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第四章 巣立 (4)

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2006/05/17 Wed. 09:50


 父親にどなりつけられても塩屋の怒りは萎えなかったようだ。
「他の連中を煽動したのもお前か。いったい何を考えている」
「前から言うてたはずです。烏丸をみくびるな、て」
「それがどうした!」
「詰めが甘かったんですよ!おだてにのって舞い上がるやつやない。服従させるつもりならもっと締め上げて怖がらせておくべきやった。いくら長田が烏丸になついたからいうて……」
「翔人に何の関係がある!」
「大ありですよ!昨夜、僕についてきた連中の不満がわかりますか?あなたは長田のことになると冷静でいられない」
 塩屋は西代の襟首をつかんでひきよせ、拳を振りあげた。
「隼一郎!いいかげんにせんか!勉強のつもりで留守中の学園を預からせてやったというのに、なんというていたらくだ。この程度の組織もまとめられんようでは卒後のお前の希望も考えなおさんといかん……」
「いいかげんにしていただきたいのはあなたのほうですよ。塩屋さん」
 落ち着いた声が部屋中にはっきりと響いた。僕の父さんが初めて口を開いたのだ。
「人前で子供をののしるのが親の役目ではない」
 塩屋氏は目を細めて父さんを見据えた。
「面と向かって反論されたのは久しぶりですな」
「そうだとしたら、あまり良いお仲間をお持ちではないことになってしまいますね」
 他の大人たちは固唾を呑んで成り行きを見守っていた。
 開け放たれたままの出入り口に、また人影が現れた。
 トレーナーにジーンズ姿の郭玲師範だ。その背後からひとまわり小さな影がのぞいた。
 長田はひきとめようとした師範をふりほどいて裸足でひたひたと入ってきた。塩屋の拳に手を重ね、その背中にすいと身を寄せた。前あきの古風なパジャマの襟に顔が埋まっていた。
「……ファルコン」
 塩屋に呼びかけてから西代に目を向けた。臆病そうに首をすくめたが、嫌悪や憎悪は感じられない。西代の身を心配しているようにさえ見えた。
「マーリン……」
 塩屋は黙って西代から手を離し、長田を前にひきよせて肩を抱いた。
 塩屋氏は息子たちから背後の出入り口に立つ郭玲師範に視線を移した。師範は無言の叱責に身をかたくしたが、手にしたミニのキーをかたわらの電話台に置いて、深々と頭をさげた。
「まったく……」
 塩屋氏は椅子の背にもたれ、腕組みをして天井を見上げた。
「我が子というのは思うように育たん。部下ならとっくに解雇しているところだ」
 父さんはゆっくりと首を横に振った。
「親の思い通りに育つ子供なんていませんし、そんなことで子供を捨てるわけにはいきませんよ」
 西代は数歩さがってフレームの曲がった眼鏡をかけ、ずり落ちそうになるのを指で押し上げた。そうして堂島さんのほうに向き直った。
「明智署の刑事さんですね。全部お話ししますよ。僕を連行してください」
 堂島さんは椅子に座ったまま足を組み直し、無精髭のういた顎をしごいた。
「所轄外や。けどまあ、籠川はいろいろ係累がややこしそうやからな。この件、一旦は本署で預かってもらおか」
「待てよ」
 キアが立ち上がった。
「警察に行くより先にせなあかんことがあるやろ」
 まっすぐに西代の目を見つめる。
「長田に謝れ」
 西代がはじめて顔色を変えた。動揺を隠そうとして唇をまっすぐにひき結び、目をそらした。弟をいじめて親に叱られた子供のように。
 堂島さんが首を傾けて鼻をならした。
「ええ根性しとるやないか。口先だけで詫びいれるんがいやなら、しばらく意地はっとれ。その気になるまで、本署でこってりつきおうてくれるやろ」
 ことの成り行きを呆然と見守っていた御影さんが我に返ったようにつぶやいた。
「……どうするんですか……今から……」
学園長が、もぞもぞと書類をいじくった。
「ええ……委員会は一旦終了として……次回の開催予定は後ほどご連絡を……」
「そんな悠長なことは言ってられないでしょう」
 父さんが長机の席を見渡して微笑した。
「委員会の検討課題はかえって増えたんじゃないですか。事実関係の再確認。一般保護者への説明の練り直し。警察署の取り調べ対策。マスコミ対策。加害生徒の人権擁護と今後の指導の方法も考えないとね。まずは、情報を全部正直に開示してしまうのが最善だとは思いますが。もう少し討議を続けませんか」
「好きにしたまえ」
 塩屋氏が興味なさそうに言った。

