第1章 法廷における雫石事故
第3節 東京高裁判決
判決理由においても、各理由につき極めて詳細な判断をなしており、全て細かに触れることは不可能ですが、各争点につき簡潔に要約することにしました。
○自衛隊機の航跡について バッジシステムの解析記録は、焼砂証言とも相容れず、他の編隊の航跡が混同している可能性もあり、少なくとも自衛隊機の航跡については国主張の飛行経路を認定することはできない。
○全日空機の航跡について 政府事故調査委員会作成のF・D・Rの記録に基づく全日空機の飛行経路の推定(図面1)は、風など気象データやアーリーターンを考慮しなければならないものの、概ね正当と考えられる。
- 航法関連計器、F・D・R、また航空実務上、全日空機が函館NDBから仙台VORに向かうコースを飛行していたと認めることはできず、国の主張は失当である。
- 結果、全日空機の青森以南の飛行経路はJ11Lからは西によっていたものと認められるが、国の主張する函館NDBから仙台VORへ向かう線上よりは東側であり、事故調査委員会の認定した図面1の線よりは西寄りの線であったと見るのが相当である。
○空中接触地点について 事故調査委員会の認定は衝突後の精度の疑わしいF・D・Rの記録を基礎としており、サーボ機器分離の初期条件も明らかでなく、目撃証言のとの整合性にも欠け、直ちに採り得ないものである。次に海法鑑定書については、落下傘の開傘時期が明らかではなく、風向風速も平均値を用いている上、目撃者の供述は事故後7年を経て、防衛庁職員が得たものであるなど信憑性に欠け、この鑑定をもって接触地点を定めるのは困難である。全日空機飛行経路、目撃証言の検討、機体破片の分布状況を総合すると、北緯39度44.5分、東経140度57.1分を中心とする半径1キロメートルの円の範囲の上空28000フィート、J11Lから6.7キロメートルの地点になるものとするのが相当であり、この地点は、J11Lの保護空域内であり、且つ、松島派遣隊が定めた飛行制限区域内である。
○自白の撤回について 全日空らの相対飛行経路の主張は、主要事実である隈、市川の過失の前提となる間接事実の主張に過ぎず、これを認める旨の陳述には、自白としての拘束力がなく、これを撤回することは許されるものと言うべきである。
○接触前の相対飛行経路について 事故調査委員会の相対飛行経路は、両機の破損の状況特に擦傷条痕等から推定されたもので、ICAOの定めた方法でもあり、合理性がある。それに対して、国主張の鷹尾・黒田鑑定書は、擦傷条痕から交差角を推定できないとしたり、市川機が全日空機を回避すべく採った左バンクの結果が反映されていないなど事故調査委員会の推定を批判するが、何れの批判も当たらず、その上該鑑定は、市川の全日空機視認状況にのみ依拠したために、訓練生機機速が非常に遅く算出されたり、バンク角が0度から3度と算出されるなど、他の部分と背馳しており、該鑑定は採用できない。
○隈から全日空機に対する視認可能性 視角、視野、コントラスト、方向など検討の結果、接触前22秒まではもとより同14秒までも、全日空機を視認することは可能であったと認めるのが相当である。
○市川から全日空機に対する視認可能性 同様の検討の結果、衝突前39秒から30秒までは全日空機は右前方の比較的見やすい位置にあったが、教官機は左前方にあって、両者の間隔は100度前後あり、同14秒には教官機はほぼ正面に来たが、全日空機はほぼ真横に来たので、市川が教官機のみに視線を向けていると、全日空機を視認しうる可能性は少なかったものと認められる。
○自衛隊機側における接触の予見可能性 先の視認可能性に関する事実によれば、隈は、接触前39秒から22秒前まで、あるいはその後においても全日空機を視認し、観察していれば接触の危険を予見し得たものであること、市川においても、接触39秒前から30秒前までの間に、全日空機を視認し、数秒間継続して観察していれば、接触の危険は認識することができ、その後においても一層接触の予見は容易になったものであることが認められる。
○自衛隊機側における回避可能性 視認、判断、操作、機体応答にかかる時間を逆算すると市川においては7秒前、隈においては14秒前までに全日空機を視認していれば、回避は可能であった。
