第1章 法廷における雫石事故


第4節 検討と私見
第1項 全日空機の交換価値を、耐用年数7年で原価償却法により求めた点

第2項 国家賠償法1条責任(運輸大臣・防衛庁長官)について
第3項 国家賠償法2条責任について
第4項 責任制限約款について
第5項 判決全般を通して


 第4節 検討と私見


  第1項 全日空機の交換価値を、耐用年数7年で原価償却法により求めた点


 東京高裁は、本件全日空機の機体損害について、新造機の取得価格を主張する全日空の主張を退け、耐用年数を7年とする定率法による減価償却をなして求めるべきものとした。 東京高裁が短期間の使用であっても、使用による価値の減少を免れないとしている点や新造機の価額の賠償を求めうるものとすると、旧機を購入してから滅失するまでの間無償で使用したのと同一の利得を得る結果となって相当ではないとする点は一般論としては首肯することができる。ただ、本件全日空機と同型のボーイング727ー200型機は、事件当時それ以前そしてそれ以後も、爆発的な需要があった旅客機であり、開発された1967年から製造終了までの1984年までに約1500機も製造されたベストセラーであった。事故当時は開発から4年目、飛行実績も出てきてもっとも需要が加熱していた時期であり、注文から納入まで、現在のボーイング777やその他のベストセラー機のごとく数ヶ月から1年待たなければならない状態にあった。つまり、本件ボーイング727ー200型機においては、その過剰な需要から、必ずしも一般論は妥当せず価値は高騰しており、その中にあって、本件事故機と同じ取得後半年、しかも実際に使用し始めてから1ヶ月しか経過していない状態のものの交換価値は、新造機の価格と同じかそれを上回る可能性すらあり、滅失当時の交換価値が賠償額を決する以上、全日空の主張はあながち不当なものとは言い難い。しかしながら、実際に類似した状況下で同型機を転売したようなケースが見当たらない(あの当時の状況下では、同型機を転売しようとする者さえいないくらい需要は加熱していたのである。)以上、証明すべき資料がないとした東京高裁の判断も不当なものとはいえない。

 次に、上に触れたように資料がない以上、減価償却はやむを得ないとしても、耐用年数を7年とした点には異論がある。そもそも航空機の設計上の耐用年数は20年といわれ、実際はゆとりを持って設計するため、整備さえ怠らなければ30から40年は十分に空を飛ぶことができるといわれる。現に事故機と同型のボーイング727ー200型機は、全日空において28機使用されたが、取得後7年以内に全日空が手放したのは、唯一本件事故機JA8329のみであり、もっとも短いものでも8年半以上、長いものになると17年以上にも渡って使用している。しかも、これら残りの27機は全て大韓航空などに売却されており、老朽廃棄や用途廃棄された機体は一機として存在しない。したがって旅客機において戦闘機と同列の7年という耐用年数の設定には疑問がある。さらに本判決は、旅客機の耐用年数が法定の耐用年数よりもはるかに長いことを認めながら、本件全日空機が実際にどれだけ使用できたかは定かでなく、損害額は確実性の高いものに限り、控えめに算定するとして、法定耐用年数によるものとしているが、資料に徴すれば少なくとも十数年は飛行でき、さらに転売できたことは明らかで、この判決の理由がこの点に関し根拠を欠くことはもはや明白である。余談であるが、本判決の理論を人に拡大解釈すれば、逸失利益に絡む損害賠償訴訟などは全て成り立たなくなってしまう(即ち、その人が、実際にその年齢まで生きた、働き得たということを確認すべき資料はないなどと一蹴されかねない。)。

  第2項 国家賠償法1条責任(運輸大臣・防衛庁長官)について


 本判決は、運輸大臣が高高度管制の実施にあたり、航空自衛隊及び米軍と協議を重ね、ジェットルートと訓練空域の調整を図り、その結果訓練空域の移設などある程度の成果を収めたこと、異常接近の増加に対応して防衛庁らと協議を重ね、物的設備の整備を進めていたこと、特別管制区を設置するなど、手を拱いていたわけではないとし、本件事故発生までに安全対策が確立されなかったからといって、運輸大臣が安全対策義務を怠っていたものと評価するのは相当ではないとし、防衛庁長官も同様に航空路等常用飛行経路と訓練空域の分離等の検討を続け、傘下各部隊に対し、再三、航空路ジェットルートにおける飛行に特段の注意を促す指導を繰り返していたことから、結果的に空域分離が不徹底であったとしても、防衛庁長官が安全確保の義務を怠っていたものと断定するには足りないとしている。しかし、自衛隊機と民間機の異常接近は、日常的に報告されており、しかも民間航空の実務上このような類のニアミスについては、運輸省、具体的には管制サイドなどに報告し、さらに防衛庁にそのような部隊、編隊の存在を紹介し、存在を認めた場合は抗議するという処理がなされている。この処理により、異常接近の実情は、運輸大臣、防衛庁長官、もしくは権限を委ねられた担当者の耳に届いていたのは間違いなく、もはや協議を重ねたり、物的施設の整備を進めたり、注意を促すといった段階を超え、何時空中衝突事故が発生しても不思議ではない非常に危険な状態であることを予見することは、極めて容易であったといわなければならない。もし、耳に届いていないというのであればそれは監督不行届というべきであり、聞いてはいたが、このような取り組みしかしなかったというのであれば、明白な判断ミスであり、過失は免れない。

