第3章 雫石事故 その後


 162名の犠牲のもとに日本は何を学んだのか、そして一体何が変わったのか、参考となるであろういくつかの事柄をここに留めておきたい。

 第1節 航空法改正


 あの夏の日の惨事から4年近くたった昭和50年6月24日、国会の事情で3年間も棚上げにされていたある改正法案が成立した。「航空の安全と秩序を維持するための基本法」俗に言う航空法の改正法案である。同法が昭和27年7月に制定されてから、初めての抜本的改正となった今回の改正は、本件事故を契機に行われただけに、ニアミスの回避に主眼をおいたものとなった。従って必然的に、これまで日本の空を比較的自由に飛ぶことが出来た自衛隊機への規制強化に改正点が集中することになった。即ち、航空交通管制区や管制圏における曲技、試験、超音速、練習、姿勢を頻繁に変更する飛行等の禁止を定め、従来自衛隊機には適用を除外していた点についても適用されるよう改められた。また、空港周辺の空域を離着陸以外の目的で通過することを禁止し、加えて運輸省令でこの空港周辺の空域において、速度制限を課すようになった。更に、混雑する航空路については、高度変更禁止空域を設け、安全上の不都合がない限り、管制承認高度以外での飛行及び高度変更を禁止することにした。つまり、非巡航の航空機(自衛隊機)が、航空路・ジェットルート近傍はおろか、それよりもはるかに広範な管制空域にすら侵入し得ないように法律で定めたものである。自衛隊機は、これらの空域を通過する際には、有視界飛行で巡航に移行するか、計器飛行方式で運輸省の管制下にはいることが法律上義務づけられたのである。

 次に大きな改正点は、パイロットの見張り義務を法定したことである。本件事故の民事、刑事各訴訟では、条理上の義務とされていたパイロットの見張り義務が、今回の改正で正式に航空法の条文に加えられ、有視界飛行、計器飛行方式の別、自衛隊機、民間機の別にかかわりなく、全てのパイロットの法律上の義務となった。また、ニアミスに遭遇した場合、パイロットは直ちにその事実を報告する義務を負うものとした。

 三点目には、計器飛行をしようとする全ての航空機に、姿勢・高度・位置・針路を測定するための計器の搭載を義務づけ、さらに、管制区、管制圏を飛行しようとする全ての航空機に、無線機・トランスポンダー(航空機識別電波発信装置)などを搭載することを義務づけ、加えて旅客機には、ILS(計器着陸装置)受信装置、及び、気象レーダー、フライト・データ・レコーダー、コックピット・ボイス・レコーダーを搭載し、事故発生時のこれらの記録については、保管することを義務づけた。

 四点目には、当時、社会問題化し訴訟にまで発展していた大阪国際空港をはじめとする航空機騒音公害に配慮すべく、騒音対策に関する改正があったのだが、本件に関係しないので省略する。

