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第三章 育雛 (6)

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2006/05/11 Thu.


 下校の足を伸ばしてターミナルビルの携帯ショップに寄った。
 店員さんには最新機種を熱心に勧められたけど、とりあえず本体価格の安い二世代くらい古いのを選んだ。カメラ機能なんて必要ないのに、ついていない機種を選ぶほうが大変そうだったので仕方ない。操作方法を教えてもらうついでに、御影のPCアドレスに挨拶を送っておいた。
 隣のパソコンショップで周辺機器の買い物もすませた。
 帰りに通り抜けた和菓子コーナーは閑散としていた。遠基堂のシャッターには文字ばかりの素っ気ないポスターが二枚並べて貼ってあった。
 一枚目は不祥事のお詫び。二枚目には、来月から営業を再開するというお知らせ。
 逆瀬川の店にはひとりも客がいなかった。大店が閉まっているので、客の流れがすっかり変わってしまったのだ。

 家に帰りついてきれいに塗装された玄関ドアを開けた途端、男性の大きな声が聞こえた。
「所轄がなんやっちゅうねん。クソ課長がぁ」
 堂島さんだ。玄関には見慣れない男物の皮靴が二足並んでいた。じゃあ、もうひとりは……
「いや、ご挨拶だけのつもりやったのに、奥さんに申し訳ない」
「せっかくの機会ですから、ゆっくりなさってください。あいにく安酒しか置いてませんが」
「俺がずうっと目ぇつけてたガキやぞ。川ひとつ越えたくらいで引き下がれるかぁ」
「いえいえ、お酒はあんまり上等すぎても口にあいませんのや。するっと喉を通ってまうんで、なんや、もみない。雑味や言われても、こう手応えがあるほうがええんですわ」
「趣味があいますねえ、劉さん。ええ、お気持ちはわかりますよ、堂島さん。これは日本海側の蔵の純米なんですが」
「なぁにが二十歳未満や。少年課のヘタレに何ができるかぁ」
「霞鶴の山廃ですか。こりゃええですなぁ」
「おう、帰ったか、聡くん。きみもはいれ」
 リビングのソファにあぐらをかいた堂島さんが、部屋をのぞいた僕に向かって杯を掲げた。隣でかしこまっている劉さんのグラスに、父さんが一升瓶から冷酒をついでいた。
「僕、未成年ですけど」
「ほな酌だけせえ」
「順さん、お行儀悪いよ」
「うるさいわ。キヨは先帰れ」
「堂島さん、よそでかなり飲んできましたね」
「店の知らせで連れ戻しに行ったのにひきまわされとんですわ。ええ迷惑や」
「まあ、おかげでこうしてお会いできたわけですし。滋くんがお世話になったのに、お礼が遅れて申し訳ありません」
「聡くんがちゃんと来てはりましたよ。ほんに、ええお子さんをお持ちで」
「そや、聡くん、学校は籠川やったな。あそこの署長に言うとけ。ぼけも休み休みせんと尻に火ぃつくでぇてな」
「所轄の外で何かあったんですか」
 堂島さんの隣に座ろうとした僕を、父さんが押しとどめた。
「聡。料理を運ぶから手伝ってくれ」
 廊下に出たところで父さんがささやいた。
「一昨日の件。一九九六年度に小学部に入学した男の子だった。六年生の途中で退学している」
「僕らより一学年上だね。ありがとう。堂島さんには、僕と茨木のこと、話したの?」
「刑事さんの独り言だよ。私は何も言っていないし、何も気にしていない」
 父さんの目が質問していた。お前はこれから何をするつもりなのか、と。
「よくわからないことがいろいろあったんだけど、かなりすっきりしてきたんだ」
「それで?」
 その先は僕にも答えようがなかった。一番気になっているのは御影と園田のこと、その次が売布と茨木のことだけど。長田と塩屋さんのことは、できるならそっとしておいてあげたかった。母さんの手料理をリビングに運び、堂島さんにからまれないうちに台所へ引き返してそそくさと夕食をすませた。

