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第四章 巣立 (3)

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2006/05/17 Wed. 09:10


 朝刊の社会面の隅に、べた一段の小さな記事が載った。明峰学園の敷地内に何者かが侵入し、生徒に見とがめられて逃走時に軽症を追わせた、とだけ書かれていた。
 僕は父さんの運転するワゴンRに乗り、寿荘でキアを拾って学園に向かった。
「『事件被害対策委員会』は武道館に設営されてるよ」
「なんでまた?」
「本館の事務所には事情を知らない保護者からの電話連絡がひっきりなしにはいっていたようだし、業者の出入りなんかも急には止められなかったようだね」
 雑音の届かないところで、話の通じている者だけで話をつめておこうってことか。
 雨上がりの空気は澄み、つややかな緑に囲まれて、古びた建造物たちもすっきりと若返って見えた。生徒たちがいないせいだろうか。鳥たちの声はいつもより遠くまで届き、ムシたちの気配もいつもより活発な気がした。頭上の空はぬけるように青かったけれど、僕の気分は晴れなかった。
 駐車場から坂道を上る途中で、通学鞄をさげた高塚に出会った。
「学校休みなんて、いつ決まったん?」
「ゆうべ電話連絡がまわってこなかったかい。せっかくだから、一緒に来いよ」
 武道館の入り口では堂島さんが待っていた。
「滋の保護者代行や。文句あっか」
「ようガッコとポリが認めたな」
「断れば後でよけいに詮索される、という判断だよ」
 父さんがさらりと言った。その判断にはあなたの意見が反映してるんでしょ、とは僕は言わなかった。
「しょうもないことして烏丸さんの足ひっぱるなよ、くそガキ」
「お前かておとなしゅう黙っとれんのかよ、くそデカ」
 いつもの掛け合い漫才を、高塚は目をぱちぱちさせながら聞いていた。
 御影のお父さんも到着して、ほどなく僕らは道場に足を踏み入れた。
 板間にはビニールシートが敷かれ、折りたたみ式の長机とパイプ椅子がロの字型に並べられていた。
 会議は型どおり、学園長の挨拶から始まった。
「お忙しいなかお集まりいただきありがとうございます。このたびは学園内で本来あってはならない事件がおこりましたことは、すでにご連絡さしあげたとおりです。この会では、被害にあわれた生徒さんの一日も早いご回復を祈りますと共に、今後副次的な被害の拡大を防ぎ、他の生徒さんたちや保護者のみなさんの不安を軽減すること、二度とこのような事態が生じないための対策を講じることなどを目的としまして……」
 キアがあくびをかみ殺した。
 長ったらしい挨拶の次は参加者の自己紹介だった。
 正面には学園長と理事長、籠川署の刑事が二人。向かって右手には理事数名と教師たち。高等部長、教務部長。生徒指導担当。入学式以来、ろくに会話したこともない顔ぶれ。
 左側にはPTAの役員をつとめる保護者たち。ほぼ全員がOB会・自警団シニアメンバーであることは、会社四季報や人事通信で確認済み。御幣島や自警団幹部生徒の親はいない。
 手前には被害生徒の保護者たち。烏丸篤、御影拓真、そして塩屋鷲太郎。
 御影のお父さんは神経質そうに細いネクタイを締め直していた。
 塩屋のお父さんは息子そっくりの長身で、年齢を感じさせないひきしまった体躯の持ち主だった。
 僕たち生徒と堂島さんはオブザーバー扱いで、親たちの後ろに椅子だけ並べて座らされた。そのためはじめは塩屋氏の背中しか見えなかったが、挨拶に立ったときの声は古寺の鐘みたいに響いた。座りなおして隣の御影さんのほうを向いた時にちらりと横顔が見えた。何を考えているのか容易にうかがわせない深さだけは父さんに似ているかもしれない。
「ビジネスマンちゅうより軍人に見えるで」
 キアが僕にだけ聞こえるようにささやいた。
 議事は事件の事実確認から始まった。
「被害者支援の見地から、今回は籠川署に特別のご配慮をいただいております。記者会見での公表用にまとめられた範囲ではありますが、今までの捜査で判明した事実をここでお話ししていただけるとのことです」
 若いほうの刑事が咳払いをした。
「事件の第一段階は、昨日午後四時三十分頃、明峰学園高等部一年生の御影涼香さんが学園敷地内の雑木林を歩いておられたところ……」
「待ってください。涼香はなぜそんなところにひとりでいたんですか」
 御影のお父さんが割って入った。
 刑事は手元の書類を指でたどった。
「ええと、同級生の証言によると、烏丸聡さんからメールで誘いを受けた、ということですね。メールの文面も見せていただきましたが、自然観察同好会の勧誘活動ということになっています」