 運輸大臣について加えていえば、事故当時、航空需要は急激な増加を見せ、自衛隊機・米軍機のほかにも、民間機同士もかなりの頻度でニアミスを起こしていたことが窺え、にもかかわらず、レーダー管制は、殆ど整備されておらず、一部で実施されていたのみであり、更に航空機が高速化大型化して危険が高まったため、現場の管制官からも不安の声があがっていた。また、航空機の航法を援助する施設の整備も大幅に立ち後れ、信頼性の高いVORは殆ど普及しておらず、大部分を信頼性の低いNDBに頼っていたのが当時の現状であり、先のばんだい号事故も視界不良の中でADFが函館NDBのサイレントコーンに反応し、パイロットの位置誤認につながったのではないかといわれ、当時の日本の航空施設の貧弱さを露呈したひとつのケースであるといえる。このような状況下において、本判決が物的設備の整備を進めていた点を運輸大臣が義務を怠った訳ではない理由として評価することは、甚だ疑問である。

 防衛庁長官についても加えていえば、防衛庁長官が国の主張するような指導を繰り返していたにもかかわらず、自衛隊の実際の現場で働いている隈が、あるいはその上官である土橋らが、自らのエリア内のジェットルートの位置すら知らなかったというのであるから、防衛庁長官の自衛隊組織の統率力を疑わざるを得ない。防衛庁長官は、文民として自衛隊の暴走がないようしっかりと統率することが使命であり、このような杜撰な状態を、判決は、防衛庁長官が、義務を怠らず手を尽くしたというのであれば、それは防衛庁長官の統率力のなさを裁判所が容認したこととなり、直ちにそれは、裁判所が国家の基本たるシビリアンコントロールの放棄、あるいはそれが無視された異常な実情を、追認したことにほかならないのである。

  第3項 国家賠償法2条責任について


 本判例は、国賠法2条の「公の営造物」を国又は公共団体が特定の公の目的に供する有体物及び物的設備で、目的に即した管理を及ぼしうるものと定義し、ジェットルートや航空路は航法援助施設の発する電波を受信機で受信させることによってのみ覚知しうるものであり、目に見えず観念的なものであるから物的設備でも有体物でもなく、また、飛行承認した航空機以外の航空機の監視、侵入への警告、排除のための有効な手段を持たないのであるから、管理可能性がなく、結果、自然公物も公の営造物に含まれるとしても、ジェットルートと保護空域はそれにはあたらないとする。しかし、監視、警告、排除といった管理の面においては、レーダー管制を敷くことによって、相当程度実現が期待できるものであったし、欧米ではレーダー管制は既に常識であった。当時の日本の航空行政は、先にも述べたように相当立ち後れており、交通量は欧米に迫るべく増加していくのに対して、ノンレーダー管制が一般的であり、現場の管制官から不安の声が漏れるほどだった。しかも当時の日本の経済力をもってレーダー施設の整備は決して不可能ではなかったはずで、管理可能性がなかったとしてもそれは、国自体が怠慢であったに過ぎず、自らの怠慢をもって相手方に反論することは、周到な悪意に基づく抗弁であるといわざるを得ず、それに組した裁判所は権力の犬に成り下がっているとの批判から免れない。

 また、ジェットルートや航空路は、地図で観念的にはわかっても、航法援助施設の発する電波を受信機で受信することでしか、パイロットは確認できないので、認識は必ずしも可能ではないとするが、通常、パイロットが自機の位置関係を即座に特定できない状態で飛行を継続することはなく、自機の近隣の航法援助施設の電波を受信しないまま飛行するパイロットもいないと考えて良い。もしそのいずれかを怠っているとすれば、そのパイロットは、操縦の安全を図るにあたり、限りなく故意に近い重過失をおかしていることになる。(この点における国の主張は、自衛隊員が自機の位置関係を把握しないまま飛行しているのではないかとの疑念を国民に抱かせるものともいえ、現場の自衛隊員を危うい立場に追い込んでいるように思われる。)このような、重過失者の視線にあわせた判断が、一般論としても、またアメリカをはじめとする世界的な航空判例の基準となるアベレッジパイロットの原則からも、妥当ではないことは、もはや述べるまでもない。

