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第三章 育雛 (3)

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2006/05/07 Sun.


 父さんたちは昼前に帰宅した。僕はワゴンRの荷台からお土産のシュウマイを一箱持ち出して、寿荘に出向いた。今日は桂花園の定休日だ。
 キアは僕を待ちかまえていたようで、靴を脱ぐ前に裏の駐車場へひっぱり出された。そこで手渡されたのは洗面器にじゃらじゃら放り込まれた五十個ほどもあるビー玉だ。直径が普通の倍くらいありそうな、いわゆる「大玉」。これだけ数があるとずしりと持ち重りがする。
 キアはアパートのモルタル壁を背に、僕からは三メートルほど離れて立ち、黒光りする北京鍋を身体の前で構えた。
「はじめぇや」
 傍目には冗談みたいに見えるんじゃないか、と思ったが、相手はおおまじめだ。仕方なくビー玉を一個つまみあげ、キアの胸元めがけて投げつけた。
 北京鍋がビー玉を受けとめてするりと半回転した。鍋肌を這わせたのだろう、かすかにかちりと音はしたが、跳ね返りも欠けもしなかった。
「もっと散らしてや」
 またひとつつまんで今度は足元へ。次は頭へ。北京鍋がくるくるとキアの前で動いた。
「もっと早く!」
 そう言われたって簡単にスピードをあげられやしない。ふたつつかんでいっぺんに放り投げた。鍋のひとなぎでふたつとも受けとめられた。キアは腰を伸ばして、鍋にたまったビー玉をじゃらっと揺すった。
「使えるな。ブン殴るにはかさ高いけど、防御範囲は広い」
「殴るのには使うな」
 僕がにらんでも、真顔で応えた。
「お前の頭がかち割られそうになるまでは、な」
「そんな状況は……」
 おこるわけない、と言えるのだろうか。自警団はともかく、僕はもう売布や茨木にやっかいなかかわりを持ってしまっている。
「続けろ」
 二個ずつ投げていくと、弾はあっという間に残り少なくなった。
「ラスト一個!」
 ど真ん中に力一杯投げた一発が、予想に反してキアの額に命中した。キアはわずかにのけぞって、すぐに身体をたてなおした。
「あっ、わっ、ごめ……」
 焦って駆けよった僕の口を左手で押さえて、ちょっとだけ笑った。
「わざとはずした。謝らんでええ」
 そうして雑草の間に転がったビー玉を拾いあげ、鍋に放り込んで肩に担ぐと、黙って部屋に戻っていった。僕はごくりと唾を呑み、からになった洗面器を持って後に続いた。
 
 ビー玉を取り出した北京鍋がそのままコンロにかけられた。威勢のいい強火でざざっと卵をかき混ぜ、あっという間に二人前の天津飯ができあがった。同じ鍋に少しばかりの水を張り、丸網をはめて煮立たせる。シュウマイが温まるのを待つ間に二人で天津飯をかきこんだ。
 食べながら真向かいに座ったキアの額をそっと観察した。右眉の上に芋判を押したみたいに、まん丸い青タンができていた。
「どないや」
 飯の味のことか。
「うまいよ。中華料理屋に就職できて良かったじゃないか。いっそ調理人目指せよ」
 キアは首を横に振った。
「桂花園が一番忙しいんは晩飯時から深夜やで。堂島がどない言いくるめたんか知らんけど、夕方までのバイトなんてほんまは半端なんや」
 返事を思いつかず、黙って食事を続けた。定時制高校に通うことを最優先すれば、残業のある仕事にはつけない。ごたごたが続く中、こいつは一度も授業を休んでいないはずだった。
 皿に移したシュウマイをつまみながら、僕らは手持ちの情報を交換した。
「店に来たタクシーの運ちゃんの話。お前んとこの学校の近所、夜の街でも客筋が他とはちょいと違うらしい」
「へえ……」
「もともと学校の職員や父兄の行きつけが多うて、ヤー公やポリコは妙に少なかった。それが最近、ガキがちょろちょろして落ち着かんて」
「……あいつらがのさばりだしてるのか」
「茨木が淡路と切れて売布についたんは最近や。お前とかち合うほん少し前いうとこやな」
「その話は、どこで仕入れた?」
「新田の飯場」
「危ない橋は渡らないでくれよ」
「ラーメンを出前しただけや」
 連休中に調べたOBの顔ぶれを思い出す。PTAには社会的に影響力をもった人が揃っているけど。たかが高校生が茨木なんかを利用しようしているのなら、相当に危なっかしく思える。
「あの辺一帯、明峰城下町いうことや。用心しろ」
「まあ、これからはあんまり帰りが遅くならないように気をつけるよ」
「日中もや。登下校、なるべくひとりにはなるな」
「そこまで心配しなくたって……」
 今度はキアににらまれて、僕は首をすくめた。自分が囮になって茨木たちと自警団の出方を見る、というプランもあったのだが、とても許してもらえそうになかった。
「今から御影のとこにも土産を届けてくるよ」
「卒業ん時、世話になってから会うてへんな。よろしゅうに」
「あの時はたまたま利害が一致しただけだよ。よろしくなんてしなくたって……」
 キアが怪訝そうに前髪をかきあげた。
「ずっと前からやけど……ラス、なんで御影にだけそないに冷たい?」
「そうか?」
「そうや」
「……あっちが僕にばかりからんでくるからだろ」
 それ以上は何も言われなかったが、なんだか気持ちが落ち着かなくなった。
 後かたづけはキアが引き受けてくれたので、僕は御影への土産をとりに急いで家へ戻った。

