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第二章 脱皮 (2)

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2007/07/27 Fri.


 次の日も同じ防風林に出かけた。地面に積もった松葉を掘り返していると、昨日の男の子達が寄ってきた。
 ウバタマコメツキを何匹かみつけたので、ちょっとだけ遊ばせてやった。ひっくり返して置かれたムシが、はじかれたようにとびあがって体勢を戻す。おもしろすぎて何度も宙返りさせるとムシがばててしまうので、頃合いをみて声をかけた。
「ちょっと場所をかえて、ひと休みしようか」
 ひとりの子が待ちかまえていたような返事を返した。
「うちでおやつ食べようよ。オカンが来てもらえって言うてたし」
 最初はちょっと困った顔をしてみせる。
「よそのお宅にいきなりお邪魔できないよ。きみらだけ帰って、おやつ食べ終わったらまたおいで」
「かまへんねん。オカンがあんちゃんと話したい言うてんねんで」
 両手をひっぱられて仕方なく、という顔でついていった。

 男の子は加茂川忠と名乗った。他の子供達もじゃれあいながらぞろぞろついてくる。聞けば全員が少年サッカーのチームメイトだと言う。
「練習のあとで、ようあの林で遊んでんねんけど、あんなムシがおるなんて知らんかったわ」
「探し方にもコツがあるからね。サッカーの子の他には友達誘ったりしないの?」
「日があわへんねん。みんな塾とか稽古とかで忙しいし」
 案内されたのは、わりと新しい一戸建だ。南向きのリビングには大きなサッシ戸があって、前庭に直接出られるようになっている。男の子の母親らしき人が、そこでお茶を入れて待ってくれていた。
 子供達は慣れたようすで、どやどやとリビングにあがりこみ、てんでに座って菓子鉢に手を伸ばした。僕は靴を脱ぐのを遠慮して、サッシ戸の上がり口に腰をおろし、庭に足を垂らした。忠も接待のつもりなのか、僕と並んでちょこんと座った。
 こぎれいな奥さんは、おかきを勧めながら僕の制服の襟章を見て目をきらきらさせた。ノコギリクワガタをみつけた子供のようだった。
「やっぱり明峰学園の生徒さんね。偉いわねえ。何年生?」
「理系特進の二年生です」
「じゃあ、将来は医学部志望?」
「生物学は好きですけど、どっちかというとバイオテクのほうに興味があるんです。恭大か坂大の理学部かなって。まだまだ夢みたいなもんです」
「若いうちの夢は大きいほうがいいわよお。しっかり目標持って勉強してるのって偉いわあ。どうやったらまじめに努力できるのか、うちの子にも教えてやって欲しいわ」
 口いっぱいに菓子をほおばっていた忠があわてて立ち上がろうとした。その頭を押さえつけるようにぐりぐりとなでてやった。
「受験は体力ですから、小学生のうちは走りまわって遊んでたほうがいいですよ。僕も忠くんくらいの時は毎日泥んこでした」
「今でも泥遊びしてるやん」
 忠が反論した。
「失礼なこと言うんじゃないの。お兄さんのはちゃんとしたお勉強なんだから、あんまり邪魔しないのよ」
 僕はまだ文句を言いたそうな忠に片眼をつぶってみせた。
「それなら上の子の家庭教師でもお願いしたいわ。遙は部屋にいるんでしょ。ちょっとご挨拶なさい」
 奥さんに何度も声をかけられて、隣の座敷から高校生らしき女の子がうっとうしそうに顔を出した。ぺらぺらのキャミソールにバミューダ丈のパンツという軽装で、がりがりの首筋と浮き上がった鎖骨が丸見えだ。昼寝でもしていたのか、四つんばいの姿勢から猫のように背中を伸ばして大あくびをした。
「なんですか。行儀の悪い」
 奥さんはさらにお説教を言おうとしたようだが、玄関のベルが鳴ったので仕方なくリビングを出ていった。遙さんはちろりと舌を出し、忠の背中をはたいて邪険に追っ払うと、あいたところに足を投げ出して座った。
「家庭教師は間に合っとうよ。あんた、ホンマに明峰のガリ勉?」