 役員席のほうでこそこそと誰かが私語をかわした。
 刑事が続けた。
「実際、その少し後で烏丸聡さんと葺合滋さんが林にはいり、御影さんと合流しています」
「明峰の生徒でもない葺合くんがなぜそこにいたんです?」
 また御影さんが質問した。
「葺合滋さんはこの日の昼、アルバイト先である籠川駅前の中華料理店、桂花園から出前のために学園敷地内にはいっております。これは以前から学園の許可を得ていた業務であります。ただし、事件の起きた時間まで滞在する必要は業務上はなかったと思われます。アルバイト勤務時間終了後自主的に残留したことになりますね」
 今度は理事席で誰かが失笑をもらした。
 御影さんは渋い顔で斜め後ろの僕をにらんだ。中学生の頃から、御影のお父さんは僕らのことをよく思っていなかった。誤解だとはわかっていたけど、日頃はお母さんとしかつきあいがないから、ほったらかしにしてしまっていた。こんなかたちでつけがまわってくるとは思わなかったな。
「被害生徒さんたちが林にいた理由について、検討が必要ですか?」
「その辺はあまり話題にのぼらないように話を運んだほうが良さそうですね」
 高等部長と教務部長が聞こえよがしに話しあっていた。
 今ここで、メールは僕が出したものじゃないなんて言っても、誰も聞いてくれないだろう。
「御影涼香さんの証言によりますと、指定の集合場所へ行き着く前に特定不能の若い男数名と遭遇し、その者たちに脅され、追いかけられたとのことです」
「犯人が何者かはわかっていないんですか」
「その辺の証言は得られていません」
 九割がたは事実だけど、わざと表現をごまかしているところもある。相手が誰だかわからなかったのは顔を隠していたからだ。でも、この言い方ではそんなことは伝わらない。
 だんだん関係者の意図がはっきりしてきた。対策委員会の中では、僕の父さんと御影さん以外はほぼグルなんだろう。この会議の目的は、御影さんの考えを誘導して部外者が犯人だと思いこませることと、僕の父さんを牽制して黙らせることにあるんだ。
 他の保護者に事件の説明をする時、娘に悪い噂がたつことは防ぎたい。そう思えば御影さんは委員会の意向に従うしかない。僕や父さんが事実をあきらかにしようとすれば、ここにいる全員を敵にまわすことになる。
 このあとのシナリオにも想像がついた。
 売布たちを容疑者にしたてて形式的に取り調べる。そのうち、被害者が告訴はしないと言い出す。売布が真実を申し立てようとすれば、自分の悪事もばらさないわけにいかない。証拠不十分で放免されるかわりに、よけいなことは今後口にするな、とでも言うんだろう。学園側の安全管理責任については、雑木林の伐採でお茶を濁すつもりだ。
 塩屋鷲太郎の背中が無言の圧力をかけてきていた。
 こちらの思惑に従っていれば、悪いようにはならない。誰もつかまらないし、お互いにとってまずいこともばれない。嘘も方便なのだから、黙っていろ、と。
 刑事の説明は続いていた。
「……犯人のひとりが最後に目撃されたのは、長田翔人さんから離れて逃走した時です。これが午後五時十分頃のことでありまして、一一〇番通報を受けた警らの巡査が現場を封鎖したのが午後五時二十分頃です。この後は学園関係者と警察によって各出入り口での検問が行われておりますが、部外者の出入りは認められておりません。従って、犯人はこの間に林を出て逃走したものと思われ……」
「えーっ、そんなはずないやん!」
 素っ頓狂な声が道場に響きわたった。その場にいた全員が僕の隣の席に注目した。
 状況がわかっていないのは叫んだ高塚本人だけだ。
 キアがにやりと笑った。
「なんでそない思うんや?」
「だって、あの林の真ん中から十分で抜け出すなんてできへんよ。雨も降ってて、めちゃ暗かったし」
 僕はのんびりと相づちを打った。
「あの刑事さん、明峰の卒業生だよ、きっと」
「そこ、静かにしなさい!」
 生徒指導担当が立ち上がって大声を出した。僕らはしれっと正面を向いて背筋を伸ばした。
「待ってください。この生徒たちは現場にいたんでしょう。どういうことなんですか」
 椅子をひいて御影のお父さんが後ろを向いた。
「聡くん?」
 僕はわざと返事をせずに教師たちを見た。御影さんは席を戻そうとはしない。
 当惑した刑事が書類を置いて僕を見た。
「明峰の卒業生だとかが、今の話に関係あるのかね?」
「刑事さん、小学部からここに通ってたんじゃないですか」
 僕が畳みかけ、刑事はますます困惑したようだ。
「そうなんですか?」
 御影さんの問いかけに塩屋氏が割りこんだ。
「生徒さんにはっきり説明していただこう。むやみに場を混乱させただけとなれば、後で先生にご指導をいただくことになるがな」
