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第四章 巣立 (2)

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2006/05/16 Tue. 17:00


 隠れた連中はなかなか出てこようとしなかった。緊張の糸が張りつめて、今にも切れそうになった時。いきなりふっと気配が消えた。
 枝から落ちたばかりの葉をがさがさと踏んで別の誰かが近づいてきた。
「いったい何の騒ぎだ、これは」
 塩屋は現場を見渡し、御影に目をとめて顔をしかめた。
「警察を呼んだのはきみか。ロータリーで職員ともめているぞ。面倒なことを……」
「もとはあんたの不始末じゃないの!いいかげんにしてよ!」
 御影は金切り声でかみつき、袖口でごしごしと乱暴に顔をこすった。
 塩屋の目が点になった。女の子にヒスられるなんて、生まれて初めてだったんじゃないか。珍獣にでも出くわしたみたいに御影を観察しながら、携帯を開いて短い通話をかわした。
「気が動転してるようだな。今、保健委員を呼んだから……」
 木々の枝を荒っぽくかきわけて、別方向から男二人が姿を現した。
「……戻ってきてもうたやないか!」
 息をきらしながら、キアがののしった相手は高塚だ。
「あれぇ?おかしいな」
「道を知ってる言うたくせに」
「絶対こっちやと思ぅてんけど」
 キアは憮然として僕を見た。
「長田とはぐれた」
 塩屋がきつい目で振り向いた。
「途中で降ろしたのか」
「待ち伏せされて、一悶着あった。その間に消えた。さがそうとしたら、こいつが出てきた」
「団員には勝手に動くな、と言いおいただろう」
「だって、みんなどっかに行ってもて、僕だけ取り残されたんですよぉ。林の方角が騒がしかったから、きっとそっちにおるんやと思って。うろうろしてたら悲鳴が聞こえた気がして」
「お前、さっきは長田の悲鳴や言うたやないか!」
「だって葺合くんが……」
 塩屋が二人の抜けてきた茂みへ走りこんだ。キアがすぐに追いかけた。
 僕も続こうとして、はたと迷った。飛んできた小石が鼻先をかすめた。
「何ぐずぐずしてるのよ、すかたん!長田くんが危ないのよ!」
 頭を押さえて二個目の小石を避けながら、僕はあわてて行動を再開した。
「高塚はそこで助けを待って。御影を頼むよ」
 まだ日没には早いはずだが、雲はますますどんよりと垂れ下がってきた。林の中はかなり薄暗くなっていた。
 先客が茂みをかきわけて強引に通り抜けてきたあとは歴然と残っていた。小枝が折れてできた空間を塩屋が走り抜けていく。
 人間のたてる音の他には何も聞こえない。杜は突然の闖入者たちにおののいたように沈黙している。ところどころで人の気配を感じたが、僕らが近づくとあわてたように遠のいた。
「ここや」
 キアが立ち止まった。待ち伏せをされた場所だ。
 僕は地面に這いつくばって周囲を観察した。今年伸びかけたコナラの若い枝が折れて散乱していた。上を見上げると、額にぽつりと雨粒があたった。
「あそこの木に何人か登っとった。長田がみつけて、乱闘になった……」
 足跡ではなく、何かをひきずったようなあとが一ヶ所、杜の奥へ向かってのびていた。
「もうひとりいたんだ。どさくさにまぎれて長田を連れ去ったやつが」
 僕が指し示した方向へ、塩屋がまた一番に走りだした。ぴりぴりと神経が逆立って、今にも爆発しそうな怒りを発散していた。
 とうとう大粒の雨が降り出した。足跡を追うのが難しくなって、僕は立ち止まった。
 塩屋はかまわず、まっすぐ奥へと突き進んでいく。僕はキアに目で合図して、少し離れた方向へ分かれて進んだ。
 雨は瞬く間にどしゃぶりになり、地面はぬかるみになって足にからみついた。
 僕らの斜め前方でばきっと枝の折れる音がした。キアがぐん、と足取りを速めた。
 シイの大木をまわりこんだところでみつけた。雨のカーテンのけぶる茂みの向こう。地面に転がってもみあうふたつの人影。駆けよろうとしたキアめがけて、背の高いほうがもう一方を突き飛ばした。
「長田!」
 受けとめた腕の中で長田は声をたてずにあえいだ。両目を押さえた手の隙間からぼたぼたとしずくが垂れていた。
 物音を聞きつけたのだろう。塩屋が駆けつけてきた。その時には相手はすでに杜の奥へ走り去ろうとしていた。
「貴様!」
 怒声をあげて追いかけようとした塩屋をキアがさらに大声で呼んだ。
「手当が先や!こいつ、ようすがおかしい」
 長田はキアのシャツに指を食い込ませてしがみついていた。濡れそぼって額にはりついた髪の下、かたく閉じた両目からはまだ涙があふれていた。
「痛いのか?目が?」
 僕は二人が転がっていた地面にめりこんだプラスチック容器を拾いあげた。蓋のない、ラベルをはがした点眼薬。
 塩屋は大股で戻ってくると、キアの手から奪い返すように長田を抱き上げた。
 僕は携帯を取り出し、震える指で一一九番をプッシュした。