○接触時刻 全日空機と松島飛行場管制所との管制交信記録(札幌・松島・新潟の三カ所で録音されていた)によると、札幌テープのみに見られる午後2時2分37.9秒から38.5秒の雑音の中断について、三沢にある受信アンテナと、全日空機機体中央上部にある送信アンテナの間に訓練生機が介在し、電波を遮蔽したものとしている事故調査委員会の推定は合理性があり、接触時刻は38、9秒頃とするのが相当である。
○全日空機操縦者らからの訓練生機の視認可能性 視角の点において、接触前30秒前には視認可能な範囲に入り、同20秒には視認の容易な大きさになっており、視野の点でも、同30秒から同4秒まで終始視認可能な範囲にあり視認し得たものと認められる。
○全日空機操縦者らからの接触の予見可能性 ハリス鑑定書は全日空機パイロットは訓練生機が次に何を行うかを知ることは期待できなかったとするが、そのまま進行すれば接触の危険性が著しく増大していくことを認識し得たものと推認される。
○全日空機操縦者らからの回避可能性について 接触の危険を察知するには視認後しばらく訓練生機の動きを監視する必要があり、7秒前に視認したのでは回避のためには遅すぎ、14秒前頃に視認している必要があり、しかも14秒前頃の訓練生機との距離は1.1キロメートルであり、衝突の危険が切迫した状況ではなく、進路権の問題もあり、早すぎる回避操作はかえって危険を増大させるという事情を考えれば、この時点の回避操作の決断は事実上困難であり、相当でもないというべきである。しかし、7秒前程切迫した場合には、操舵角90度の保持の継続による急旋回を行うことを決断すべき状況にあった。
○ジェットルートとその保護空域の公示性について ジェットルートが運輸大臣により空管第268号通知をもって公示されたことは争いがない。保護空域は空管第268号別添管制方式にジェットルートの幅として記載されていたが、別添管制方式は管制業務にのみ必要なものと考えられたため、高高度における管制に関係する機関に送付され、米軍及び防衛庁には送付されず、空管第268号別添付図には、ジェットルートの幅ないし保護空域は記載されず、直線をもって表示されていたのみである。もっとも、管制方式基準は防衛庁にも送付されたが、これは、自衛隊所属航空基地で民間航空と自衛隊とが共用する一部飛行場における管制業務が航空法137条3項により運輸大臣から防衛庁長官に委任されており、その業務のために管制方式基準が必要だったのである。
○J11Lの飛行頻度について 東北地方では最も多い方であるが、全国的には中位の飛行頻度であったことが認められる。
○訓練空域について そもそもの訓練空域設置の目的は訓練機の掌握指揮に適することと、在空自衛隊機相互間の分離、安全のためであったが、次第に民間航空機との分離という要請をも考慮する必要が生じていた。しかし松島派遣隊のごとく航空路、ジェットルートの両側を飛行制限空域としているのは、特殊な例である。また訓練空域は必ずしもその範囲を厳格に守らなければならないものではなく、そこからはみ出しても、局地飛行空域内で飛行制限空域外であれば、訓練を行っても差し支えないものと理解されていた。
○ジェットルート及び訓練空域の設置及び管理に関する過失(国家賠償法一条に基づく責任) 運輸大臣が、航空行政全般を主管し、統括する権限を有することは航空法及び運輸省設置法の規定上明らかであり、航空の運航に関する規制権限、それへの強制力を持ち、その行使には航空交通に関する行政の合目的見地から自由裁量をもっている。しかし、このような規制権限の行使が運輸大臣の自由裁量に属すると言っても、空域利用者の一部のものの自由使用を合理的な範囲を超えて制限し、利用を著しく困難にするような規制を行う権限を当然に有するものではなく、各利用者の利用の目的・必要性、特にその公益性を考慮し、その調整を図るべき責務があるものといわなければならない。この見地からすると、航空自衛隊及び米軍は従前からの高高度航空の重要な利用者であったことが明らかであるから、高高度管制の実施に当たりそれらと協議を重ね、ジェットルートと訓練空域との調整を図ったことは、妥当且つ必要な措置であり、その結果も、危険の大きい特殊訓練空域をジェットルートと抵触しないところへ設置させるなど一応の成果を収めたものということができ、その後も異常接近の増加に対応して、さらに防止策について検討し、防衛庁らと協議を重ね、、他方でその間、物的施設の整備と共に、必要性の高い空港周辺に順次特別管制区を指定することによって管制を強化していたのであって、決して手を拱いていたわけではなく、航空自衛隊の訓練飛行に関して、より早期に厳格な規制をすることが可能であったと言うべき事情は見いだしがたい。そうすると、本件事故当時までに、結果として十分な安全対策が確立されなかったからといって、運輸大臣が安全対策を講ずべき義務を怠っていたものと評価することは正当でないというべきである。
