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第三章 育雛 (2)

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2006/05/06 Sat.


 連休なかばの自主講習は、さすがに空席が目立った。園田、御影、長田、夙川、加島に海老江も欠席していた。
 二限目の終了後、僕はトイレで高塚をつかまえた。
「加島と海老江のことで、ちょっと聞きたいんだけど」
 高塚はきょとんと僕を見た。
「なんで僕に?最近は話しもしてへんよ」
「同じ部活だろ」
 背後から別の声が応えた。
「練習班が違うから、めったに会わん。嘘はついてへん」
 西代が壁にもたれてこちらを見ていた。その目に促されて、高塚は不思議そうな顔をしながら教室に戻っていった。その背中を見送ってから、西代は続けた。
「園田から電話をもらった。火曜の夜の件、きみはあいつの心配をしてまきこまれただけやとな。御幣島さんにとりなしてやって欲しい。そう言われた」
「わざわざ病院から掛けてきたのか」
 西代は肩をすくめた。驚きも否定もしない。やっぱり園田が負傷したのは事実なのだ。
「あいつはいつでも男をかばう。きみが気にすることやない」
「もともとは僕の勝手な行動が原因だよ。彼女にお咎めがあるというなら、僕も同罪だ」
「なんか誤解があるみたいやけど。僕らの目的は生徒の処罰でも排斥でもないよ。家の事情は知らんけど、落ち着けばちゃんと教室に帰ってこれるようにしとく。それが役目や」
 僕は冷たいほど落ち着き払った西代の顔を見つめた。
「学校をやめたがっているやつまで無理矢理ひき戻すことはないだろ」
「わかってへんな。かごの中でぬくぬく育った小鳥が、一時の気分で飛び出して、外でうまくやっていけると思うか?けつまずいて後悔した時にはもう遅い」
 西代の目が、何かを思い出したようにきつくなった。
「そうなってしもてから逆恨みされるのはかなわんからな」
 思い出した。長田の小学時代の話をした時も、こんな感じだった。
「園田の入院先、知っていたら……」
「夙川が見舞いに行った。もうすぐに退院やと聞いた」
「そつがないな」
 僕は素直に感心した。
「そんなふうに他人の世話ばかり焼いていて疲れないか?」
 西代が目を見開いて、眼鏡を押し上げた。
「きみが言うか?」
 三限目の始業チャイムが鳴った。西代は話をきりあげ、教室に向かった。僕は小走りで追いつき、肩を並べて廊下を歩いた。歩きながら横を見たら、値踏みするように見返された。
「烏丸、コンタクトはしてへんな」
「両眼とも一.五だよ。親には感謝してる」
 西代はまた眼鏡に手を伸ばしかけ、途中で降ろして歩みをはやめ、僕より一歩先に教室へ入っていった。
 数学の講習の間、演習問題を解きながら、さっきの会話を反芻した。僕自身は世話焼きやおせっかいが好きなわけじゃない。何かの拍子に、黙って見てられない気持ちに突き動かされることがあるだけだ。動いてしまったあとで後悔することのほうが多い。
 西代はどうなのか。悪いけど、長田や園田のことを心底心配しているようには見えなかった。

 講習の終了後、ヤナギの木の下に腰を降ろして持参のサンドイッチをかじった。
 午前中晴れていた空にはいつの間にか雲がかかり、うすら寒い風が吹き始めていた。
 食事が終わるのを見計らったように、長田が姿を現した。雲行きを気にしながらも林の奥へ先導しようとする彼の腕をつかまえて押しとどめた。
「今から図書館につきあって欲しいんだ。いいかい?」
 長田はちょっと不思議そうに首をかしげたが、素直についてきてくれた。
 書架の奥の第二閲覧室に誰もいないのを確かめて、席を確保した。テーブルに入学式の日に撮影したクラスごとの集合写真と、昨年度の卒業アルバムを広げた。
「西代がマーリン(コチョウゲンポウ)、御幣島がバザード(ノスリ)だって言ってたよな。他にも、ニックネームをつけてる生徒がいるのかな?」
 写真の生徒をひとりひとり指さしながら、長田の顔を見た。長田はわずかに唇を震わせ、僕の指を目で追いながら小声で答えてくれた。
 まずは一年のクラス写真。
 高塚。
「フィンチ(ヒワ)」
 加島。
「スターリング(ムクドリ)」
 夙川。
「ホビー(チゴハヤブサ)」
 御影。
「シュライク(モズ)」
 園田。
「スラッシュ(ツグミ)」
 全員というわけではなかったが、この春以来僕とかかわりのあった生徒たちについてはほぼ網羅されているようだ。
 次は、上級生の写ったクラブ写真。
 拳法部二年の岩屋。
「ジェイ(カケス)」
 同じく、板宿。
「マグパイ(カササギ)」
 生徒会長の垂水。
「スナイプ(シギ)」
 新聞部書記の伊丹。
「カイト(トビ)」
 理科部部長の立花。
「アウル(フクロウ)」
 中国拳法部のほぼ全員と他のクラブの幹部クラス、要するに自警団の主要メンバー全員に野鳥の名前が割り振られていた。僕は長田の返事をいちいち手帳に書きとめてから、顔をあげた。
「きみが鳥の名前で呼んでいる生徒たちって……ひょっとして、塩屋さんが気に掛けている連中ってことなのかな?敵か身内かは別にして」
 長田は泣きそうな目をしばたたき、しばらく爪を噛んでいた。痛々しいほど気弱に見えたが、僕は敢えて返事を待ち続けた。イエスかノーか、首を振ってくれるだけでもいいと思っていた。
 やがて長田の口からしぼりだすような声がこぼれた。
「レイヴン……ファルコンを、助けてあげて」
「……え?」
 不意打ちをくらって、一瞬、思考が停止した。
「長田……今、しゃべった?」
 鳥の名前以外のことばを長田が話したことに驚いて、内容に思いいたるのがひと呼吸遅れた。
「なんで僕が?塩屋さんを?」
 よほど困惑した顔つきをしていたんだろう。長田はもう一度言った。
「ファルコンを助けて」
 哀願するような目をしていた。僕がちゃんと返事できないでいると、しゅんと肩を落とした。
「ごめん……わからないよ」
 なんだか申し訳なくて、それ以上追求する気が失せてしまった。
 長田と塩屋さんのつながりを疑ってみても仕方ない。本人がきちんと教えてくれるまで、待っていよう。僕は長田の友達でいることを自分で選んだのだから。


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