第2章 立法者以降の学説の変遷


 本章では、前章において明らかにした立法者の立場から学説が如何に変遷していったのかを明らかにしていきたい。なお、本章での学説の配列についてであるが、絶対的無効に近いものから取消に近いものの順に並べてある。従って時系列的な配列とは若干異なるが、この点については後ほど小括にて一括して述べたい。
 
1.表意者以外の者の錯誤無効の主張を認める学説(学説1)

 現行民法の成立直後において、学説はこの民法の立法趣旨をほぼ全面的に支持していたと言える。即ち無効の主張は、表意者のみならずその相手方、第三者においても自由に為すことが出来、95条但書には表意者のみが拘束され、この但書以外には何らの制限もなく、何時でも為すことが出来るものとされ、また当然無効と考えられていた。さらに相手方・第三者においては、無効の主張も表意者の重過失の主張も可能であり、選択することが出来ると考えられていた。表意者以外の者がこのように自由に無効主張が出来ることの理由としては、無効な行為は初めから何事もなかったことと同様の効果しか生じないから、その点に関しては何人からでも、また何人に対しても当然のこととして主張し得るのであり、表意者以外の者でも表意者の意思や、表意者自身の主張の可否にかかわりなく主張することが出来るとしている。このような立法者の考え方にも、条文が示す内容にも沿う学説は、明治29年の岡松参太郎氏の『註釈民法理由(上)』195頁、明治45年の鳩山秀夫氏の『法律行為乃至時効』155頁、384頁などに見受けられ、昭和5年の我妻栄氏の『民法総則』(旧版)に至っても、立法論としては不当としながらも解釈論としてはやむを得ないとして、この学説の立場を認めている。
 ちなみに、これらの学説は確かに立法者の考え方をほぼ全面的に受け入れたが、95条但書の規定が表意者の主張を制限することから、錯誤制度は最初から相対的無効であると見ていたようであり、このことは第一章でも触れたとおりである。
 しかしながら、無効の主張がこれ程自由に為され得るとすれば、取引の安全はいつまでも害され得ることになる。そしてこのような取引の安全軽視の学説は徐々に敬遠され、もはや唱えられなくなった*18。この説に代わって通説化するのは、次に述べる錯誤無効の主張を制限する学説である。
 
2.表意者以外の者の錯誤無効の主張を制限する学説(学説2)