2006/05/17 Wed. 10:20


 父さんが場を仕切り、後部席のオブザーバーは放免された。
 県警本部に向かう堂島さんと西代をロータリーで見送り、帰宅するという高塚とも別れた。
 キアと二人だけになると、ほっとしたのと同時に、あたりの静けさが身にこたえた。
「僕は……自分の学校を破壊しちまったな」
明峰学園にとって、僕は凶事をもたらす不吉な鳥だったのだろうか。
 キアがとん、と僕の背中を叩いた。
「億の金が動いたわけやないし、死人もでてへん。警察にとったらたいしたヤマやない。マスコミには一時は受けるかもな」
 僕らは歩道をぶらぶらとさかのぼった。
「スキャンダルとのつきあいは、中におるもんの心掛けしだいや。遠其堂は二ヶ月かけて営業を再開した。逆瀬川はターミナルの支店を畳んだ。崩れたところから積み直すだけや。世間の大半が忘れてからもな」
 僕らは負の伝統を背負ったところから出発するしかないのだ。明峰学園はこの先一生、僕の母校になるのだから。
「ひとまず落着、なのかな」
「俺のほうは、もうひと仕事残っとう」
 キアは武道館まで戻ってきてから、用心深く踏み分け道を捜しだし、林へ入りこんだ。僕はなんのことかわからないまま従った。
 拳法部の屋外練習場まで来たところで、目的をみつけたようだ。
 円い広場の真ん中に、道衣姿の塩屋が立っていた。かたわらの木陰ではパジャマの上にブレザーを羽織った長田がひっそりと従兄を見守っていた。
 キアの背筋が獲物をみつけた獣のように緊張した。僕はとまどって三人を見比べた。
「もう終わったんでしょう。塩屋さん」
「きみと僕との間ではな。僕の完敗だよ。わずらわしい仕事から解放されて、せいせいした」
「聡の責任やないで。シロアリの巣喰った砦や。放っといても崩れ落ちとったやろ」
「黙れ」
 塩屋は帯を握りしめてキアを見据えた。
「葺合滋。お前との決着はついていない。烏丸くんの友達づらしてさんざん明峰生をこけにしてくれたな。お前のような下品な男をこれ以上のさばらせておくわけにはいかん」
「ほざけ。てめえこそ、いちいち聡にちょっかいかけて手こずらせよって。そのすかしたつら見よったら虫酸がはしるんじゃ。だぼ」
「実力で思い知らせないことにはわからんようだな」
「こっちの台詞や」
「えっ……えっ……ちょっと!」
 僕があわてふためいているのを尻目に、塩屋が声を張り上げた。
「葺合滋!」
 上着と靴を脱いで、キアが応えた。
「塩屋隼一郎!」
 えーーっ、なんでそうなるんだよぉお!