 これらの法改正が何を意味するか、そして何を積み残したのか。ひとつ残された問題は、ジェットルートである。今回の改正に至っても、遂にジェットルートは、航空路並の正式な法の保護を受けることはできなかった。この背景については、運輸省航空局内部における醜いまでのセクショナリズムへの執着、縄張り争いがあったといわれる。つまり、航空路は航空局運航課の管轄であるのに対して、ジェットルートは、航空局管制課の管轄下にあった。航空法改正作業の裏で、ジェットルートに航空路と同じだけの法律上の保護を与えることを巡り、壮絶なまでの権力争いがあったがために、あるいは、それを回避するために、ジェットルートに満足な法律上の保護を与えていない現状を放置したまま、管制空域全体の保護を強めることで一応の安全性を担保したのである。いずれにせよ、本件訴訟の経過において、ジェットルートの不安定な法的立場から生じる不都合が露呈したことは誰の目にも明らかであり、それに気付いていながら、みすみす病巣にメスを入れようとしなかった今回の改正は、単にお茶を濁しただけの骨抜き改正であるといわねばならない。また、パイロットの見張り義務の法定化についても、過失責任主義のもとに犯人探しに明け暮れ、真相の追求を軽んじ、事故から教訓を得ようとしない日本の歴史的風潮下においては、空中衝突事故の発生により直ちにパイロットの見張り義務違反、業務上過失の成立が問われかねないと危惧する声がある。衝突機同士の位置関係如何では、両機ともに視認可能性が乏しい場合や、回避可能性が乏しい状況下での事故も十分考えられるためである。また、航空機に搭載すべき機器を法律上で定めた点については、航空会社には、全ての機器の搭載を義務づけたのに対して、それに対応すべき国の設備の設置については、法律上に明記されることも義務づけられることもなく、ただ、衆議院運輸委員会付帯決議に盛り込まれたに過ぎなかったのである。具体的に例を挙げれば、航空機へのトランスポンダーの搭載を義務づけておきながら、国側には、そのトランスポンダーの応答信号を受信するレーダー施設の建設を速やかに達成することを要請したに過ぎないのである。実際にレーダ施設が完全に完成したのは、後述の通り、事故から20年を経た平成3年のことである。更に加えていえば、改正法が航空機への搭載を義務づけた各機器は、航空会社では本件事故当時でも自主的に普及させつつあり、改正法成立時では、ほぼ全航空機に搭載が完了していたものである。反面、ここに至って国側の航空保安施設整備の相対的な立ち後れは決定的なものであり、少なくとも改正法は、設備面の安全対策を義務づけるべき相手方を誤っていたことは明白である。結局、これらの各機器の搭載を法律上義務づけたことによって改めて生じる安全への積極的効果は、航空会社の事前努力、国の航空保安施設整備の遅れから殆ど期待できず、ただ今後の新造機には必ず備えるようになるであろう消極的効果が存するに過ぎない。ましてや法文上に難解なテクニカルタームである各機器の固有名詞をいくつも登場させて義務化するのは無意味に等しい。今ここで述べるまでもなく、今日において科学技術の進歩は目覚ましく、必ずしも速やかに法改正が為されるとは限らない日本の現状に鑑みれば、機器の固有名詞を法文上に挙げることは、空の安全の為の迅速な対策を困難なものにする可能性があり、かえってマイナスである。例えば後述のTCASような当時の科学技術からすれば未知の機器までもが登場しているのであり、政令への委任で対応するのが妥当であったのではないかとの感を拭いきれない。

 立法府が、そして政治家が本件事故犠牲者の命と引き替えに学んだ教訓とは、行政府の内部抗争を如何に調節し回避するかということと、行政府に優しく民間に厳しい官尊民卑主義の再確認、はたまた難解なテクニカルタームを濫用し、国民を煙に巻くということ、そして手を着けやすい簡単なところを少しさわっただけで、如何に偉大な仕事をしたように見せるかという「コストパフォーマンス」の追求。即ち、あまたの政治家達によって使い古されてきた常套テクニックの「重要性」を再び噛みしめたが如きに尽きるであろう。このことは改正法が成立するまでの4年という長きに失した時間が如実に物語るのである。

※航空法昭和50年改正については資料が少なく、本節については柳田邦男「失速・事故の視角」291頁〜305頁 文芸春秋 1981年 に全面的に依拠しました。

 第2節 自衛隊


 その後、自衛隊の組織としての安全軽視の姿勢は改まったのだろうか。いくつか例を挙げて示すならば、昭和63年(1988年)7月、海上自衛隊潜水艦「なだしお」が釣り船「第一富士丸」と衝突した事件では、おぼれている釣り船の乗客の積極的な救護を怠った上、自らは一切回避義務を怠らなかったと虚偽の証言をし、事実が発覚するとすぐ撤回するなど旧態依然としたものを感じる。また空の事件としては、昭和62年(1987年)8月11日と19日に相次いで発生した2件のニアミスが自衛隊の体質を考えるに適当であろう。1件目は、鹿児島発名古屋行き全日空354便ボーイング767型機と、海上自衛隊の小型ジェット機が土佐湾上空でニアミスを起こしたというものである。この事件について全日空機機長は、「(自衛隊機が)正面から飛んできて、最接近時は水平距離100から200メートル、高度差0から80メートル」と運輸省に報告したのに対して、防衛庁側は、「再接近時でも9キロ開いておりニアミスとはいえない」とし、真っ向から対立した。2件目は、新潟発千歳行き全日空339便ボーイング737型機と、航空自衛隊F15戦闘機が千歳上空でニアミスを起こしたというものである。この事件について全日空機機長は、「500メートル前方を自衛隊機が横切った」としているのに対し、防衛庁側は、「5から9キロ離れていてニアミスではなかった」と主張した。これらの事例においても全日空機は管制で定められたコース・速度・高度などを遵守しており、それらの航跡は、後述のとおり日本全国に配備されている極めて精度の高い管制レーダーによって捕捉され記録されているのであるから、防衛庁の主張の信憑性の薄さはすぐにあらわとなる。にもかかわらず、それを知りつつ虚言を貫こうとする防衛庁の姿勢には暗々たるものを感じざるを得ないのである。(自衛隊の安全に対する考え方については、補遺にて追考することとする。)

