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第三章 育雛 (4)

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2006/05/08 Mon.


 四限目に長田が教室に現れ、空いているのは園田の席だけになった。毎度のことながら、欠席者の噂は聞こえてこなかった。ここにいるのは事情を知っている者と、知らなくても気にしていない者だけなのだ。
 昼休み、僕は心細げな長田をなんとか説得して、ひとり理科部の部室を訪ねた。マークされていることが自明なら、真正面からアプローチするまでだ。
 理科部部長の立花は部室で一番大きなPCデスクに陣取って、二台のディスプレイと一台のノートPCをはべらせていた。彼は情報班の班長も兼務している。長田が呼ぶところの「アウル(フクロウ)」、おそらくは自警団内回り組の二年生幹部。ぱっと見は中肉中背だが、もっちりと弾力のありそうな色白の肌がめだって、その下の筋肉や骨格がはっきりしない体型だ。
「物理班、化学班、地学班、天文班に情報班とあるんだから、生物班もあっていいけどねえ」
 立花は僕から生物班新設の趣意書を受け取りながら、片手で器用にキーボードを打ち続けた。
「菌培養したいとか、ネコ解剖したいってやつも入れてやるの?」
「自然観察が今年度のテーマですから、他の活動は来年度以降考えたいです」
「班長会議に計ってみるよ」
「よろしくお願いします」
 頭をさげてから立花のディスプレイをのぞいた。どうやらサーバーのメンテナンス中らしい。
「立花さんは生徒会の情宣担当もされてるそうですね。各部活のサイトは、ここが元締めになってドメインを割り振っているとか」
 そっちが本題だね、と立花がにやついた。
「学園持ちのサーバにはまだ余裕があるから、希望する生徒には個人サイトを作らせてあげてるよ。携帯もうちのアンテナを使えば近辺は無料だし。きみもどう?」
「そこまでネットにかまける気はありません」
「けっこう手慣れてる感じがしたんだけどな。サーチの手際とか見てると」
「監視していたんですか」
「いきなり関東からしらみつぶしにアクセスされたらびびるよ。クラッキングじゃないことはすぐにわかったから、そっとしといてあげたでしょ」
「なぜ僕だと?」
「それは秘密ですって言えたらかっこいいけどね。本当は、きみがあの日あっち方面にいたはずだって仁川に聞いただけ」
 僕は連休前、旅行用の学割証をもらいに学生係へ行った。あの時、仁川が同じところにいたな。
「活きのいい情報は人づてに手にいれるもんよ。ネットでみつかるのは一夜干しだけ」
「その点は僕も同じ意見です」
「いいねえ。鳥番なんかしてないで、うちの人材になってよ」
「他人の監視をするのは趣味じゃないです」
「別に盗み見をしてるわけじゃないよ。ネット防犯についてのアドバイスは好評だし。学校全体の情報セキュリティを維持するのが役割だと思ってるんだけど」
「大きなお世話だ、という声はありませんか」
 立花のにやにや笑いはとまらない。
「がん検診を受けないのは個人の自由だって言い張る大人がいるでしょ。それで発病したやつの医療費は、真面目に健康管理してる人たちの健康保険運営を圧迫するんだよね」
 論旨をすりかえられたような気がしたが、今は別のことのほうが気にかかっていた。僕の常浜からのアクセスがリアルタイムで見張られていたのなら、御影のサイトへ飛んだことも把握されているんじゃないのか。状況はますます御影に不利な気がしてきた。
 部室のドアが大きな音をたてて開けられた。
「まいど!酢豚定食お待たせしましたあ!」
 いせいのいい声に僕らの会話は中断された。桂花園の名入りエプロンをつけたキアが目の前でラップをかけた料理の皿を並べていた。僕の頭の中が真っ白になった。
「遅かったじゃない。昼休み、終わっちゃうよ」
「すんません。前もってメールしてもろたら、休みの始まる時間にあわせてお届けしまっす」
 キアは白いエプロンのポケットから店名入りのちらしをひと束、つかみだした。
「アドレス書いてますよって、他の学生さんにもよろしゅうお知らせください」
「……生徒が校外から出前とっていいんですか……」
 僕の頭はまだ混乱していて、どうでもいいような質問をしてしまった。
「高等部に限り、学生係指定の店に限り、許可されてるよ。生徒規則、読んでる?」
「僕はいつも弁当だから……」
「でもバイクを停められるとこから校舎まで遠いから、申請してくれる店は少ないんだよね」
「うちは自転車でお届けしますから、大丈夫っす」
 ちらしの束と引き替えに代金を受け取ると、キアはさっさと出ていってしまった。もう会談は終わったとばかりに食事を始めた立花をおいて、僕は部室を飛び出した。