 タイマンは塩屋の一方的な攻撃とキアの完璧な防御で始まった。やがてキアが反撃を開始し、情勢は目まぐるしく変化していった。
 塩屋の動きは練習試合とは比べものにならなかった。ここまで本気を出したキアを間近に見たのも初めてだった。見ているだけで鳥肌がたち、息が苦しくなった。
 自分が今まで狼のあぎとに頭をつっこみ、虎の前足を踏んづけていたと知ったところで、どうなるものでもないけれど。
 二人はお互いの身体に触れることなく、じりじりと間合いをつめていく。はらはらしながら成り行きを見守るうちに、だんだん疑問がふくらんできた。
 キアが塩屋の髪をかすり、塩屋がキアの服の一部を引きちぎって、次の瞬間二人がばっと距離をあけた。
 そのとき、僕の疑問は確信にかわった。
 あの輝く瞳。汗のひかる、精気に満ちあふれた肢体。こいつら、勝負を楽しんでいるんだ!
 あきれ果てて開いた口がふさがらなくなった。僕のことなんかただの口実で、実力を出しきって戦える相手をみつけて熱くなっただけじゃないか。この脳みそ筋肉の、格闘バカども!
 キアは頬を上気させ、頭を振って気持ちよさそうに汗を払った。
「けっこう、いけるやないか。お前、兵隊なんか使わんほうが似合っとうで」
「勝手なことをぬかすな」
 塩屋はいらだちを隠さなかった。
「貴様なんかに……生まれた時から人の上に立てと言われ続けた者の気持ちが、わかってたまるか!」
 キアがすっと構えをといて、両腕を脇に垂らした。
「寝ぼけんなよ……」
 白熱した鋼を水につっこんだみたいに、目の光が冷め切った色に変わっていた。
「高いとこに生まれついたんなら、落ちるのを怖がるより先に、もっと高いとこまで飛んでみせぇ!」
 塩屋は無言のまま、体勢と呼吸を整えた。次の一撃に渾身の力をこめるために。びりびりした気迫が僕にまで伝わってくる。
 キアは唇を薄く伸ばして、挑発の笑みを浮かべた。
「お前に、俺は倒せんよ」
 両腕を広げて、誘うように前進する。
「……やってみろや……」
 無防備な体躯の真ん中に、塩屋が狙いを定めた。
「やめ……」
 僕の声は塩屋の怒声とキアの咆哮にかき消された。
 耐えきれずに目を覆い……静かになってから恐る恐る開いた。
 キアはまっすぐに立っていた。みぞおちに食い込んだ塩屋の拳をつかんでひきはがし、あいたほうの手でその頬をはたいた。ぱん、と乾いた高い音がした。
「……水かぶって出直して来いや……」
 塩屋は呆然としてその場にへたりこみ、膝頭の間に顔をうずめた。
 キアは相手をほったらかしてゆっくりと広場から歩み出た。
 預かった上着と靴を抱えたまま、僕はそのあとを追った。一度だけ振り返ってみると、ちょうど長田が塩屋のそばに寄り、ちょこんとしゃがんだところだった。
 安心した。彼ならあのままずっと待っていてくれるだろう。塩屋が頭をあげるまで。
 
 キアは杜の出口ではなく、奥に向かっていたが、僕は黙って後に続いた。
 歩き出した時にはいつもどおりに見えた足取りが、坂を下るにつれて、ふわふわと頼りなくなってきた。ふらつきながらももう一歩、あと一歩とぎりぎりまでこらえて前へ進み、堀の走る傾斜あたりまでたどりついた。
 そこでとうとう膝をつき、背中をまるめて胃の中身を残らず吐き戻した。力の抜けた身体が汚物の上に倒れ込みそうになった。
 僕は荷物を放り出して駆けより、キアを支えてひきよせた。もたれかかられた重みで、湿った落ち葉の上に尻餅をついた。結果、キアの頭を膝枕に載せて座りこむかたちになった。
 仰向けになって目を閉じた顔からは血の気がひき、じっとりと汗の玉が浮いていた。
「……意地っ張りなんだから……」
 ここまで相手してやることなんてなかったのに。こんな時に限ってストレートなんだから。
「父さんを呼ぶよ。車で医者まで運んでもらおう」
 尻ポケットの携帯に伸ばしかけた僕の手を、キアがそっと押さえた。
「……ちょっと……やすんだら……ひとりで……あるく……」
「無理すんなよ」
「ええから……もうちょっとま……」
 僕はため息をついて地面に手をついた。
 キアはうっすらと目を開けて、木々の枝にふちどられた青い空を見上げた。濃い緑色に染まった木の葉を揺らして、風が吹きすぎた。それが合図だったかのように、数羽の小鳥が梢から飛び立った。
 今の僕にはこの距離からでも名前がわかる。
 シロハラだ。夏に大陸の北で雛を育て、冬を越すために日本を訪れていた渡り鳥たち。
 春を迎え、これからまた北国へ帰っていくのだろう。
 僕らは静かに鳥たちを見送った。
 ここの木々がいつまでも残っているかどうかなんてわからないのに。そんなこと気にもせずに、鳥たちは旅立ち、また戻ってくるだろう。
 この杜にはずっと元気でいて欲しい。次の秋が来て、僕とキアが長田と一緒にあの鳥たちを出迎えることができたなら……
 そうしたら、僕らももう少しだけ、未来を信じられるようになるかもしれない。
 キアの頭を載せたまま、僕も背中を地面にあずけて目を閉じた。初夏の日差しに暖められた落ち葉から、しっとりした土の香がたちのぼって僕らを包んだ。
<了>


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