第一章 営巣 (8)
2006/04/14 Fri.
一日おいて教室に現れた加島と海老江は、人が変わったようにかしこまっていた。
自警団に脅されたのではないかと心配だったが、痣や傷があるようでもなかったし、不平不満をかこっているようにも、怯えているようにも見えなかった。もちろん、高塚や他の生徒たちにちょっかいをかけることもなかった。
いったい西代たちはどんな方法を使ったんだろう。
二限目の理科の時間、とうとう長田が教室に現れた。外部組のなかからはひそひそとささやく声も聞こえたが、多数派は内進組にならって節度ある無関心を装っているようだ。
長田はその時間の終了まで教室にいて、出がけにそっと僕のそばに来た。ちょっとはにかんだ笑みを浮かべ、何も言わずに出ていった。
「気に入られたな」
西代はそう言うけど、あんまり実感がわかない。机の上には大きなのスズカケノキの葉が一枚、残されていた。
放課後、僕は高等部本館の裏に出向いた。この建物には理事会室や事務所、会議室などしかないから、生徒はあまり近寄らない。外来種であるスズカケノキを見かけたのは園内ではここだけだったはずだ。
煉瓦造りの壁にもたれ、背の高い木の後ろに広がる林を眺めていた。雨上がりの空気は気持ちよく澄み、土埃を洗い流された木々の葉は一段と色濃く、のびやかに見えた。
僕のすぐ横にあった裏口の鉄扉がきしみながら開いて、長田がひょこりと顔を出した。てっきり外を歩いて来るものと思っていたので、びっくりした。そんな僕の顔を見て、長田は大きな目をくりくりさせながら、いたずらっぽく笑った。
ふっとなつかしい記憶が脳裏をかすめた。つきあい始めて間もない頃、あいつもこんなふうに無邪気な笑顔を見せてくれた。言葉数は少なくても、よく動くきれいな目がいろんなことを語っていた……
長田は肩にかけた重そうなバッグをよいしょとかつぎなおして、どうかしたの?という顔でこちらを見た。僕は照れ隠しに笑いかえした。
「今日は、どこかへ招待してもらえるのかな?」
新しい友達は、元気いっぱいの足取りで雑木林のへりに沿って歩き出した。きゃしゃな体格に似合わず、けっこうなスピードだ。何の目印も見あたらないところで、ためらいもなく林に分け入った。重い荷物を持っているはずなのに、ほとんど足音をたてない。林を騒がせるのは僕が不用意に小枝を踏んだり、木を揺らしたりした時の音ばかりだ。
しばらくすると、長田の歩みがさらに慎重になった。少し待って、と僕を手で制して前進した。
隣り合った二本のミズキの幹の間にカンバス地のスクリーンのようなものが張られ、蔓草や小枝でカモフラージュされていた。長田はスクリーンの陰でバッグからばかでかい双眼鏡を取り出し、カンバスの中程にあけた小窓のひとつから、外をうかがった。
やがて目標物を見定めたらしく、双眼鏡で位置確認をしながら三脚と一眼レフのデジカメを取り出した。母さんのコンパクトデジカメの五倍くらい高価そうだ。皿のようにでかいレンズにさらにでかい望遠レンズを慣れた手つきではめこみ、三脚に固定する。
僕は彼の視線の先を追うが、木の枝と緑の葉が揺れるばかりで、何を見ているのかさっぱりわからない。
セッティングが終わったところで、長田がそっと手招きした。なるべく音をたてないようにそばへ行くと、場所を譲ってデジカメの液晶モニタを見せてくれた。
はじめは、からみあった木の小枝が写っているとしか見えなかった。しばらく観察を続けていると、突然、一羽の小鳥が画面に飛びこんできた。枝にとまってせわしなく首をまわし、くちばしにくわえた小枝らしきものを足元に落とした。その場でごそごそと忙しそうに動きまわっている。茶色い小さな体躯。スズメにしては、頭が白っぽい。家にある鳥類図鑑には目を通してきたけど、それだけでは種類なんてわからないと思い知らされた。
そうこうする間に小鳥は飛び去った。あとに残されたところをよく見ると、どうやら作りかけの巣があるようだ。また一羽、似たような色のが飛んできた。さっきと同じやつなのか、つがいの片割れか?
