床に落とし、液晶画面をつま先で踏みにじった。
「淡路」
 いきなり呼びかけられて、巨体がびん、と直立した。
「そいつら連れて部屋に来い」
 足音もたてずに教室を出て行った売布のあとを他の連中がどたどたと追いかけた。
 高井田は振り向いて僕に悪態をつこうとしたが、茨木に襟をつかまれてひきずっていかれた。
 教室の後ろにかたまっていた一年生達は、騒ぎに乗じてとうに姿を消していた。
 急にがらんとした室内で、キアがとうとうこちらを向いた。
 目があうより先に顔をそむけ、鞄をつかんで逃げるように教室から走り出た。
「ラス!」
 追いかけられているのはわかっていたが、足を止めずにまっすぐ校舎の出口を目指した。
 重い扉を押しあけて外へ出た途端に、横殴りの風と雨に押されて身体が傾いた。
「ラス!」
 傘もささずに駆け出して、数メートル行ったところでコンクリートの路面を流れる水に足をとられた。グラウンドに転げ落ちて泥んこの水たまりに片膝をつっこんだ。後ろから助け起こそうとしたキアの手をはねのけた。
「ひとりで帰る……」
「あほ!」
 キアは僕の両腕をつかんで校舎までひきずって戻った。
 小柄な身体のどこからこんな力がだせるのか。僕らがくぐり抜けたひょうしに扉がきしみながら閉まり、風雨の音がすっと遠のいた。
 僕はキアの両手に押さえられ、壁に背中をはりつけて肩で息をしていた。
 真正面で大きく見開かれたキアの目に小さな人影が映っていた。
 ぐしゃぐしゃの髪から水滴をしたたらせ、泥はねのついた顔を震わせている貧相な子供。
 これが周りに見られている僕の姿か。
 そう思うと、ひとりでに笑いがこみあげてきた。
 こんなコバエが一匹、はたき落とされたところで誰も気にしない。世間は何も変わらないだろう。
「ラス……」
「大丈夫。正気だよ」
 くすくす笑いを深呼吸でおさめ、キアの手をそっとひき離した。自分の足でなんとかまっすぐに立った。
「大丈夫。明日からが本番なんだから。ここで逃げ出したりはしない」
「……びしょびしょやで」
 そう言うキアのシャツもべったりと胸にはりついていた。
「この暑さだもの。風邪なんかひかないよ。でも、濡れたまま帰るわけにもいかないかな」
 僕はキアについてくるよう合図して、校舎の奥に向かった。
 壬生先生は帰宅したらしく、灯りの消えた保健室はドアも窓も施錠されていた。僕は部屋の前の机に置かれた「ご意見箱」をひっくりかえし、ナンバーキーを解除して箱の中に手をつっこんだ。紙切れをかきわけて真鍮の鍵をとりだし、それを使って保健室のドアを開けた。
 キアは狐につままれたような顔をしながら、僕について部屋に入った。
「壬生先生は非常用シェルターのつもりなんだ。知ってる生徒は二、三人かな。他の先生には内緒だよ」
 リネン庫からタオルを二枚ひっぱりだして、一枚はキアに投げてやった。頭をごしごしと拭き、スラックスの泥はねもなるべくていねいにつまみとった。
「なんでお前が……」
 そう言いかけてキアは急に押し黙り、受け取ったタオルを自分の口元に押しあてた。
 気がついたね。壬生先生は僕の身に起こったことを知っているんだよ。

 保健室の鍵をもとどおりに閉めて出入り口に戻った頃には、風雨はさっきよりほんの少し弱くなっていた。
 今度は傘をさして足元に気をつけながら外に出た。
 キアは傘立ての横にひっかけてあった雨合羽をまとって僕の後に従った。
 傘を風上に向けて支えながらゆっくり歩く僕の背後、手をのばせばすぐに届く距離をあけてキアは黙ってついてきた。どちらもひとことも口をきかないままに国道を過ぎ、住宅街の歩道を過ぎ。
 自宅の前までたどり着いてようやく振り返ると、雨合羽はすでに来た道をひたひたと引き返していくところだった。
 今から夕刊の配達に向かうのだろうか。
 巻きこみたくないとか何とか言い訳をして、本当は自分の汚点を知られたくなかっただけ。下手な小細工をしかけて、かえってさんざんな迷惑をかけてしまった。
「……ごめん……」
 聞こえるはずもない謝罪をして、誰もいない歩道に頭をさげた。
 それからもう一度背筋をのばし、普段通りの顔をつくって玄関ドアのノブに手をかけた。


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