第3章 判例の研究


 本章では、大審院、最高裁の錯誤に関する判例の中から、本論文の扱う錯誤無効の効果に関するものといわれる判例を詳細に研究し、裁判所のこの点に関する見解が如何にして立法者の立場から相対的無効化していったのかを明らかにしていきたい。なお、ここで扱う八つの判例は、錯誤を扱った諸論文に効果に関する大審院・最高裁判例として紹介・研究が為されているものの全てである。
 
1.大審院・最高裁判例の研究

 
判例1 大判明治33年6月22日(民録6輯6巻125頁)

 YはAに金銭の貸与を頼まれ、一番抵当権を取得するつもりでA所有の不動産に抵当権を設定して、金銭消費貸借契約を締結した。しかし、その不動産には既にBによる一番抵当権が設定されており、Yの抵当権はBの抵当権より下位の二番抵当権となった。(Aは当初から二番抵当権を与えるつもりであった。)このことを知ったXは、裁判所に地所抵当権順位確認請求訴訟を提起した。このときXがどのような地位にある者か定かではないが、下位抵当権者か本件不動産の譲受人・承継人ではないかと思われる。
 大審院は、金銭消費貸借契約という法律行為の要素について判断を示し、結果本件の錯誤がその要素に関するものではないとして錯誤無効を認めなかった(上告棄却)。本件は、第三者であるXが表意者であるYに対し錯誤無効を主張しており、さらにYは自らの錯誤を気にとめずその契約を有効なものとして維持しようとして訴えに応じており、即ち第三者Xが表意者Yの意思に反して錯誤無効の主張を為した事例ということが出来る。これをもって杉之原舜一氏は、本件において、もし表意者自身が錯誤を主張していたなら全く逆の判決が為されていたかもしれないとされ*38、さらに舟橋諄一氏は、本判決を第三者が表意者の錯誤を理由として無効を主張し得ない旨を、事案の具体的解決の道程において間接に認められたものとされ、同様の事案において、もし表意者自身が錯誤を主張したなら正反対の判断が為されていただろうとされている*39。しかし、先にも述べたとおり本件の錯誤は要素の錯誤ではないと判示しており、また、判決文を検討しても本件が表意者自ら主張する無効であれば認めていたであろうことを示す記述などは一切見受けられない。判例を客観的に分析する立場にある者が、その主観でもって勝手に裁判官の内心を推測した上で判例を評価し、さらに自らの学説を裏付ける根拠としてその判例を用いるというような行為は非難されるべきであろう。よって本判例は、第三者の錯誤無効主張の可否について論じたものではないことは明らかであり、錯誤無効の効果についての先例になり得ないものである。
 
判例2 大判明治39年5月23日(民録12輯854頁)

 Yは石油採掘特許権を保有しており、この採掘特許権の保有とその行使につきX1・X2・X3と、本特許権を共有するとともに、利益・損害・売却の対価などについても均等に分配する旨の契約を締結した。しかし当時このような場合については農商務大臣の許可が必要であり、許可のない契約については無効とされていた(鉱業条例第20条)。Xはこのことを知らずに共有名義書換請求並びに共有権売却代金分配請求訴訟を提起したものと思われる。
 一審二審ともこの契約の効力が主要な争点となったが、本件契約の要素に錯誤があるとして本件契約を無効とした二審大阪控訴院判決について、当事者の主張のない錯誤を認めたもので職権逸脱の不法の裁判だとしてXが上告。大審院は、「抑錯誤ノ問題ハ当事者ノ意思表示カ其真意ト一致シタルヤ否ヤニ関スルヲ以テ当事者ニ於テ其事実ヲ主張セサル以上ハ錯誤ノ有無ヲ判定スヘキ限リニアラス」とし原判決は違法であるとしたが、本件契約については、鉱業条例第20条違反により無効であることに変わりはないと判示し上告を棄却した。
 この判例は、川井健氏*40、高森八四郎氏*41らが主張されるように一見して単なる弁論主義についての判示に見えるが、実際は錯誤における無効の概念を限定し、錯誤無効を裁判所が認定するには当事者の主張を要し、裁判所自らが錯誤無効の主張者にはなり得ないことを判示したものと思われる。第一章で明らかにした立法者の無効に関する見解からすれば、当時、何等かの原因で無効主張を受けた裁判所は、職権による調査の結果、錯誤の事実を発見した場合、当然無効の原則から当然に裁判所は錯誤無効を認定し得ると考えられていたものと思われ、このことから錯誤無効の主張に関しては、裁判官も主張者となり得ると考えられていたことは明らかというべきである。かような考え方がとられていた当時において当事者の主張がない錯誤について裁判官が判断することが出来ないことを示したこの判決が、錯誤無効の効果について新たな判断を示していることは明らかであり、現在の常識に基づいてこの判決を単なる弁論主義違背の問題として片付けてしまうことは当時の状況を何等考慮していないことの現れといわなければならない。
 