- 防衛庁長官は、自衛隊の隊務を統括する者として、傘下の航空自衛隊の業務を指揮監督し、その所属の航空機の運航に関し、他の航空機との間の安全を確保する見地から、これを規制する権限と義務を有することが明らかである。すなわち、防衛庁長官は、航空自衛隊の業務の性質上不可欠な飛行訓練を安全に行うことのできる空域を確保しなければならないと共に、それが民間航空機の交通する空域と重複するときは、両者の必要性の度合いに応じて使用区分を定めるよう運輸大臣と協議し調整を図り、所定の飛行ルートに従って飛行する航空機の運航に危険をもたらすような訓練をできるだけ行わないように配慮すべきである。しかし、航空自衛隊が各基地から遠くないところに相当広汎な訓練の場を必要とすることは首肯しうることであり、他方、民間機の常用飛行経路であっても、利用頻度によっては、常時その専用に委ねる必要もないのであるから、必ずしもこれと訓練空域とを全く分離しなければならないものではなく、隊員に対し、特に見張りを厳重にして飛行するよう注意を喚起するなども、安全確保の一方策たりうるものと解される。認定事実によれば防衛庁長官は、運輸大臣との間に、高高度管制の実施にあたって、訓練空域との調整につき協議し、特に危険性が考えられる曲技飛行及び対戦闘機戦闘訓練を行う空域の移動に応じ、以後も異常接近防止分科会において航空路等常用飛行経路と訓練空域との分離等の検討を続け、その間、傘下各部隊に対し、再三、航空路及びジェットルートにおける飛行について特段の注意を促す指導を繰り返していたのであり、特に本件との関係では、松島派遣隊の自主的規制としてではあるが、飛行制限空域を定めていたのである。この事実によれば、結果的に空域分離が不徹底であったとしても、防衛庁長官が安全確保の義務を怠っていたものと断定するには足りないと言うべきである。
○営造物の設置・管理の瑕疵(国家賠償法2条に基づく責任) 国家賠償法2条に基づく公の営造物とは、国又は公共団体が特定の公の目的に供する有体物及び物的設備をいい、少なくとも事実上、右の目的に則した管理を及ぼしうるものであることを要すると解される。ところで、空は、本来無限の広がりを持つ空間であり、そこに航空機の飛行すべき一定の飛行経路や空域を定めても、その限界は観念的なものであって、一定範囲の空間は他から独立した一個の有体物ないし物的設備となるものではない。第一審原告らは、右に言う営造物とは可視的な有体物に限らないと解すべきであり、ジェットルート、航空路等は、航法援助施設の発する無線電波によってその範囲が物理的にも特定され、管理されていると主張するが、電波による管理とは、航空機が各航法援助施設の発する電波の周波数に受信機を同調させることによってこれを覚知しうることのみを意味するもので、当該周波数を選択しない航空機は、その範囲を具体的に知ることができないのであるから、このような電波によって管理される空間の範囲を可視的な有体物と同視しうるか否かは疑問である。すなわち、本件で問題にされる営造物の安全性とは、ジェットルートないしその保護空域について、当該ルートを飛行する飛行計画の承認を受けたIFR機が優先して飛行することができ、他機はみだりにその空域に立ち入ってはならず、あるいは立ち入る場合には特段の注意を払わなければならないことが他機にとって明らかであることを前提とするものと解されるが、このように観念的な線引きと電波によってのみ範囲が特定される場合には、他機は、地図等によって観念的にはジェットルートの位置を知り得ても、実際の飛行において、ジェットルート及びその保護空域の具体的な位置範囲を認識することは常に必ずしも可能ではなく、また、管理者側においても、飛行承認を与えた航空機以外の航空機の飛行を監視し、侵入に対して警告を発し、あるいは排除するなどの有効な手段を持たないのであるから、安全確保の見地から、事実上の管理可能性があるとは言い難いのである。そうしてみると、自然公物も公の営造物に含まれ得るとしても、ジェットルート及びその保護空域が公の営造物に含まれると解することは困難であり、したがって、国家賠償法2条による責任は、その余の点について判断するまでもなく失当である。