 キアは部室棟のすぐ外で、自転車の荷台に岡持ちを固定していた。
「何してるんだよ、こんなとこで!」
「出前……」
 僕の目がつりあがったのを見て、落ち着けといいたげに両手をあげた。
「昼飯時はまだ余裕なんでな。販路拡大や」
「それだけか?」
「あとは、店長の使い。郭玲とかいうオバハンのようす見てきてくれ言われた」
「劉さんが……」
「拳法部の道場って、どっちや?」
「郭師範が来るのは放課後だけだよ」
「しゃあないな。中間考査前の休みまで待つか」
 通りかかった女子生徒が、キアの額の紫色になりかけた痣を見てくすくすと笑った。その態度にかちんときて、相棒の手をひっぱって雑木林の中の日だまりに場所を移した。
 初めて長田と声をかわした場所では、テイカカズラの若い枝が地を這い、シダ類が生い茂り始めていた。木々の隙間から差し込む日の光を浴びて、キアは気持ちよさそうに草色の空気を深呼吸した。僕はクヌギの幹にもたれて、つま先で落ち葉をほじくった。
「なあ。閉鎖空間で暮らす大勢の人間が、けんかしたり仲間はずれをつくったりしないためには何が必要だと思う?」
「満足いく食い物と安心できる寝床」
 即答だった。
「最低条件だね。けど、弱いやつの安心と強いやつの満足は表裏一体だ。動物園の動物でさえ、身体面の充足だけでは行動異常をおこす。心的エネルギーのはけ口も必要なんだ」
 キアが眉をしかめた。
「ヒトどうしの争いは生体のバランスだけの問題やない」
「自分の立場に充足していれば、誰かをいじめて帳尻をあわす必要もないはずなんだ。うちこめる趣味。居場所。気のあう仲間。やりがいのある役目。周囲からの承認。プライドを保てる関係。臆病な連中は外から守ってやって、かごの中で好きなことをさせてやればいい。力を誇示したいやつは外向きに、いいとこを見せる機会を与えてやればいい」
 西代と御幣島の役割分担。
「本気で鎖国でもしよったら、それで安定するかもしらんけどな」
 キアは両手でがさがさと落ち葉をかき集め、大きな山に積み上げた。
「実際には裾野は外につながっとう。山を高く積めば裾から広がって崩れる」
「裾野が崩れれば、山は低くなる、か」
「メンテが大変やで。何の得もないのに誰がそんな手間をかける?」
「塩屋さんの利益かい?博愛主義?支配欲?それだけかなあ……」
 そこが僕にも疑問の種だった。学園自治の掌握と治安維持だけが彼の目的なのか……
 キアが林の奥を透かし見て、目だけで笑った。
「遠慮せんでもええのに。ずっと待っとうな」
 そうして僕の胸ポケットに店のちらしを一枚ねじこんで背中を叩いた。
「メールは若旦那の携帯に届くから、注文以外は書いてくんなよ」
 部室棟へ戻るキアと入れ違いに、長田が姿を現した。坂を下り遠ざかっていく自転車の音を聞きながら、尋ねるように僕の顔を見た。
「見かけほどおっかないやつじゃないよ。この次はもうちょっとそばによって確かめてごらん。今日の放課後の都合はどう?」
 長田は首を横に振った。
「ごめんな。明日は?」
 長田は黙っていつもどおりにメモを手渡すと、日付と時刻を確かめる僕をおいて、時計塔の方角へ消えた。
 今日の放課後は市立図書館へ調べものに行こう。

2006/05/09 Tue.