判例3 大判昭和6年4月2日 (法律新聞3262号15頁)

 訴外A・Bは連帯して訴外J銀行から3000円を借り受け、A・Bの各所有地につき抵当権を設定したところ、Aはその所有地(本件土地を含む)を売却する必要を生じ、J銀行N支店長に対し1600円を弁済するので所有地の抵当権を放棄するように頼んだ。N支店長はこれを承諾し、買主の一人であるKの後見人であるUはAに代わり1600円を弁済し、Kの取得した土地への抵当権は放棄により消滅した。その後本件土地をX名義に所有権移転登記を為したが未だ抵当権の消滅による抹消登記をしないでいたところ、J銀行は弁済と抵当権放棄の事実を知らないまま、本件3000円の抵当付債権をなお存在するものとしてYに譲渡した。このことを知ったXはYに対し、抵当権の抹消登記請求訴訟を提起した。一審ではXが勝訴しYは控訴、二審でもYは敗訴し上告した。
 Yは、抵当権が放棄されたといってもその登記が抹消されない限り第三者に対抗出来ないことは、民法177条の解釈上疑う余地のないものであり、本件の抵当権の放棄は単に抵当権者と抵当権設定者間において絶対的効力を持つものに過ぎず、第三者に対してはそのような効力は生ずるものではなく、登記がない以上、対外的には放棄がなかったのと同様の法律効果を生じるとし、また対内的関係における放棄について錯誤があったからといって対外的関係に何等影響せず、故に本件錯誤は譲渡行為の要素の錯誤とはいえず、譲渡行為そのものまでをも無効とすることは民法95条を誤って適用しているといい、更に本件債権譲渡が無効であっても自らは登記の欠缺を主張し得る第三者であると主張する。それに対しXは、J銀行のYに対する抵当付債権譲渡はN支店長とAとの間における抵当権放棄の事実を知らずに存在するものとして行われたものであり、この譲渡行為は要素に錯誤あるものであり無効であると主張した。
 大審院は、抵当付債権の譲渡行為について、抵当権放棄による消滅を知らず、存在するものと誤って為したものであるので、要素に錯誤あるものとして無効を認めるに十分であると判示した原審を支持し、上告を棄却した。
 本件において表意者は、訴外であり、錯誤の主張、被主張とも一切関与していない。つまり、本件は第三者による、表意者を蚊帳の外においた錯誤主張を容認した事例である。
 ところで、錯誤制度の目的が表意者の保護のみにあると考える立場(学説2)からすると、表意者Jは保護に値しない表意者であるということになろう。つまり、J銀行には実際1400円の価値しかない抵当付債権を放棄の事実を知らず、3000円の価値があると錯誤した点、抵当権放棄について登記を為さなかった点について重過失があり、もはやJを保護する必要がない以上、第三者の主張も容認する必要がないと構成し得る。転じて本判例を表意者に重過失があり、自らの無効を主張出来ない状況下において、立法者以来の絶対的構成にこだわって、第三者から相手方への無効主張を容認した失当なものとして捉えることになろう。ただし、この判決が錯誤制度の趣旨を表意者の保護と解する目的論的構成を採用していないことは明らかであり、また、この構成自体が当時日本において果たしてどの程度浸透していたかは疑問である。錯誤制度の目的論的解釈を示した判例が大審院において初めて出されたのは判例4(昭和7年)である。この判例4においてもまだこれ程明確な構成を採るに至っておらず、当時、目的論的解釈から重過失=有効構成を採り得る可能性は殆どなかったであろう。本件においてはJの重過失についての判示はないが、大審院は立法者以来の意思欠缺による絶対的無効構成を採用していたので、表意者の重過失の有無によって第三者の錯誤無効主張の可否が左右されることはなく判示する必要性がないということになる。