○本件訓練に対する自衛隊員らの過失(国家賠償法1条に基づく責任) 航空路での曲技飛行を禁止する航空法91条2号の規定はジェットルートにも類推適用されると解する余地があり、ジェットルートを横切る場合にも、航空路と同様の注意をもってすべきであり、ジェットルート近傍では、危険性の高い飛行訓練はできるだけ避けるべきものと解される。しかし、ジェットルートは直線をもって定められていて、幅はなく、保護空域は管制のための基準として定められたもので、公示されていず、航空自衛隊の飛行部隊の幹部にすらその存在は必ずしも知らされていないのであるから、VFR機が保護空域を侵犯してはならないとの法律上の義務を認めることはできない。松島派遣隊における細分化された訓練空域及び飛行制限空域は同隊が、格別の上部規則によらず独自に定めたものであるから、その逸脱侵犯が直ちに違法を来すものではない。しかし、右飛行制限空域は、ジェットルート近傍において訓練を行うときは、同ルートを飛行する航空機と異常接近する危険性が高いことから定められたものであることが明らかであり、その存在は隊員にも知らされているので、ジェットルートの両側各5海マイルについて危険性が特に警告されているものといえるから、同隊所属の隊員が飛行制限空域の存在を忘れ又はこれを知りながら故なく、同空域内において、例外的に許容されたもの以外の訓練を行い又は部下に行わせた場合には、これによって事故を発生させたときに、過失を推認させる強い事情があるというべきである。従って、松島派遣隊において、本件事故当日、隈、市川に飛行訓練を行わせるにつき、具体的には土橋及び田中、松井のした臨時の訓練空域の設定、指示において、安全を確保すべき注意義務を怠った過失があるというべきである。
- 市川のように機動隊形の編隊飛行訓練を殆ど初めて行う訓練生については、機動隊形の標準的飛行要領に従って教官機に追従するのが精一杯であって、飛行位置の確認をする余裕もなく、また見張りをすることも事実上殆ど期待し得ないものであるところから、航空自衛隊内においては、飛行制限空域等特に交通の危険の大きい場所に留意して訓練を行うべき義務及び編隊全体の航行に必要な見張りをすべき義務は、全面的に教官が負うべきものと考えられていたことが認められる。但し市川も単独で航空機の操縦にあたる者として、原則としての見張り義務を負うものであり、左右70度の範囲で見張りを行っていれば、早期に全日空機を発見しうる機会があり、回避し得たものと認められるから、小なりとはいえ過失の責めを免れない。
- したがって、隈においては飛行制限空域に留意し、同空域を民間航空機がかなりの頻度で飛行している可能性があることを考えて、これに対する警戒に困難を生ずるような飛行形態をとらないようにし、見張りを特に厳重にしなければならない条理上の義務があったものと言うべきである。隈はジェットルートJ11Lおよびその両側の飛行制限空域の存在を知らなかったわけではないが、本件訓練にあたってその存在を十分に意識せず又はその位置の判断を誤って右空域内に入り、しかもその中で、見張りが疎かになりがちな旋回飛行を行って、訓練生機を全日空機の進路に接近させ、ひいては本件事故に至らせたものであって、この点において、隈は、本件事故につき過失を免れない。
- さらに隈は、機動隊形による編隊飛行訓練を行う教官として、全面的な見張り義務を負うものであり、通常は左右各70度の範囲で見張りをしていれば安全は確保しうるとしても、訓練生機の飛行方向に対する見張りもなすべき義務があり、しかも旋回中は危険な方向が拡大しあるいは刻々移動するのであるから、教官の見張り範囲は可能な限りの全範囲に及ぶべきである。従って隈は本件具体的状況下にあっても、左右各132度までの見張り義務を負うものと言うべきであり、この義務を尽くしていれば早期に全日空機を発見して接触の危険性を知り、これを回避し得たものと認められる。隈はこの点において過失の責めを免れず、その過失は大きいと言うべきである。