 結局、月曜火曜の放課後を新聞報道の調査に費やしてしまった。
 図書館では新聞のバックナンバーをマイクロフィルムに撮影して保存している。職員の手がまわらないからだろうけど、僕が調べたかった三年前の全国紙、地方紙はどちらも撮影が済んでいなかった。おかげで、黄ばんだ新聞の束をひとつずつ借り出さなければならなかった。
 調査を始めた時点では、明峰学園中等部侵入事件が二〇〇三年度のはじめの出来事だとしかわかっていなかった。持久戦を覚悟して四月一日から毎日の記事を追い始めたのだが、ありがたいことに事件の第一報は四月十五日の社会面でみつかった。
 それによると、四月十四日月曜日の朝九時頃、中学部一年C組の教室に若い男が押し入って刃物を振りまわしたのだという。犯人は「たまたま」現場近くにいた当時中学三年の塩屋さんに取り押さえられた。死傷者がいなかったからだろう。記事は塩屋さんの英雄的行為に焦点をおいて華々しく報じていた。犯人については、身元も動機も何も書かれていなかった。
 翌日以降の続報を捜したが、塩屋さんのインタビュー記事が一度載ったきりで、犯行の詳細についてはどこをさがしても触れられていなかった。
 念のために似たような事件を取りあげた社説や特集記事もあたってみた。明峰学園の事件については年表にも取りあげられていなかった。塩屋さんの活躍もその後はマスコミのネタになることはなかったようだ。この件を今でも記憶しているのは明峰の関係者だけなんだろうか。

 夕飯時、父さんは塩煎りのソラマメをあてに銚子を傾けていた。機嫌がよさそうなのを確かめてから恐る恐る切り出した。
「携帯電話、持ってもいいかな?」
 母さんのほうが先に食いついてきた。
「ガールフレンド、できたの?」
「なんでそうなるんだよ」
「部活もしてへんのに、誰に掛けるんよ」
「これから始めるのに必要なんだよ」
 父さんは、のんびりとソラマメをつまんだ。
「音声通話よりネット機能のほうが重要なのかな」
「なんで……」
「連休以来、熱心に回線を使ってるじゃないか。私と共用では間にあわなくなってきたかね」
 父さんに言い逃れは通用しない。そのとおりですと頭を低くして、もう一度伺いをたてた。
「……だめかな?」
「貯金と小遣いの範囲で運用するのが前提だな」
 反対されないことにかえって疑念がわいた。父さんには何か別の魂胆があるんじゃないのか。
「ところで聡の学校のPTA役員、結局引き受けることにしたよ」
 もう少しで潮汁を噴くところだった。
「なんで?今頃?」
「クラス委員に欠員ができたそうだ。園田さんとかいう人が土曜日に辞任を申し出たらしい」
「そんな。それって……」
 とんでもない交換条件だ、と言おうとして、父さんは交換とか条件とかはひとことも言ってないと気がついた。これは取引ではなくて通告だ。黙って条件を呑めばよし、いやだと言っても代替案はないということ。
 当たりのシシトウを噛みつぶしたみたいな僕の顔を見て、母さんがくすくす笑った。
「しかし、変わった学校だねえ。電話をくれた役員さんが自慢していたよ。小中高含めてここ四、五年、ひとりも退学者や外部への転出者がいないらしいね」
「……ねえ、最後に退学だか転出だかした生徒のこと、もっと詳しくわからないかな」
 父さんはぐい飲みを置いておもしろそうに僕を見た。
「親に使いを頼むと高くつくんだよ。もう少し事情を教えてもらわないことには協力できないな。まずは連休前の火曜日にどこへ寄り道していたか、から……」


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