  第4項 責任制限約款について


 そもそもこの責任制限約款の設立趣旨は、裁判の課程でもしばしば登場するとおり、ワルソー条約の同旨の規定の設立趣旨と同じく、航空企業の保護、育成と航空運送の公共性の確保であり、もし責任が無制限であれば、万一に備えて賠償額をにらんだ運賃設定を余儀なくされ、高額化した結果、一部の者しか、その利益を享受することができなくなる不合理を回避するために、またそれ以前に航空会社が賠償に耐えられず倒産することにより、航空運送業界が成り立たなくなる危険を回避するためのものといえ、現にその危険が存する以上、本判決の指摘するように、その趣旨には、合理的理由があるといえる。

 全日空は、本件約款が運輸大臣の審査と認可を受けたことをもって、約款が公共の利益を害しないものである旨主張するが、そもそも認可は、特定の私法上の法律行為の効力要件であり、その元となる私法上の法律行為の有効無効には関係しないものであり、認可を受けたからといって、直ちに私法上の有効無効を左右することはなく、公序良俗違反とならないという理由にはならない。その上、運輸大臣の審査についても公共の福祉を害する事実があるときは変更を命ずることができるにとどまり、義務ではないことから、約款変更命令を受けたことがないからといって必ずしも公共の福祉を害しないとはいえないものであり、判決ではこの部分を詳しく述べることはせず一蹴しているが、以上のように詳細に検討してもこの判断は妥当である。

 また、責任制限約款の趣旨に立ち返って検討しても、もはや、全日空の経営基盤は、このような約款の全面的保護にあずかる必要のないものであることは明らかであって、航空企業の保護、育成という第一義的意義は薄れるものといえるし、現実に昭和41年2月に起こった全日空羽田沖事故では、当時の約款の責任限度額315万円のところ、500万円を支払っているし、同年11月全日空松山沖事故でも、315万円の責任限度額のところ800万円を支払っている。ちなみに、他の航空会社の事故においても、約款もしくは条約の責任限度額の2倍近い額を支払うのは、国際的傾向であったといえる。もっとも全日空の主張にあるとおり、賠償額は約款の限度額であって、それ以外は葬祭料・見舞金・香典など他の名目で支払われているが、性質としては損害賠償の性質を有することは明らかであり、全日空主張のように分けて考える必要はないものといえる。つまり最高額の定めとしての約款の役割は既に合理性を欠き、したがって、国が支払った金額のうち、615万円を超える部分については免責されるとの主張は説得力に欠き、この点においても裁判所の判断は正当である。この点についての法律上の議論として、約款の責任限度額の定めは債務不履行、不法行為その他法律構成の異なる請求にも全て適用があり、共同不法行為者間の求償に関しても民法437条の類推適用があるので、国にも債務免除の効力が生じており、その限度で国の負担額も減少しているにもかかわらず、国が任意に支払ったものに過ぎず、全日空には支払い義務がないとの全日空からの主張があるが、この点について本判決は、本約款は、航空会社と旅客の間に適用があるものと解され、航空会社と共同不法行為責任を負う第三者については適用される理由がなく、ただ求償の段において、約款の趣旨である航空企業の保護育成に徴し、制限の定めが適用されるものと解し、原則として適用を否定しながらも、約款の趣旨から437条を介することなく責任制限が適用されることを認容している。ただ先にも述べたように、全日空には保護の必要性の薄らいでいることから、額が615万円に限定されるとすれば、被害者保護との均衡に失し、その範囲において本件約款は公序良俗違反であり、国際的水準を考慮すべきとし、その結果本件の賠償金は、国際的にも妥当な線であり、求償は妨げられないとも判示している。全日空側の主張は実際に自身では絶対になすことはない約款を根拠とする賠償金の免責を、いわば報復的な請求として国側に求めたに過ぎないもので、無理は承知の主張であったはずである。
 現に、本件訴訟の中で、全日空自ら、名目は別にしているといえ責任制限以上の金額を支払うのは、円満解決を図るための法的義務なき譲歩であるとしていることからも、当時においても、本件責任制限条項が実際の免責基準としての機能を果たしておらず、社会的存在意義の希薄さを全日空自らある程度認識していたであろうことは想像に難くない。