○全日空機の回避義務について 国は全日空機が航空法施行規則185条にいう追い越し機として回避義務を有すると主張するが、全日空機が訓練生機に対してそのような位置関係にあったものとは認められない。本件においては、接触前数秒間に限って見れば、両機の進行方向は直線に近く、前方で小さな角度で交差する形になっているが、他方訓練生機は、全日空機から見ると、横の方から来て左旋回しながら接近してきたのであり、時間を遡るにつれて両者の進行方向の角度は開いていくのであって、全日空機側の回避操作が可能な時点である7秒前より以前においては、両機が追い越し関係にあったものと認めることはできない。
- 全日空らは航空法施行規則第180条181条により、飛行の進路が交差又は接近する両機間において、全日空機を右側に見る訓練生機が進路を譲るべき義務があり、全日空機は進路権を有するものであるから進路及び速度を維持すれば足り、それが義務である旨主張する。確かに全日空機に一応の進路権があることは肯認できないものではないし、進路権のある航空機の早すぎる回避行動がかえって危険を増加させる虞れがあることも頷ける。しかし、回避機が適切な回避行動をとらず、又は、回避機の回避動作のみでは衝突を避け得ない状態になったときには、進路権を有する機も、衝突を避けるための最善の協力動作をしなければならないものと解すべきである。本件において全日空操縦者らは接触前7秒より数秒前までに訓練生機を視認し、以後継続してその動静を注視していれば、同機が同一形態の飛行を続けて次第に自機の進路に接近し交差する方向に進行しており、しかも訓練生機が全日空機を回避する措置をとる形跡がなく、回避可能ぎりぎりの所まで切迫してきたことを認識し得たのであるから、接触前7秒前には自ら回避措置をとるべきであり、右旋回で回避は可能であったと認められる。故に、全日空機操縦者らは回避すべき義務を怠り、その結果本件事故を惹起したものというべきである。
○全日空機の見張り義務について 計器飛行方式で飛行していたとしても左右各70度の範囲における見張り義務があるべきところ、とくに本件全日空機操縦者3名は当日朝、札幌発東京行き全日空50便に乗務したとき、岩手県上空において自衛隊機と遭遇し緊張したことがあった事実が認められ、本件事故当時においても他機の存在を予見できたはずであり、少なくとも見張りを厳重にすべきであったということができる。そして遅くとも接触前20秒までには訓練生機に対する視認が可能であり、接触前7秒より数秒以上前から視認に注意を払っていれば、接触を予見し回避し得たのであるから、接触7秒前まで訓練生機を視認していなかったとすれば見張り義務を怠り、その結果本件事故を惹起したものであるというべきである。
○過失割合 航空自衛隊松島派遣隊員には過失があり、特に隈においては、多数の民間機の航行が予想されるジェットルート近傍で、且つ、同派遣隊がその危険性を考慮して飛行制限空域と定めた範囲内で、機動隊形の旋回運動を行い、その間右空域の危険性に応じた見張りを怠っていたもので、その過失は大きい。他方全日空機操縦者らも、訓練生機を視認しながら危険が切迫しても何らの回避措置もとらなかったのであり、また、そもそも見張りを怠ってしていなかった疑いもあり、その過失は決して小さくはないというべきである。しかし全日空機は、一応ジェットルートの保護空域内を飛行しており、しかも訓練生機との関係では進路権があると考えられる位置関係にあり、この過失は、自衛隊員らの過失に比すれば小さいものということができる。故に過失割合は自衛隊2、全日空1と認めるのが相当である。
○全日空機の機体損害 原告らは全日空機の毀損による損害について、同機が取得後4ヶ月余りを経過したに過ぎない新品同様のものであり、その喪失を補填するためには、同一型機の新造機を購入するほかに方法がないから、本件事故時のB727ー200型機の新造機の購入価額をもって損害額とすべき旨主張するが、短期間の使用であっても、使用による価値の減少を免れないのであって、新造機の価額をもって、本件事故時の全日空機の価額と同一とすることはできない。仮にこのような場合に新造機の価額の賠償を求めうるものとすると、旧機を購入してから滅失するまでの間無償で使用し得たのと同一の利得を得る結果となって、相当ではないことは明らかである。