 御影の家まではうちからゆっくり歩いて五分ほどだ。土産には蓮の実餡の大月餅を選んだ。
 茶碗よりでかいまんじゅうを見て、おばさんは目を丸くした。お返しにと実家直送のソラマメを包んでくれた。一人娘は外出中とのことだ。
 自宅からメールしたほうが早いだろうかと考えながら引き返しかけたところで、後ろから肩を叩かれた。
「いちいち不意打ちしなくてもいい」
「真正面から話しかけても相手してくれるならね」
 御影はろくに僕の顔を見ようともせず、しれっとした態度で前を歩き出した。
「前のおうちはどうだった?」
「跡形もなかった」
「十年たつもんね。初めて会った時にはもっと素直でおとなしい男の子だったのにね」
「園田と話がしたい」
「せっかちね」
 僕らは住宅街の片隅の小さな公園にはいって、幼い頃のようにブランコに並んで座った。
「たいしたトラブルじゃなかったの。あの子が学校をやめたいと騒ぐのはいつものことだったみたいだし。たまたまハサミなんかつかんだもんだから、取りあげようとした母親ともみあいになっただけ」
「あっちから連絡してきたのか」
「先に西代くんに電話して冷たくあしらわれたみたいね。本当はあんたに頼りたかったんじゃないの?」
「相談したいことがあるなら、最初からちゃんと言えばよかったんだ」
「あの子なりには、ちゃんと言おうとしたつもりだったかもね」
 茶々をいれたのはお前じゃないか、と言いかけてやめた。
「あの子は外に逃げたがっているだけ。今までの自分を誰も知らないところへ行きたいだけ。本気なら私が手伝ってあげるわ」
「どうやって?」
「手のひらを二針縫う程度の傷で、病院に一泊したのはなぜだと思う?医者からの連絡を受けて警察が聞き取りに来たからよ。自宅からも学校からも離れた救急病院だったから、かえって訴えを深刻に聞いてもらえたみたいね。今回は大きな騒ぎにはならなかったけど、道はついたわけ」
「道?」
「大人の機関もうまいこと利用すればいいって教えてあげたわ。人権侵害だと訴えれば親でも許されない時代よ。その気になれば外の世界に仲間をみつけられるってこともね」
 御影は片時も手放さない携帯を手の中でもてあそんだ。
「あとは、あの子の覚悟しだい。親とは持久戦になるからね。しばらく籠城してもらうわ」
 いやな予感がした。御影と前後して、夙川も病院を訪れているはずなのだ。
「園田が登校しないつもりならそれでいい。御影……お前のほうがマークされるぞ」
「誰かと違って、私は弱みを握られるようなヘマはしませんよ。あっちだってへたに動いて尻尾をつかまれたくはないでしょ」
「そうかもしれないけど」
 長田は御影をシュライク(モズ)と呼んだ。自警団は決して彼女をあなどってはいない。
「ソラマメは鮮度が命よ。今晩すぐに塩ゆでしてもらってね」
 別れ際、御影はそう言って久しぶりに小学生の頃と同じ笑顔を見せた。


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