 この判例3のはらむ最大の問題点は、錯誤無効と民法177条の対抗要件のどちらを優先すべきか、即ち「無効と登記」と呼ばれる問題である。本稿において詳しく述べることはしないが、この視点に立って、いくらか思うところを述べておきたい。民法177条には登記のない物権変動は第三者に対抗し得ない旨が定められている。本件において抵当権の放棄は、当事者A・K・U・J銀行のN支店長の間で有効に成立したが、抵当権抹消登記を為さなかったために、依然抵当権が本件土地に存在しているような外観を残してしまった。加えてXも、本件土地を取得する際に登記簿を良く確認せず抵当権に気付かないまま取引関係に入り、抵当権を負うことになった点については過失があったと言わなければならない。即ち対抗要件たる登記を具備していないXは、Yに対して対抗し得ないことになる。ところで抵当権抹消登記は誰が為すべきかについてであるが、原則として登記権利者と登記義務者の共同申請によることとされている。故に登記権利者Kと登記義務者Jの共同申請によらなければならないということになる。この原則を担保するために登記権利者Kには登記義務者Jに対し登記請求権が与えられている*42。つまり、Kは自らの権利を行使せず、Jは自らの義務を行使しないことで、抵当権が未だ本件土地に存在するという対外的関係、外観を残してしまったことになる。大審院判決は、本件抵当付債権譲渡の要素である債権の額について錯誤があったと認め、本件債権譲渡を無効としたが、本件の放棄は当事者間で為されたものであり、対外的、一般的な効力は発生していないものである。そのいわば不完全な効力しか有しない抵当権放棄が第三者に対して対抗し得るのかは疑問である。大審院は、譲渡契約の無効故にYは、抵当権を有さず、対抗要件の欠缺を主張し得る第三者に当たらないとするが、対外性を持たない、外観のない契約の存在について錯誤したことにより、後の契約が覆されるとすることは、取引の安全に対する重大な侵害である。そもそも対外性を持たせるべきであるのに、当事者において対外性を持たせなかった契約の存在についての錯誤を根拠として無効を第三者に主張し得るとするのは奇妙に感じる。やはり例え錯誤無効が関与しているにせよ、対外的効力のない契約に対第三者効を容認するということは概念矛盾であると言わなければならない。
 実際には、登記制度が実効性を持つに至ったのは比較的最近のことであり、かつては銀行といえどもその運用姿勢は曖昧であったようである。しかし、そのような当時の状況を考慮したとしても、そもそも、民法177条が不動産物権変動の第三者への対抗要件として、いわば登記制度の実効性を担保するものである以上、登記制度を無視したX側の主張を容認すべきではなく、かかる主張の容認は、登記制度に実効性が不要であるということを法の番人たる裁判所自ら容認していることに他ならないのである。さらに、虚偽の外観を放置したという点においてはK・J共に重大な過失があり、その点Yには何らの過失もない。94条2項虚偽表示の規定の類推適用説を考慮しても、やはり、Yに対してXは対抗し得ないと解するのが相当であろう。
 この「無効と登記」の問題が議論しているのは、無効原因の存在による不動産物権変動の不発生は登記がなければ第三者に対抗し得ないかという点にあり、通説は、無効のときは物権変動は当初から全く生じなかったもので対抗問題は生じないとするが、この説においても94条2項、96条3項の類推適用によって第三者保護を図ろうとする説が有力である。本判例が出された当時どこまで第三者保護の発想が為されていたのかは定かではなく、現在の常識によれば失当であるとしても、当時においてこの判例の構成は常識的なものであったのかも知れない*43。
 しかし発想を変えれば、Xはこの土地を現に利用しており、抵当権の放棄に当たっても1600円のJへの弁済もKの後見人Uにより確かに行われた。また、Yの目的は別にこの土地を得ようとする点にあるのではなく3000円の債権の回収であることを考えると、Xを争いの場から解放してやることで、YとJの関係に戻して話し合わせるというのは最も混乱の少ない紛争の解決法であることは確かである。本件において最も責任が重いのは、抵当権の実務を普段から扱い慣れていながら抵当権抹消登記を過失により怠ったJ銀行であり、J銀行が差額1600円と、本件訴訟によりYが被った損害について責任を負うのが自然であり、YはJに対して訴訟を提起すべきであったのかも知れない。
 本判例は錯誤無効の効果に関する判例と言うより、「無効と登記」に関する判例であり、本判例から錯誤無効の効果に関する部分を抽出するとすれば、本件は第三者における相手方に対する錯誤無効の主張が認められた事例であり、構成としては、立法者そして時の通説が支持していた絶対的無効構成を明確に採る典型的判例であったといえる。
 