- 全日空機の本件事故時の評価額を直接証明しうる証拠はない、従って、同機の価額は、取得価額から経過期間に応じた減価償却を行って求めるのが相当である。
- なお、事故当時の新造機の価格は27億円との記載が見られるが、積算根拠が示されていないので、直ちにこれを採用できず、本件全日空機を取得するのに現実に要した金額を基礎とすべきである。
- 法人税法等において、国内線に就航する大型ジェット機の耐用年数は7年とされている。もっとも、大型旅客機の実際の使用可能年数は、税法上の耐用年数よりはるかに長く、新規耐空証明を得てから十数年を経過した航空機も現実に運航に供されている事実が認められるが、本件全日空機について実際の使用可能年数を確認しうる資料はなく、損害額は、確実性の高いものに限り、控えめに認定することに鑑みれば、法定の耐用年数によって算定すべきものである。
- 故に、全日空機の機体損害額は22億665万8377円であり、航空保険の保険金24億4800万円の支払いを受けた全日空には機体損害の賠償請求権は存在しないことになる。
○信用毀損による損害 一、団体予約取消による損害 本件事故後の短期間に集中して、大量の団体予約取消が生じていることから、本件事故の発生が予約取消の直接の理由となったものが多いであろうことは窺うに足りる。そして人が事故後に航空旅行を取りやめることが多いというのは、かねてから航空の安全性に対する不安感を抱いており、それがたまたま事故を契機として、顕在化し、新たな選択をする結果であることは確かであるが、事故がなければ、予定通り旅行をしたであろうという意味において、事故と旅行取り止めとの間に条件関係が存することは明らかである。しかしながら、予約取消をした団体客が、事故前から抱いていた不安感は、以前からの大小の航空機事故の反覆によって醸成されていたものと考えられ、以前の事故の影響も無視しがたいところである。また事故を理由として予約を取り消した顧客の中にも、他の事情と複合した事由によって旅行を取りやめた者がないとは限らず、特に昭和46年8月中旬以降いわゆるドルショックによる不況が生じたことが認められ、事故を口実とする他の理由による取消が混在している可能性も否定しがたい。
- そうすると、団体予約取消による収入減の全部が本件事故によって生じたものとは認められないので、損害賠償の額は、本件事故が損害の発生に寄与した割合によって決めるべきであり、その割合は5割を下らないものと認めるのが相当である。従ってこの点の全日空の損害は、請求の半額の1930万1000円と認めるのが相当である。
二、幹線における一般利用客減少による損害 全日空はこの損害を求めるにあたり、旅客人キロシェアに基づいて算出しており、航空旅客の逸走を考慮せず、さらに短期の景気変動や偶発的要因による不規則変動を除去すべく旅客人キロシェアの12ヶ月移動平均法を採用し、さらに季節的な変動を考慮するため、昭和43から45年の実績から得られる季節変動を加減して、本件事故がなかった場合の推定シェアを求め、実績と比較する方法を用いていて、不合理なものといえず、損害額の算定方法として控えめなものと評価することができる。
- 例年8月には全体としての需要がピークに達し日本航空の座席利用率が限界に近づき、あふれた旅客が全日空の便に流れることから、全日空の利用者が増加し、シェアも増大するものと考えられ、昭和43から45年のみならず47、48年においてもその年のピークを示していることから、事故がなければ、昭和46年8月にも旅客人キロシェアは最高潮に達したであろう可能性が強いことが認められる。国は、季節変動のデータは、昭和39年から7年間について見るべきとし、その結果激減とはいえない旨主張するが、昭和41年2月の全日空羽田沖墜落事故で利用客は急減、さらに同年11月の全日空松山沖墜落事故の影響が加わり昭和42年まで業績の低迷が続いたため、全日空は同年までの数値を採用しなかったものと認められる。故に全日空の算定方法は是認し得ないものではなく、不当とすべき事情は認められない。