 普通に話しているだけなのに、押しつぶされそうな威圧感だ。
 僕は腹に力をため、息を整えてから話し始めた。
「明峰学園の杜は、とても迷いやすい構造をしているんです。僕はほとんど毎日通っていたけど、まっすぐ目的地にたどりつけるようになるまで、半月はかかりました。昨日だって慣れない葺合や高塚はひどい目にあっています。迷わなかったのは塩屋さんや長田……何年も前からこの杜に慣れ親しんだ生徒たちだけです」
「なぜそんなことが言い切れる……」
 生指担が食い下がった。
「御影さんや父さんが実際に歩いてみればすぐわかることです。今の説明の時間どおりに部外者が移動することなんてできませんよ。そのことに気がつかなかったとしたら、刑事さんもここの杜を歩くことに慣れていたからでしょう」
 僕は以前、長田に連れられて出会った小学生たちを思い出していた。
「小さな子供の頃から遊びまわっていれば、自然に慣れて意識しないでしょうね」
「きみは、犯人がうちの生徒だと言いたいのかね」
 教務部長の失言だ。学園長が顔をしかめた。
「外部の人間が迷わずに歩ける場所じゃないって言っただけです」
 御影さんの顔にはありありと疑念が浮かんでいた。
「聡くん。他にも何か知ってることがあるんでないかね。この際、出し惜しみはしないで欲しいな」
「この場で捜査の内容について真偽を云々するのは……」
 教務部長を学園長がさえぎった。
「ここでやめさせたら、御影さんは納得できないだろう」
 僕はポケットから小さな紙箱を取り出し、中身をつまみあげて長机に置いた。
「ハルゼミの脱皮殻です。最初の乱闘のあと、踏み荒らされた地面の上にのっかっていました。こんなにもろいものなのに、つぶれていないし、濡れてもいないでしょ。この幼虫は松林でしか育ちません。学園内でマツが群生しているのは武道館のすぐ南側、つまりどの出入り口からも一番遠い雑木林の北端だけです。そのあたりから林にはいった誰かが通りすがりにひっかけてきて、事件の最中に落としていったんでしょう」
「そんなものが何の証拠になる?」
 教務部長がなじった。僕は冷静に応えた。
「証拠としては弱いですよね。御影さんにきかれたから、話しただけです」
 会場はしん、と静まりかえった。
 塩屋氏が蔑むような態度で言い放った。
「入学してたかだか二ヶ月のきみに、愛校心や伝統への敬意を期待しても無駄だろうな」
 席を蹴って何か言いかけたキアを、僕はすばやく腕を伸ばして制した。
 出る杭は打たれる。毎度のことさ。今はつっかかっている場合じゃない……
 それまで教師たちと僕のやりとりをぽかんと聞いていた高塚が、ぼそぼそと言った。
「烏丸くんは、この学校が好きなんやと思うけどな」
「なんで、そない思う?」
 堂島さんが静かにきいた。
「クラスの連中や林の生き物のことで、いっつも一生懸命なんかしてたやん……何してたんかはようわからんかったけど」
 精一杯張りつめていた僕の気持ちが、膝を後ろから押されたみたいに、かくんとゆるんだ。
「……僕は、ここで出会った友達と、ここの杜のことは好きです」
 よけいなことを話してるな、僕は。
 無駄だとわかっていても、今までの反動で黙っていられなくなった。
「みなさんも明峰の杜に育まれた子らなんでしょう。落ち葉の下に隠れたムシたちや、枝に巣をつくる鳥たちと同じ。杜は優しくて、いろんなことを包み隠してくれるけど、そのことに甘えたり、いいように利用したり好き勝手に伐採するのはよくないと思います……」
 道場の外が急に騒がしくなった。数人の言い争う声と何かがぶつかる大きな音がした。
 委員会のメンバーが顔を見合わせた。
 出入り口を大きく開け放って、ずかずかとはいってきたのは塩屋隼一郎だ。制服のカッターの袖口をまくりあげ、上ふたつのボタンははずしたまま。ブレザーもネクタイも身につけていない。
「翔人に手を出したのはこいつだ」
 塩屋は二の腕をつかんでひきずってきた男をゴミ袋のように床へ放り出した。男は長机の足にもろに頭をぶつけて転がった。
「西代!」
 よつんばいになって身体を持ち上げた西代は、床を手でさぐって落とした眼鏡を拾いあげた。かけ直そうとしてレンズにひびがはいっているのに気づき、そのまま握りしめて立ち上がった。
 塩屋がつかみかかりそうな勢いで詰め寄った。
「この裏切り者!」
「場をわきまえろ、隼一郎!なんたる醜態だ!」
 塩屋氏の怒号に役員たちまでがびくりと身を震わせた。
 いつもと変わらぬ冷たい目をした西代と、いつも以上に熱くなった塩屋はにらみ合ったまま動きをとめた。


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