「本当に明峰だけど、ガリ勉じゃないよ。家の外に網が干してあったね。お父さんは漁師さんなの?」
「お祖父ちゃんはね。家業は伯父さんがついだけど、たいしてもうかってないみたいね。パパは次男で会社員」
「新しくて気持ちのいいおうちだね」
「お祖父ちゃんの土地に建てたから、安上がりですんだんよ。ママは本当は浜には住みたくなかってんよ。都会暮らしが長かったから」
「海が近くて自然が残ってて、いいところだと思うけど」
「住んでみたらいやになるよ。洗濯物は潮でべとべと。空気は臭いし、台風が来たらすぐに浸水しそうになるし」
 遥さんは、ふんと鼻をならしてぱさぱさの茶髪をかきあげた。
「こんな話、聞きだしてどうすんの。ママはブランドに弱いから簡単に信用してるみたいやけど」
 頭を低くつきだして、僕の顔を見上げてきた。キャミの下はノーブラだ。
「ガキを手なずけて、何をたくらんでんの」
 ひっかかれない程度に距離をおいて両手をあげてみせた。
「本当の目的はゴキブリとクモの調査です」
「嘘ばっか!」
「嘘じゃないよ。この辺で、ゴキブリがいっぱいいるせいでクモが居着いた家を探してるんだよ」
「やめてよ。きしょい。ムシなんか大嫌い」
 遙さんは身震いして僕をにらみつけた。
「ゴキブリなんか、どこの家にでもおるやん。クモなんかおっても、見とうもないわ」
「普通は、そうだろうね。たぶんお母さんもそうだろうから、聞き出しにくくってね」
「忠の友達に聞いてまわったらいいやん。男ってこれだから」
 奥さんが戻ってきたのと入れ替わりに、遙さんは奥の部屋に引き返していった。
「礼儀知らずの娘でごめんなさいね。あれでも小さい頃は頭も良かったし、かわいい子やったのにねえ。こんなところに住みだしてから悪い言葉ばかり覚えるし、身なりもだらしなくなるし。やっぱり山手に家を建てるべきだったのよね」
「お祖父ちゃんお祖母ちゃんがお近くにおられるほうがお互いに心強いんじゃありませんか」
「それも善し悪しよ。肝心な時に子供はお祖母ちゃんのところに逃げていっちゃうから、押さえが効かなくてねえ」
 腹のふくれた小学生達が三々五々散らばっていくのにあわせて、僕もおいとました。
 あらためて外から見ると、生け垣にぐるっと囲まれた広い敷地の中に、古風な母屋と離れ、それに新築の家屋が建ち並んでいるのがわかった。新築の敷地はもともと母屋の前庭だったようだ。
 垣根の裏口をくぐって歩き出したところで、追いかけてきた忠が僕の腕にぶらさがった。
「あんちゃん、クモを探してるん?」
「ああ。巣を張るやつじゃなくて、家の中を歩きまわってるでかいやつ」
「邦之が見たって話してたことあるよ。光男の隣の家にも出たことがあるって。さっき聞いた」
 直接頼んだわけでもないのに。大人が思っている以上に、子供達は大人の話に耳をそばだてている。
「そのお友達の家はこの近くかい?」
 忠は残念そうに首を横に振った。
「バス道より上や。サッカーの子らは校区が違うねん」
「同じ学校の子とは遊ばないの?」
「学校では仲良くしてるよ。けど、家に呼ぶとオカンが……」
 道ばたの空き缶を蹴飛ばした。
「叱られるの?」
「はっきりとは言わんよ。あいそ笑いはしてるけど、目つきでわかるし。いやがってんの」
「失礼な話だ……。ごめん。お母さんを悪く言っちゃいけないね」
 忠は真剣な表情で僕を見上げた。
「オカンにチューガクジュケンせえ言われんねん。それってどう思う?」
「きみに向いてるかどうかまではわからないな。僕は中学校、公立だったよ。それで良かったと思ってる……いい友達に出会えたから」
 目の前の小さな友達は首をかしげて何かを一所懸命に考えているようだった。
「ジュケンしたら、塾の友達と一緒になれるかな。公立やと、サッカーの子らと同じ校区になるな」
 そこまで言って、ああ、と何かに気づいたようだ。
「クモを見たことのある子、もうひとりおったわ。同じ塾に。おとなしゅうて目立たへんねんけど、ムシが大嫌いで、ようからかわれてんねん。家ででっかいクモ見てから、トラウマになってんねんて。あいつは浜の子や」