- この種の損害の算定は、例えば人身事故による逸失利益の算定を、事故時の収入又は平均収入によって行うのと同様に、事故時の状態から蓋然的に予測される事情に基づいて行うほかはないのであり、事故から相当の期間を限りその間事故前のシェアが維持されるものと予測することには合理性があるものというべきであり、昭和48年以降の全日空の旅客人キロシェアが事故前より高い水準を保っている事実に照らしても全日空の予測を誤りとすべき事情はなかったものといえる。
- そうすると全日空の幹線における収入減は5億6268万2000円である。
○全日空主張の事故処理関係費用相当の損害 遺体処理費・法要費・事務処理作業員等費用・出張関係費・謝礼・遺体収容所の修理費・山林補償・その他の諸雑費、について国は、一部重複、過大支出、相当因果関係を争うとしているが、何れも認められない。遭難者見舞金は、共同不法行為者として負担する損害賠償債務の一部の履行としてなされたものと推認すべきである。医療費・食費・消耗品費の一部・器具備品費の一部・資料費の一部・新聞掲載費・その他の諸雑費については、相当因果関係がないか、損害の存在自体を否定する。
○訓練生機及びその装備品の損害、乗客遺族補償業務に要した経費 訓練生機及びその装備品の損害は容認、乗客遺族補償業務に要した経費については、見舞金、見舞品は、被害者に対する損害賠償の性質を有するものと推認されるから、過失割合による求償が認められ、その余の支出は不法行為による損害賠償債務の弁済の費用と認められるところ、全日空が国に対して補償の交渉及び支払いを委託したかどうかには争いがあるけれども、いずれにせよ、第三者に対する損害賠償債務のうち、過失割合により、全日空が負担すべき部分については、国が右全日空のため補償交渉等の事務を行ったものとみるべきであるから、委託があるときは委任事務処理の費用として、委託がないときは事務管理の費用として、国が全日空に対し負担割合に応じて求償しうるものと解するのが相当である。故に、交通費等・宿泊費等の一部(宿舎借上料)・事務費の一部(電報電話代、コピー等の事務機器借上料、訓練生機落下に伴う人身家屋水田の損害についての見舞金見舞品代)・超過勤務手当・車両運行に要した費用・雑費の一部(シーツの洗濯代等)については求償しうる。宿泊費等の一部(食費、加給食費)・事務費の一部(消耗品費・会議費)・航空機運航に要した費用・雑費の一部(医薬品費・消耗品費・雑貨代)については求償は認められない。
○県及び市町村支出金の弁済 地方公共団体の要した費用は、本件事故によって被った損害であるか又は事務管理費用であると解され、前者であればもとより後者としても、全日空及び国において、各過失割合に応じてこれを償還すべき義務を負うものと解され、国のした支払いは、その負担部分を超える部分については、全日空に対して、共同不法行為者間の求償、委任事務の処理又は事務管理の費用として、償還を求めることができるものというべきである。
○約款の責任制限について 責任制限を定める約款の趣旨について考えるに、弁論の全趣旨によれば航空運送は、現代社会における高速度の輸送手段として公益性の認められるものであり、航空運送の確保とその健全な発展を期するためには、航空企業の経営基礎を確実なものとする必要があるが、航空機が大型化した現代において、いったん航空機事故が生じたときは、被害者も多数に上り、それに対する賠償額を無制限なものにすると、その総額が極めて高額化する虞れがあり、そのような無制限の賠償義務を負担することを予想して運賃を高額に設定すると、かえって、公衆の航空の利用を困難にし、ひいては航空運送の健全な発展を阻害するのであって、約款をもって損害賠償額に限度を設けること自体には合理的理由があるものというべきである。しかしながら、人命の尊重事故被害者の救済の見地からは、できる限り実質的に被害を填補するに足りる損害賠償額を得させることも、当然に要請されるのであり、自動車事故等においては損害賠償額に限度がないこと、航空運送約款は、企業が一方的に決定するものであって、旅客の側に契約内容の選択、変更の余地がなく、したがって、約款による責任制限が無制限に認められるときは、企業が優越的地位を利用して、不当に私人の権利を制限するに至る虞れがあることに鑑みると、約款の責任限度額の定め方如何によっては、約款の当該部分は公序良俗に反し、無効となることもあり得るものというべきである。なお航空運送約款に対する運輸大臣の認可は、公衆の正当な利益を害する虞れのないことの基準によってなされるのであるから、本件責任制限約款も、運輸大臣によって右基準に適合するとの判断を一応は経たものということができるけれども、そのことから直ちに、同約款が私法上契約当事者を拘束する効力を有することに疑いがないものということはできず、責任原因発生の時点において、航空企業の保護育成と被害者側の実質的な救済との両要請の衡量に基づき、同約款になお拘束力を認めることに合理性があるか否かを検討して、効力を決定すべきである。