 なお、全日空ほか国内航空10社は、本件訴訟係属中の昭和57年に該責任制限約款を改正し、国内航空事故の人身賠償額を無制限に改め(平成4年には国際線も無制限化した)ている。いよいよ航空会社自らが保護の不必要性を認識し、また、事故により無限責任を負うことになったとしても、直ちにそれが、運賃の値上げや倒産といった航空交通の公共性を害する結果を導き得ないことを認めたものといえる。ただ、だからといって、日本の航空各社において、今後一切このような責任制限約款の設置をしないと宣言したものと見るべきではないし、また既存のワルソー条約の責任制限条項に対し否定的な姿勢を見せたとも考えるべきではないだろう。何故なら、世界的規模で眺めれば、発展途上国の航空会社を中心に経営基盤の不安定なケースは多く、また経営基盤に問題はなくとも、貨幣価値の違いにより、無制限とすれば、たちまち倒産しかねないようなケースも十分考えられるからである。即ち、責任制限の規約は世界的な国際航空運送の維持発展にとって、おそらくこれからも末永く必要なものであり、たまたま日本が目覚ましい経済的発展を遂げ貨幣価値も上昇し、航空会社も国の成長に伴い成長を遂げたことなど特殊な事情が重なったことにより、この責任制限条項を不要とできる地盤が整ったといえ、今後の国家の動向や航空業界の動向、例えば国家経済全体の停滞・減退、航空自由化による国際国内航空の競争の激化、航空不況、航空事故、またはこれらの要素の複合により、何時日本の航空会社も経営基盤が危うくなるとも限らず、その際には再び必要となる可能性は十分考えられるのである。

*なお約款の責任制限額については、先例(大阪地裁昭和42年6月12日判決、下級民集18巻5・6号641頁)がある。本件の判示するところに大きな相違はないので簡潔に触れておきたい。

 事実 日東航空(現日本航空ジャパン)の航空機が、昭和38年5月1日淡路島に墜落。乗員2名が重傷、乗客8名が死亡した。当時の日東航空の約款では制限額は100万円とされており、それに対し日東航空は350万円で示談を持ちかけたが、1名の遺族だけが示談に応じず、民事訴訟となった。

 判旨 運送人の責任を制限することの経営上の必要性合理性、これを禁ずることで必ずしも一般旅客に有利とはいいえないこと、国際的にもこの考え方は広く承認されており、故に責任限度を制限すること自体を当然に違法、無効であるとまでは断定し得ない。
 企業の保護育成という見地から見ても、100万円は必要な限度額とは言い難く、被害者の救済と企業の保護という2つの要請の妥当な調整という見地から見れば、合理性妥当性は有せず、最高限度額としてはあまりに低額に過ぎ、かかる条項の適用を強いることは公序良俗に反し許されない。


*航空機事故の責任制限約款の問題については、中華航空機事故(平成6年4月26日午後8時16分、名古屋空港で中華航空エアバス300−600R型機が着陸に失敗し、乗員乗客264名が死亡した日本の航空史上2番目の惨事)でも、遺族と中華航空、エアバスインダストリー社の間で民事訴訟となった。このケースでは、、中華航空側は、ハーグ議定書におけるワルソー条約(補償上限額、現在のレートでは約200万円)と、中華航空の運送約款(同約600万円)の上限を超えた補償金額(約1640万円)を提示していることを理由に、これ以上の支払いを拒む主張をし、これに対し遺族側は、ワルソー条約は、航空会社の重過失が認められる場合は、補償金額の制限条項が撤廃されることを根拠にパイロットの操縦ミスの立証に全力を傾けた。また本件では、エアバスインダストリー社の製造物責任も問われ、展開が注目された。名古屋地裁判決は、中華航空への請求については、パイロットが自動操縦中に手動操縦を継続した行為について、パイロットは墜落の危険があることを認識しつつ、あえて操縦輪を強く押し続けて進入を継続したものと断定し、この行為は乗客の生命財産を安全に運送するという最も基本的かつ重要な義務を無視したものであり、無謀というほかないとし、「無謀に、かつ損害の恐れを認識して行った」行為と認定し、改正ワルソー条約25条の責任制限規定(20000米ドル)の適用は排除され、中華航空は損害の全額を賠償する責任があるとした。次にエアバス社への請求については、事故は極めて例外的な操縦によって起こったものであり、設計思想と比較しても合理性を有しないということはできず、欠陥であるとはいえないとして、製造物責任は認めず請求を棄却した。

  第5項 判決全般を通して


 本判決の全てを通じていくつか感想をとどめておくと、まず目に付くのは、飛行経路などの事故までの経緯を探る際の事実認定の際に為された配慮の細かさと精密さである。専門家に依頼したにせよ、とても航空に素人の法律家が為した判断とは思えず、裁判官の腐心が窺える。
 しかし、国家賠償法関係の判断では、官僚や政治家には弱腰な部分が目立つ反面、末端の公務員は切り捨てる非情ともいえる一面も見せつけた。
 さらに、本判決は航空実務又はそこでの実情をあまりに軽視しており、全日空にとっては少し酷な結果となっているといえる。


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(C)1996-2004 外山智士

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