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第二章 ヒラタクワガタ (4)

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2003/05/26 Mon.

 各教科の担任からテスト結果の返却が始まった。
 三限目数学の安土先生はパソコンで作成した素点の度数分布グラフを全員に配った。
 四限目は自習だったので、生徒たちは仲の良いもの同士、額を寄せ合ってひそひそと情報交換を始めた。
 真ん中あたりの成績だと団子状態で細かな差はわからない。生徒たちの関心は自然と分布の両端に向く。
 僕は上から三番目。宿題以外は全然勉強していなかったのだから、こんなものだろう。上位二人は御影と千林に決まっている。
 男子の一団にひっぱりこまれた住之江が、周囲に聞かれるままに何やら返事して笑い物になっていた。
 高井田と門真はとっくに教室から消えていたが、いじめ役がワンランク下に換わっただけ。最下層の立場は変わりようがない。
 しばらくすると、何人かの男子に背中を押されるようにして住之江が教室の後方に歩いてきた。葺合の席の真正面に立つと、他にどうしようもないといった感じのうす笑いをうかべた。
「葺合くんが転校してきてくれたから、僕の数学の点数、ドンゲツじゃなかった。ありがとう」
 台本を棒読みするような口調だった。
 僕はぎょっとして立ちあがりかけた。御影が僕の制服の袖口をつかんで引き戻した。
 教室内は一瞬、水を打ったように静かになった。
 葺合は知らない外国語で話しかけられでもしたみたいに、ぱちぱちとまばたきして住之江を見つめた。
 やがて口の端をきゅっともちあげて笑うと、意外なほど落ち着いた声で言った。
「そのせりふ、今さっき覚えさせられたんやろ。誰に教わった?」
 住之江は何か答えかけてあわてて口をつぐみ、ぶんぶんと首を横に振った。
「ふん。言うたらあかんてか。そいつは、今、教室に、おらん、やつか?」
 住之江はまた首を横に振った。葺合が怒ったりどなったりしないので、目に見えてほっとしている。
「女か?」
「ううん」
 また首を横に振った。ちゃんと答えられる質問をしてもらえて嬉しそうだ。
「窓際の席のやつか?」
「ちがう」
「一番廊下側の席のやつか?」
 返事しようとした住之江の背後でひゅっと鋭い音がした。
 僕が叫ぶより先に葺合が席を蹴って立ち、住之江を突き飛ばした。椅子が机にぶつかって、がたんと大きな音をたてて倒れた。住之江はその横に尻餅をついて目を白黒させた。
 葺合は伸ばした右手に何かを受けとめて握りしめ、前のほうの席にかたまった連中をにらんだ。
 ゴルフボールだった。
 それを投げ返そうとするかのように振りかぶった。僕はあわててどたばたと葺合に駆け寄った。彼の前に立ちふさがってから、ボールをぶつけられたら痛いかも、という考えが浮かんだ。
 次に誰かが動くより先に、がたがたと戸を引きあけて玉出先生が入ってきた。
「静かに自習せんか……おい、そこ何しとる?」
 先生は葺合に真っ先に声をかけた。葺合は黙って振りあげた腕をおろした。
「何を持っとんや」
 返事をするかわりにゴルフボールを先生に手渡した。ちらっと見えた手のひらが赤くなっていた。先生はボールと生徒を見比べて眉をひそめた。
「ここで投げるつもりやったんか?」
 葺合はまっすぐに先生を見た。にらみ合った二人のあいだに僕がわってはいろうとした時、四限目の終了を告げるチャイムがなった。
 先生は舌打ちしてボールをジャージのポケットにつっこみ、出口に向かった。
「没収や。放課後、職員室まで取りに来い」
 玉出先生がいなくなると、生徒達は一時停止ボタンを解除されたビデオのように動き出した。葺合と住之江に近づく者はいなかった。