- 過去の航空機事故における損害賠償額の実情をみるに、約款又は条約の限度額を超える金額については、香典、葬祭料のほか、見舞金の名目で大幅な上積みがなされたものであり、その部分を含む全額が損害賠償の性質を有するものであることが認められる。本件事故については、国は、成人男子一人当たり1215万円の最低基準額を設定して、示談をしたものである。
- 自動車事故による損害賠償についてみれば、昭和46年又はそれ以前に起きた事故についての判決において、国主張のような例や損害総額が3000万円を超えて認められた例も散見される。なお、本件約款は最高限度の定めであるから、これとの比較のためには高額の事例を見るべきである。
- こうしてみると、本件事故以前において、国際的にはハーグ議定書による責任限度額が低額に過ぎることが認識され、アメリカ合衆国に限ってであるが、モントリオール協定により限度額が大幅に増額され、更に未批准とはいえグァテマラ議定書による増額がなされているのであり、国内航空事故についても、約款、条約の限度を超える賠償が支払われていて、各航空会社においても、右限度を最高額の制限としては扱っていず、既に昭和41年中の事故についても支払った実額が本件責任制限約款の定めを越えていたのであり、更に国内自動車事故による損害賠償においては、本件責任制限約款の限度をはるかに超える金額が認められていたのである。そうすると、本件責任制限約款の定めは、本件事故当時の社会の状況に合致せず、損害賠償額の最高限度としての合理性を失っていたものであり、このような金額に責任が制限されることは、航空企業の保護、育成という目的を考慮しても、事故被害者の救済として甚だしく不十分なものであって、正義公平の理念に反するものといわなければならない。ちなみに、第一審原告全日空の逸失利益の主張に徴しても、本件事故当時の全日空の経営基盤が、このような約款によって保護されなければならないほどに脆弱であったとは到底考えられないのである。したがって本件責任制限約款は公序良俗に反するものというほかない。
- もっとも、本件責任制限約款の金額の定めが無効とされるとしても、約款で責任限度を定めること自体は是認される以上、損害賠償が無制限に認められるとするのは相当ではなく、そこには自ら合理的な限度が認められるべきである。そして、当時、未批准とはいえ、グァテマラ議定書に3600万円が限度額と定められていたことを考えると、約款によって定めうる最高限度としては、この金額が国際的水準から見て許容される金額であったと推測される。他方、右の是認しうる限度額は、航空会社と旅客との間については、債務不履行責任であると不法行為責任であるとを問わず、適用があるものと解されるが、旅客に対し航空会社とともに共同不法行為責任を負う第三者については適用される理由がなく、ただ第三者が損害賠償を支払った上、航空会社に求償する関係においては、約款による責任制限の趣旨が航空企業の保護育成にあることに徴し、制限の定めが適用されると解する余地がある。しかし、本件において、国が乗客遺族に対する賠償額として全日空に求償する金額は、和解契約に基づいて支払った金額のうち最高額が乗客一人当たり3224万2012円、判決によって支払ったものの元金が4823万6011円であり、過失割合によって求償の認められる金額は、和解に基づくものが一人当たり最高1074万7337円、判決に基づくものが1607万8670円であり、前記国際的水準から見て許容される合理的な責任限度額の範囲内にあることが明らかであるから、その求償は妨げられないところである。
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(C)1996-1999 外山智士
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