判例4 大判昭和7年3月5日 (法律新聞3387号14頁)

 Xは家政上金銭の必要に迫られていたところ普段Xに金融の斡旋をしていたAに勧誘されて、X所有の不動産に抵当権を設定するかわりにBから1500円の借金を取り付けてもらうようAに依頼し、それに要する代理権と抵当権設定登記申請書類作成に必要な印鑑と土地の権利書をAに与えた。しかしその後Aは、BではなくYに本件土地の一番抵当権の設定を約して金銭消費貸借契約(2700円)を締結したが、実際に設定されたのは、二番抵当権だった。このことを知ったXは、AとYの間の金銭消費貸借契約の錯誤無効を主張し債務不存在確認及び抵当権登記抹消請求訴訟を提起した。一審、二審ともXは敗訴し上告した。
大審院判決は民法第95条錯誤の規定の立法趣旨が同第96条詐欺強迫と同様に表意者の保護にあることを述べ、95条但書において重過失ある表意者が錯誤無効の主張を許されないのは、重過失ある表意者が保護に値する者ではないからであることを指摘した上で、相手方を欺いて要素に錯誤ある意思表示をさせておきながら、表意者の相手方に対する重過失の規定がないことを奇貨として、なおかつその無効を主張することが出来るとすることは、この民法第95条の立法趣旨に反するものだとして、Xの錯誤無効の主張を認めなかった(上告棄却)。即ち代理人が表意者を錯誤に陥れたというように、本人に重過失があるといえるような事情がある場合、本人は表意者に対して錯誤無効を主張出来ないとしたものである。本判例は、表意者以外の者が錯誤無効を主張するときに、その者が表意者の錯誤に積極的に関与するようなことがあれば、その錯誤無効の主張を制限する旨判示したものである。
 この判例について舟橋諄一氏は、「ひとり相手方が欺罔行為をなした場合のみならず、廣く一般に相手方たる者は表意者の錯誤を主張することを許されないものと解すべきであらう。」*44とされているが、これまで述べてきたことから明らかなように、この判例は、相手方に重過失といえるような事情がある場合にその者からの錯誤無効の主張を認めないことを判示したものに過ぎず、相手方一般の錯誤の主張を禁じたものではないのである。

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(C)1997 外山智士
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