 葺合はいつもどおり、何事もなかったかのように教室を出て行った。
 僕は弁当箱を胸に抱えてそのあとを追い、校舎を抜け出した。
 葺合は一度だけ振り向いた。何も言わずに向きなおり、ずんずんと雑草の茂みの奥へ入っていく。
 フェンスの下をくぐり、藪の踏み分け道を歩き、青池に着いた。
 校則違反だとわかっていたけど、不思議と後ろめたさは感じなかった。
 池のほとりでは野球帽のおじさんがクロマツの幹にもたれてたばこをふかしていた。
 僕は
「こんにちは……」
と呼びかけてから、自己紹介もしていないことを思い出した。
「烏丸聡です」
「楠正成(くすのきまさしげ)や。今朝のビワはうまかったで」
 おじさんはまじめくさってそう言うと、軽く手を振ってくれた。
 僕らは水辺に並んで腰をおろし、それぞれの昼飯を広げた。
 カボチャの甘煮と竜田揚げを弁当箱の蓋にのせて葺合の前に押しやり、彼の膝からトマトサンドを一切れもらおうと手を伸ばした。
 葺合は僕よりさきにトマトサンドを取り上げて口に放り込んだ。
「お前はやめとけ。腹壊すぞ」
「こないだは平気だったよ」
「たまーに、当たりの悪いのがあるんや」
「それじゃあ、きみだって危ないんじゃないか」
「……きみぃ……」
 葺合がぶるっと身をふるわせた。詰め襟からちらっとのぞいた首筋に鳥肌がたっていた。
 僕の言葉遣いのせいだ。身についた関東ことばのせいで、今まで何度も「ええかっこしい」だの「きしょい」だのと言われ続けてきた。いやな思い出のせいで耳が赤くなった。
 葺合は僕の反応をうかがって困ったように頭を掻いた。それから竜田揚げをつまんでゆっくりと食べ始めた。
「お前の母ちゃんが作ったんか」
「……うん」
「料理うまいな」
「うん」
「俺のオカンには負けるけどな」
「…………」
 なぐさめられてるんだか、ばかにされてるんだか、訳がわからなくなった。
 黙って食事をすませ、ひとり立ち上がって隣の林に歩いていった。
 目印をつけておいたあたりの落ち葉をかきわけ、地面を木の枝でほじくりかえすと、小さな白い骨がほろほろと出てきた。
 シデムシの幼虫に食いつくされたネズミの骨だ。柔らかい組織はなくなり、きれいに乾いてにおいもしなくなっていた。
 葺合がいつの間にか背後に立っていた。
 僕は枝の先で骨を埋め戻しながら言った。
「さっき、なんで先生に言わなかったのさ。ボールは投げつけられたんだって」
 葺合は肩をすくめて手にしたレジ袋をくしゃくしゃとまるめた。
「誰が投げたか、お前見てたか?」
「……ううん……わからなかった」
「道具を使うたんかもしれん。目だたん動きやった」
「そばにいた連中にはわかったはずだろ」
「あいつらがチクると思うか?」
「……」
「住之江かて何がおこったかわかってへん。何されたとかも、よう説明せんやろ」
「でも……き……葺合くんは見たんだろ?」
「他に証拠がない」
「名前くらい言ったっていいじゃないか」
「先コが信用するか?」
 僕はあらためて、前の席にかたまっていた男子連中を思い浮かべた。成績も素行もそこそこで、ふだんはちっとも目立たない集団。少し離れたところには千林と三国、数名の女子もいた。
 玉出先生の目からみたら、葺合よりも面倒ごとを起こしそうな生徒は誰もいなかっただろう。
「でも、黙ってたらまるで葺合くんが悪いみたいじゃないか」
 返事がかえってこなかったので、僕も口を閉じるしかなかった。
 学校の敷地内に戻ろうとフェンスをくぐった僕らは、妙な音を聞きつけて顔を見合わせた。
 そっと首を持ち上げてみると、旧校舎横の雑草の茂みを住之江がうろうろと歩きまわっていた。さっきから口の中でもごもごとつぶやく音が聞こえていたのだ。
 住之江は僕らをみつけて、一段と大きな情けない声をあげた。
「烏丸くんー、葺合くんー、どこに行ってたんだよぉ」
「ずっと僕らを捜してたのか?」
 背後で葺合がため息をついた。


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