 自分の部屋に引き上げて真新しい携帯電話を取り出してみると、着信ありのランプがついていた。電車に乗る時、マナーモードにしたまま忘れていたのだ。面倒くさい機械だな。
 チェックしてみると、いきなりずらずらと多量のメールが表示されてびっくりした。契約したばかりなのに、もう迷惑な広告が来ているのかと思ったら、発信者はすべて御影になっている。今までに同級生とやりとりしていたメールを転送してきたらしい。プライバシーの侵害みたいでちょっといやな気がしたけど、せっかくなので発信日時の古い順に読んでみることにした。
 新聞記事の調査をはるかに超える苦行だった。
 メール交換は合格発表や入学説明会の頃から始まっていた。自己紹介の次はお互いの趣味の話、それもTVドラマだのポップアーチストだのファッションだの少女マンガだの、およそ僕には縁のない話題が延々と続いた。文中には絵記号や顔文字が濫用されていて読みにくい。
 御影におちょくられているのかもしれないと思いかけた頃、メール交換の状況が変化した。話題のあいそうな者どうしを集めて、いくつかのメールグループを立ち上げたのだ。メンバーを限定するような閉鎖性はなく、グループをまたがる者や移動する者もいるようだが、コアができたことで同一グループ内の親密度は格段にアップした。
 新しいクラスの同級生や教師たち、クラブの先輩らの話題が飛び交い始めた。なかでも熱心に話題を振っているのは一般クラスの女生徒たちだ。明峰の一般クラスは九割がた中学校からの内部進学組だと聞いた。長年のつきあいで気心の知れた者どうし。実生活での接触も多いはずだ。
 やがて、同学年の男子生徒たちの品定めが始まった。彼女達は同じクラスよりも理系特進や文系特進の男子のほうが気になるらしい。
『おスズはいいよね★カラスマくんキープだもんね??』
『だめだめよぉ↓↓ぜーんぜんお子ちゃまなんだからぁ、進歩ないっす』
 僕は携帯をベッドに投げ出した。息を整えてからもう一度拾いあげ、疲れる仕事を再開した。
 御影の巧みな誘導もあって、話題は上級生たちの噂話にまで発展していった。
 四月のなかばあたりでメールがとぎれた。携帯の内蔵メモリが満杯になっていた。電源を落として用意していたメモリカードを差し込み、設定を変えて残りのメールをすべて受信した。
 御幣島やその周辺の連中の話題が出始めたところで、横やりがはいった。
『特定個人のプライバシーを話題にしたり、誹謗中傷することはマナー違反です。お互いに気持ちの良い通信コミュニケーションに努めましょう。明峰学園生徒会 ネットマナー向上委員会』
 表向きは学校生徒会からの広報メールの一部だが、意図はあきらかだ。女の子たちのメール交換は、がくんと量を減らした。
 御影はへこたれなかった。自分の携帯番号とメールアドレスを新たに取得しなおして、メールグループを再編成したのだ。臆病で事なかれ主義な子たちと比較的元気で反抗心のありそうな子たちを分け、それぞれのペースで話題を牽引した。
 ネットマナー向上委員会=アウル立花も黙っていなかった。気の弱そうな子たちを選んでせっせと個別に注意指導していたらしい。グループのメンバーが櫛歯のように抜け始めた。
 御影は脱落者を責めなかった。残留メンバーにも悪口を言わせなかった。めげそうな子たちには見えないところでフォローもしていたようだ。自分から発言はしなくなっても、ROMとして復活する子も出てきた。骨のあるメンバーが残っているとわかると、立花も戦法を変えた。
『明峰学園生徒会主催・情報セキュリティ研修会のお知らせです。参加は自由ですが、特にネットに興味をお持ちの生徒諸氏には、追って詳しいご案内を個別にさしあげます……』
 ひらたく言えば、目立つやつは個別に呼び出すぞ、ということか。これには元気のいい女生徒たちが反発した。
「何の権利があって、メールの中身まで検閲するのよ」
 女の子って、束になると強いんだ。メールグループでの情報交換は固有名詞を絵文字やギャル語を使って偽装して続けられた。内容は自警団、特にネット管理者に批判的になっていた。
 そんな折、園田の事件の情報がグループにもたらされた。グループメンバーがはじめから園田に同情的だったわけじゃない。
「自分が損するだけなのに、ばっかじゃない」
というのが当初の反応だった。
 それでも言いたいことを言うことに慣れてきた彼女達は、中途退学のメリットとデメリットを冷静に分析するような話を始めた。見計らったように、御影はグループに学外の友人を紹介した。ニックネームで呼び合っていてもおおよそ見当はつく。西中時代に御影の協力者として行動していた同窓生たちだ。そこであらためて気がついた。今まで明峰の生徒たちは、同じ校内の友人たちとしかコミュニケートしていなかったのだ
 部外者が加わったことで立花の介入は困難になってきた。女生徒たちは、自分たちが今までネット上でも隔離された環境にいたことに気づき始めていた。なかには、園田と直接話がしたいという者まで現れはじめた。
 この間、ほぼ一ヶ月半。僕は携帯を充電器に置いて、乾いた両目をこすった。見事な仕事を見せてもらったと拍手したい気持ちと、とんでもないことをしでかしたなという重たい不安が胸の内で行きつ戻りつしていた。
 御影の行動は諸刃の剣だ。今までのあいつの仕事は、ネットいじめの撲滅。ありあまる自由の中で自分を見失い、いじめに走った子たちの横面を張ってお仕置きをすることだった。今回のやり口はその裏返しだ。籠の中でおとなしくしていた子たちを、わざわざさえぎるもののない大空へ解き放ってしまった。御影は自分のしていることを今までひとことも教えてくれなかった。僕が携帯を持つことにしたので、ようやく聞く耳ありと判断されたのか。
 しかし、御影が把握していない事実がひとつある。今から三年前、学園からはみだした生徒が長田を逆恨みした。塩屋さんの庇護のもと、ろくに授業参加もしない生徒が中学部へ進学したことに激しい憤懣をおぼえたやつがいた。はじかれた弱者はさらに弱い者に攻撃を向ける。そのことを実感した塩屋さんは、長田を守るために、落ちこぼれや不満分子を作らない体制をつくりあげようとしたのだ。御影の意図は真っ向から彼の理想と対立している。自警団がこのまま引き下がるはずがない。

 リビングに戻ってみると、酔いつぶれた堂島さんを劉さんと父さんがかつぎあげているところだった。玄関の外には母さんがワゴンRをまわしてきているようだ。
「劉さんにはすみませんが、先に堂島さんのお宅まで道案内をお願いします。そのあとで籠川までお送りしますよ」
「アタシはJRの駅まででけっこうですよ。この時間なら電車のほうが早う着きますわ」
 三人一緒に車に乗り込もうとしているところへ声をかけた。
「僕が父さんの代わりに行くよ。道を知ってるから。先に劉さんを駅で降ろして、堂島さんのマンションにまわったほうが早いでしょ」
 父さんは運転席の母さんを見てちょっと考え込んだ。母さんがお気楽に言った。
「聡と私で大丈夫よ。お皿を洗っといてくれはったら助かるわ」
 それで決まりだった。劉さんは父さんに会釈してワゴンRの助手席に乗り込んだ。僕は後部座席に堂島さんと並んで座り、ぶつぶつとささやかれる繰り言に耳を傾けた。


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