「名前は?」
「ごめん。覚えてへん。学年ちゃうし。うちより西のほうやったと思う」 
「そう。思い出してくれてありがとう」
 忠は元気よく手を振って他の子達を追いかけていった。僕は林には戻らず、ぶらぶらと海へ向かった。
 昼下がりの海岸は今日も蒸し暑い。岸壁に立ってあたりを見まわす。すぐ西側には明智市西端の漁港。朝の漁を終えた漁船が並んで昼寝している。ずっと東に行くと、キアが網を拾った港があるはずだ。その手前に岬が張りだし、青少年臨海研修センターの白い建物が青い背景から浮き上がって見えていた。
 車道からほっそりした人影が近づいてきた。忠の姉さんだ。
 黙って通り過ぎようとしたら、待ち合わせでもしていたように横に並ばれた。僕に歩調をあわせて歩き出す。
「クモはみつかった?」
「手がかりはもらった。弟さんのおかげだ」
「ママは忠に勉強させて、いい学校に行かせて、ここを出ていくつもりらしいけど」
 遙さんは鼻面を持ち上げて茶髪をかきあげた。癖なのか、格好をつけているのか。
「パパは一度は出ていったのに、また戻ってきてんよ。ママかて嫁いできましたって顔しとうけど、実家は、ほん近所。結局みんな戻ってきてまうんよ」
「遙さんは?」
 聞かれるのを待っていたみたいに、こちらを見て笑った。気をつけないと手と手が触れてしまいそうに近づいていた。
「誰か連れ出してくれへんかしらね」
「他力本願かい。お母さんの子だね」
 言ってしまってからしまったと思った。案の定、遙さんの目つきが急にきつくなった。内心焦ったが、口から出てしまったものはどうしようもない。さあ罵倒されるぞ、と身構えているところに、
「ハル!」
 前方から男の鋭い声がした。
 遙さんは弾かれたように駆けだして、声の主の腕のなかに飛び込んだ。派手なドラゴン柄のシャツを着た金髪の若い男だ。身長は僕と同じぐらいだが、胸囲は倍ほどもありそうだった。シャツから盛り上がった赤銅色の肌は日に照らされて、てらてらと光っていた。つりあがった両眼が僕を頭のてっぺんからつま先まで、じろじろとなめまわした。
 誤解しないでくれよ、と言いたいところだったが、何を言っても聞いてもらえそうにないムードだ。ため息をついて、相手の出方を見守った。
 今にもこっちにつかみかかってきそうな彼氏を、遙さんがおざなりに引き留めた。細い腕をふりほどいたところで、彼氏は僕の背後を見て動きを止めた。
 振り向くと、キアがいた。いつもの街着……黒無地よれよれTシャツにすり切れたジーンズ姿だ。
「よお」
 のんびりと、というか、いつもよりむしろ楽しげな顔でキアが片手をあげた。ゆったりとリラックスしているように見えて、そばにいるとぴりっとした気合いが伝わってくる。相手が動けば即応する構えだ。
 金髪の彼氏はちょっとの間、僕とキアの顔を見比べたが、肩をすくめてきびすを返した。遙さんは露骨に不満そうな顔をしたが、黙ってついていくだけの分別はあったようだ。
 二人の姿が見えなくなってから、キアが陽気な声で言った。
「利用されたな。女の値段をつりあげるのに」
「黙って見てたのか」
「今、みつけたとこやで。間に合って良かった」
「もうちょっと待ってたら、あいつをブン殴る口実ができたのに、とか思ってないか」
「まさか」
 わりとまじめな顔で返された。
「殴りかかられたらよけるけど、こっちから仕掛けはせんよ。局面の読める相手で助かってんぞ」
「知ってるやつか?」
「いいや。けど、格好のわりにはいけそうやったな。あいつの右手、見たか?あの胼胝は空手やろ」
 あらためて嘆息をついた。やっぱり相手の実力を試してみたかったんじゃないのか、こいつ。
「このあたりの調査は今日で終わりにするよ。気になることがあるから、明日からはもうちょっと西に行ってみる」
「さっきのあんちゃんは、たぶん地の漁師やで。俺の次の休みは月曜やから、それまでは、せいぜいからまれんように気ぃつけとけよ」


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