生まれて初めて見るライブ映像にすっかり心を奪われ、僕は息を呑んでモニタに見入っていた。隣の長田も双眼鏡を喰い入るようにのぞきこんでいた。
どれくらいの時間、そうしていたのか。
長田に肩を叩かれて、顔をあげた時にはすでに日が傾いていた。息をひそめてその場を撤収し、泥棒のように忍び足で林を歩き抜けた。
明るいところに戻って、もういいよ、と長田が背のびをした横で、僕もためていた息を一気に吐き出した。
「すごいもの見せてもらったよ。ありがとうな」
長田はやっぱりひとことも話さなかったけど、僕を喜ばせたのがうれしいと、はっきり顔にかいてあった。その表情が、またしても僕の記憶をかきたてた。
あいつはポケットからつまみあげたヒラタクワガタのオスを無造作に投げてよこした。僕の驚いた顔を見るのが楽しくてならない、という目をしていた……
我に返ると、長田はきょとんと首をかしげて僕を見ていた。
「会ってもらいたいやつがいるんだ。僕の友達なんだけど、たぶん気があうと思う」
そう口走ってしまってから苦笑した。お互い似たところがあるから……なんて言っても、どちらも賛成してくれそうにないな。
鞄を置いてきた校舎棟までは、ここから目の前の歩道をまっすぐ歩けば一番近い。てっきり長田もついてくるものと思いこんで帰り道に足を踏み出した。
そのとき、進行方向から数名の生徒が近づいてきた。先頭は拳法部の練習で音頭をとっていた、顎のとがった上級生だ。自警団の巡回だろうか。全員制服姿で、腕に揃いの黄色い腕章をとめている。
上級生は僕らのことなど気がついていないみたいにまっすぐ通り過ぎた。意外なことに、加島と海老江が後ろに続いていた。二人は偉そうに胸をそらし、僕を小馬鹿にしたような目をしていた。
肩をすくめてやり過ごし、先へ進もうとして振り向くと……長田がいない。器材をつめたバッグだけが道端に投げ出されていた。めんくらって周囲をうろうろと捜しまわっている僕の横を、何人かずつかたまった生徒たちの集団が通り過ぎていった。部活を終えて講堂のシャワー室へ行くところらしい。その中に、道衣姿の西代と拳法部員たちも混じっていた。
西代は僕を見て軽く手をあげた。
「長田には会えたんか?」
「さっきまで一緒だったのに、急にいなくなっちゃったんだよ」
僕がお手上げというそぶりをしてみせると、西代は眼鏡に指をあててちょっと下を向いた。それからつかつかと、このあたりで一番目立つケヤキの高木に歩み寄って見上げた。
長田は今にも折れそうな高所の枝に登って身をすくめていた。
「誰か、いやなやつに会うたか?」
西代の呼びかけに、上からぼそぼそと返事が聞こえた。
「……バザード……」
彼独特の表現にはかなり慣れてきていたので、ことばの意味はわかった。
バザード。ノスリ。タカ科の小型猛禽だ。
「もうおらんよ。僕もあっち行くから、降りてきな」
西代はもう一度上に声をかけてから、
「こっちの道は人通りが多いからやめとけよ」
僕に手を振って仲間と一緒に立ち去った。
長田がずるずると木を降りてきたのは、それから一分以上たってからだ。お化け屋敷から出てきたばかりのような顔をしているところへ、そっと寄り添ってきいてみた。
「バザードって、あいつのことかい?」
遠ざかっていく西代の後ろ姿を目で指した。長田は首を横に振った。
「マーリン」
コチョウゲンポウ。こっちはハヤブサ科。こんなこともあろうかと、英語圏で見られる鳥類の名前を調べておいたのが役だった。
「西代がマーリンなら、バザードはさっきの上級生だな」
教室とは勝手が違って、道端でいきなり人と出くわすのは苦手らしい。
「きみは、みんなを鳥の名前で呼ぶことにしているのかな?バザードさんの後ろにいた連中とか、西代の仲間なんかも呼び名は決めているの?」
今度は、口を半開きにして、僕が何を言っているのかよくわからない、という顔をされた。何がわからないのか教えてもらえないから、こっちも説明のしようがない。
僕はため息をついてバッグを肩に掛け、長田の手をとって人気のない細道をさがした。杜の中にいた時にはことばなんて必要なかったのに。僕の周りにはどうしてこう、つきあいにコツがいるやつばかり集まってくるんだろう。
第一章 営巣 (1) に戻る