2006/05/16 Tue. 17:30


 現場に到着した笠井署の巡査たちは、型どおりの捜査をしようとして教職員側の頑固な抵抗にあった。それでも負傷者に呼ばれた救急車まで拒むわけにはいかなかった。
 御影と長田は病院に搬送された。残った僕らは教員と警官から順番に質問責めにあった。
 最終的に家へ返されたのが午後六時過ぎ。PTA役員に召集がかかったのは七時前。父さんが学園から戻ってきた時には十時をまわっていた。
 僕は帰宅してから夕食もとらず、自室で布団をかぶってダンゴムシみたいにまるくなっていた。
 雨は少し前にやんでいたが、部屋の空気はじっとりと重く、サッシ戸を開け放っていても暑苦しかった。キアは久しぶりに部屋にあがり、ベッドの脇に待機してくれていた。
 父さんが部屋にはいってきたので、僕はようやくそろそろと布団から這いだした。
「御影と長田は?」
「どちらも軽傷だと聞いたよ。涼香ちゃんのは足の捻挫ですんだ。長田くんが浴びせられたのは散瞳薬だったそうだ。後遺症なんかは残らないよ」
 僕は安堵のため息をついてベッドの柵に寄っかかった。
 父さんは浮かない顔で勉強机の椅子に座った。
「塩屋鷲太郎さんが来ていたよ」
「えっ」
「もちろん、帰国したのは数日前で今回の件とは無関係だ。明峰に顔を出したのは久しぶりみたいだったな」
 なんとなく、いやな予感がした。
「聡。警察に話した今日の出来事、もう一度確かめさせてくれないかな」
 僕の説明を聞きながら、父さんは顎に手をあてて首をかしげた。
「学校関係者の話と、微妙にずれているんだよ。さっきの話し合いのニュアンスだと、林にひそんでいた部外者がたまたま通りかかった生徒たちを襲撃したように聞こえてしまう。近隣の繁華街に出入りしていた他校生が怪しいとかいう噂まで出る始末だ」
「なんだよ、それ。誰がそんな寝ぼけたことを」
「教職員、役員、全員が集まった時にはすでに前提みたいになってしまっていたね。招集をかけた時点で誰かが根回ししたんだろう」
「御影が警察にそんな話をするはずがない」
「涼香ちゃんがどんな証言をしたかまではわからないな」
「御影の親御さんは?」
「大変なご立腹だよ。たいしたケガじゃないとわかって少しはほっとされたけど。事実関係と今後の対策についてきちんとした説明が欲しいと言っておられる。もうひとりの被害者……長田くんの保護者は塩屋さんなわけだが、事件を公にして子供や学校の評判にひびくのはどうか、とか、そんな話を二人でしていたようだね」
「公にするもなにも、もう警察がかかわってるじゃないか」
「その点をどう処置するか、考えている人がいるんだろうね。事件はすでに笠井署から籠川署にひきつがれたけど、捜査をうやむやにするわけにはいかないだろうからね」
「でも、不審者の侵入を見過ごしたとなったら、自警団の面目は丸潰れだ」
「生徒の不祥事を認めるよりまし、という判断かな。被害を最小限に食い止めたのは塩屋くんの手柄になってるみたいだし。学園では明日から事件被害対策委員会をたちあげるそうだ。メンバーは教職員と理事会とPTA役員および被害生徒の保護者。当座の議題は、捜査の進捗状況の確認と、一般保護者向けの説明の方法。緊急の防犯対策として、現場になった雑木林の伐採計画」
 僕はベッドから飛び起きた。
「それが大人の手口かい。身内を守るためならよその生徒も林のムシや鳥たちもどうなってもいいのかよ!」
 キアがこりこりと頬を掻いた。
「お前、売布と杜の生き物と、どっちの心配しよんや」
「両方に決まってるだろ!」
 いらいらと部屋を歩きまわりだした僕をおいて、父さんはキアにも声をかけた。
「きみは塩屋くんに協力した功労者にされているよ」
 キアは肩をすくめた。
「明日のその会議、僕らも同席させてよ」
「授業は休みにするそうだし、当事者なんだから断られはしないだろうけど。委員会のメンバーじゃないから、発言はできないと思うよ。それでよければ」
 父さんは憎たらしいくらい冷静だった。
「劉さんに頼んで、滋くんのバイトを休ませてもらおうか」