 第3節 レーダー管制の整備


 国は、本件事故の重大な結果を一応認識し、事故後レーダー管制を行うための施設の整備に着手した。そして、平成3年(1991年)7月、日本全国をカバーする航空路監視レーダー(ARSR)が完成した。このシステム下では、全国17のレーダーが稼働しており、内1台が故障したとしても、他のレーダーでカバーできるようなフェィルセーフの思想が取り入れられている。

 歴史にもしもはないというが、あえていうならば、国が、本件事故発生以前の過密化した空の切迫した状態を的確に認識し、早期に手を打っていたならば、本件事故の発生を見なかったかも知れない。ばんだい号事故以後のVORなどの航法援助施設の整備しかり、全日空松山沖事故以後の地方空港の整備事業への着手しかり、事故の度に国は、それぞれの航空行政政策を一応反省し、極めて遅速ながらもこれらの各整備事業に着手しているわけだが、反省し、改めるべき最大の点は、そのそれぞれの各政策にあるのではなく、人柱行政としての航空行政のあり方そのものなのである。

 第4節 TCAS(航空機衝突防止システム)


 接近する航空機の存在を未然にパイロットに知らせ、同時に垂直方向への回避指示を与えるシステムである。各航空機に搭載される独立したシステムであり、現在日本の航空各社の運航している機体の大半には既に搭載されている。アメリカでは既に80年代に搭載が義務づけられ、日本でも1995年末に運輸省から国内航空各社に通達が出され、2001年にはJA8000番台の全ての航空機に搭載が義務づけられることとなった。

TCASでは警告音で聴覚に訴えるほか、コックピット内のCRTを通じて視覚にも訴える。回避指示はCRTを通じて為され、何フィートの上昇降下で危機を回避しうるかを示す。また、回避指示は回避操作の時間的余裕の有無により、赤・黄・緑など色分けされるなど人間工学上の配慮も為されている。

 しかし、TCASが接近する他機を識別する手掛かりは、他機のトランスポンダーの応答信号であり、トランスポンダーが故障した航空機やトランスポンダーから応答信号を発信していない航空機の接近には全くの非力である。即ち、航空管制下にある民間航空機あるいは、有視界飛行中の民間航空機であればトランスポンダーは確実に作動しており、これらの航空機間の衝突事故はこのTCASにより確実に回避しうるが、自衛隊機や米軍機のような軍用機、あるいは領空侵犯機においては必ずしもトランスポンダーからの応答信号の発信は期待できないので、依然として危険は伴うのである。また民間航空機間においても接近してくる航空機のトランスポンダーが故障などで作動していなければ、危険は回避できないし、極論ではあるが、当然ながらTCASが搭載されていない航空機が2機以上存在すれば、その2機間の空中衝突の危険は避けられない。TCASの搭載がJA8000番台の航空機に義務づけられるようになっても、それ以外の全ての航空機が搭載しない限り、また全ての航空機が常にトランスポンダーを作動させるようにしない限り空中衝突事故の根絶は不可能である。残念ながら、現在のTCASによる空中衝突事故の完全な回避の可能性は、規則を守っている民間航空機間の衝突事故の回避にとどまるのが現状である。
 なお、TCASについては、平成13(2001)年1月31日静岡県上空で発生した日本航空機同士のニアミス事故や、平成14(2002)年7月1日ドイツ上空で発生したバシキール航空機とDHL航空機の空中衝突事故で、管制官の指示とTCASの指示が異なる場合の危険性が明らかとなった。後にICAOは規則を改正し、TCASの指示を優先することを決定した。空中衝突事故の根絶の日は近いのであろうか。


続き 補遺を読む
(C)1996-2004 外山智士

ホームページに戻る
私の研究論文のページへ
「全日空雫石事故民事第2審判決の分析」表紙へ