 父さんが階下へ降りていってから、キアが口を開いた。
「ラス。狸の巣に乗り込んで何する気や」
「それはこれから考える」
 自分の知らないところで、お手盛りの会議が進むのを黙って待っていられるもんか。
「犯人の見当はついとんか」
「直接わたりあったお前のほうがわかるだろ。上級拳法部員の身のこなしは特徴的だ。へたくそなほうはお前の顔を見てびびった。昨日集まっていた下級生部員の誰かだよ。もうひとりは別の運動部員だろう。売布ならもっとずっと背が高いし、手下のチンピラ共はあんなにごつい体格はしてなかった」
「その程度の見たてやったら敵はしらをきりとおすで。塩屋には長田をさらったやつが誰かわかっとったんちゃうか」
「あいつが証言するはずないだろ」
「あそこでつかまえられへんかったんはまずったな。ややこしいとこで、ちょろちょろ逃げくさって」

 キアが一度帰るというので、明日の朝は寿荘まで迎えにいくと約束をした。
 いつもの習慣で、相棒は僕の部屋からベランダに出て、勝手口の前に飛び降りようとした。そこで逆に、下からよじ登ってきたやつと鉢合わせした。
「なんや、こいつっ」
「痛ってえぇ!」
 ぐいとひっぱりあげられて金魚水槽の隣に転がされたくせ者は、尻を打って情けない声をあげた。
「海老江!」
「今度はこそ泥か。お前の学校はろくなやつがおらんな」
「てめえに言われとないわ!」
 僕は悪態をついた海老江を部屋にひっぱりこんでサッシ戸を閉めた。
「親に聞こえるじゃないか。何しに来たんだよ」
 海老江は尻をさすりながらも態度を改めなかった。
「明日、センコにちくるつもりやろ。勝手にダチの名前だしてみい、ただですまさんぞ」
 キアはあきれかえって僕の同級生を見おろした。
「脅してるつもりか。まじで?」
 僕は額に手をあててため息をついた。
「御幣島に教わったことは、さっさと忘れたほうがいいよ。出しちゃいけない名前って加島のことかい?」
 恫喝が全然きいていないとわかって、海老江はぐずぐずと泣きそうな顔になった。
「語るに落ちるってな。こいつをポリに引き渡して吐かせるか」
「実行犯じゃないんだから、たいして役にたたないよ」
「俺ら、塾でずっと一緒やったんや。必死こいて受験勉強して、やっとこさ合格したいうのに、こんなことで人生棒にふれるかよぉ」
「そないに大事な人生やったら、もっとよう考えてから使わんかい」
 キアに揶揄されても海老江の繰り言は止まらなかった。
「上に言われてついてっただけなんや。あいつが言い出したわけやない」
「塾では自律とか良識とかいうことばは教えてもらわなかったのかな。もういいから、さっさと帰れよ。家の人が心配してるだろ」
「帰っても誰もおらん。オカンも夜中まで仕事や。俺を私学に行かすのに金かかっとんや」
 階段をあがってくる足音に続いて、部屋のドアがノックされた。母さんが大皿に山盛りの握り飯とポットを持って入ってきた。
「そろそろ食べられそうって父さんに聞いたんやけど……男の子三人にはちょっと足りないかしら?」
「十分だよ。こいつらももうすぐ帰るし」
 なんだか不思議な顔ぶれで夜食をいただいた。海老江は鼻をすすりあげながらもけっこう食べた。
 そのあと、母さんと僕は並んで二人を見送った。
「今度来る時には、お玄関からあがってちょうだいね」

 僕はひとり部屋に戻り、ベッドに寝転がって息を吐いた。
 海老江にはわざと冷たくあたっただけで、生徒個人の名前をあげつらってもうまくいくとは思っていなかった。守りたいものははっきりとしていても、そのために何をすればいいのかはまだよくわからない。今さら弱音を吐くわけではないけど、このまま明日の会議に乗り込んで、僕にできることがあるかどうかもわからなかった。


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