 この学説は、前述の通り無効の主張が無制限に為され得ることによって起こる取引の安全への永続的な不安を回避すべく、主張の可能性を制限しようとするところに大きな目的があり、錯誤制度の趣旨は表意者の保護にあるとするドイツ民法の影響を強く受けた考え方を基礎に据え、表意者以外の者の錯誤無効の主張をある一定の場合に制限することにより、取引の安全の保護に努めたものである。ただ、この一定の場合をどの水準におくのか、つまり、相手方、第三者による無効主張可能性を広く解するか狭く解するかにより、大きく二つの段階に分かれているといえる。
  イ.表意者に重過失あるときの表意者以外の者の主張の制限
 表意者に重過失があり、表意者自身が無効主張出来ないときは、相手方・第三者も無効主張が出来ないとする考え方がこれである。この場合の無効主張制限の根拠としては、表意者の重過失は表意者保護の必要性を消滅させ、その結果表意者保護をその趣旨とする錯誤制度において、効果たる無効は治癒し、法律行為は有効なものになると説くものが一般的である。ただこの考え方だけでは、表意者に重過失がないときは依然として表意者の意思にかかわらず、誰でも無効を主張し得ることになる。これでは、この学説が錯誤制度の趣旨とする表意者の保護に反することになるために、次に示すさらに制限的な考え方が登場する。
  ロ.表意者の意思に反する表意者以外の者の主張の制限
 表意者に重過失がないときは、表意者保護の必要から、表意者が望まない場合には相手方・第三者の無効主張を認めないとする考え方である。ただこの場合においては、無効主張の制限の根拠として一般的に説かれるものはなく、各人各様といった具合である。いくつか挙げれば、錯誤者が無効主張の意思を持たないときは、そもそも錯誤が存しなかったと考えるもの*19、表意者が無効を有効と認めている以上無効とする必要がないからとするもの(我妻説)*20、しかし最も注目すべき有力な説は、表意者が自らの錯誤を知りつつもなお無効を主張する意思がなく、法律行為を有効なものとして保とうとすることは、無効な行為を追認したことを意味し、故に有効となると考えるものである。最後のものについては、無効の追認が認められるかが問題となる。この無効の追認を根拠として唱える川井健氏*21(昭和42年)は、この点について、我が民法が無効の追認を認めない姿勢を119条において採りつつも、無権代理の場合に追認が認められていることから無効と追認が全く相容れないものではないとされ、日本民法が絶対的無効と取消の間に規定を設けなかったのは、法の欠陥であり、解釈によりその中間を補うことが必要であるとされる。その方法として川井氏は無権代理の諸規定(113条〜116条)を、修正的に適用することを提案されているが、修正的にとはいえ、無権代理と同じ規定を用いるとすることには根拠に疑問を感じないではないし、無効と取消の間に中間措置を設けなかったことを法の欠陥とし、それを解釈により補うことを妥当とされる点については、同氏が杉之原舜一氏・川島武宜氏らの説(後述)を批判される際に用いた「立法論的に非難される点はともかく、それを解釈上(中略)同視しうるかは問題である。」*22との批判がそのまま妥当する。なおこの追認可能性の問題については、薬師寺志光氏が既に昭和16年に唱えられており*23、また最近でも研究が為されている*24。
 本稿では、この学説2を二段階に分けて説明したが、実際学説において、イの説でとどまるものは見当たらず、ほぼ一様にロ説までを容認しているようである。この学説2を支持するものとしては田中整爾氏(昭和41年)*25がある。
以上のような無効主張を制限する説は、立法当初の学説と、これから述べる相手方・第三者の無効主張を否定する説の中間に当たる説である。この説がしばしば批判されるのは、表意者が単に無効を主張しないだけで、錯誤に気付いているのかどうか判然としない場合や、まだこれから主張し得る可能性が残っている状況下においては、依然として不確定な部分を残すこととなり、この点から、次に述べる相手方・第三者の無効主張を否定する説が登場する。
 
3.表意者以外の者の無効主張を否定する学説(学説3)

 この説は、民法で定められている無効には、民法第90条の公序良俗のような公益保護のための無効と、そうではない特定の私人を守るための無効、つまり私益保護の無効があること、錯誤無効は後者であることを指摘した上で、これら両者の無効の効果には大きな違いがあり、前者は誰からでも誰に対しても何時でも主張出来る無効で、当然無効であり、後者はその無効制度により保護を受ける者の主張により、無効の効果を生じるとするものである。故に表意者が無効を主張しない限り、相手方・第三者は無効主張が出来ないということになる。この学説は、学説2以上にドイツ民法の影響を濃厚に受けたものであり、戦後徐々に力を持つに至った。この説を採る学説としては、舟橋諄一氏(昭和12年)*26、その他瀬戸正二氏(昭和40年)*27、谷田貝三郎氏(昭和41年)*28、安倍正三氏(昭和40年)*29、松坂佐一氏(昭和41年)*30、小林一俊氏(昭和49年)*31などもこの説を支持する。
この説では主張者は表意者のみに限られるが、主張期間に制限がないことから取引の安全の保護にはなお不完全であるとの批判もある。
 
4.時効期間以外の全ての規定を取消制度に委ねようとする学説(学説4)

 この説は、基本的には学説3と考えを一にするが、学説3に比して一層取消化に傾いている。即ち、時効期間のみを無効制度の規定に委ね、その余を取消制度と同様に扱おうとするものである。この説を採る学説としては、杉之原舜一氏*32・川島武宜氏*33の学説がある。しかしこの説程になると批判も強い。この説は95条の条文に明記された無効を無視してしまっており、解釈においてここまでの修正が許されるかという点には疑問があるとされ、さらに取消と扱った場合、96条の詐欺が第三項に善意の第三者保護を設けているのに対し、錯誤制度においてそのような規定はなく、詐欺取消制度とのバランスは保てず、この点においてこの説もやはり取引の安全の保護はなお不十分であるという指摘を受けることになる。また、もし96条3項の類推適用を肯定するとして、取引の安全の保護の問題を丸く納めたとしても、やはり95条の条文そのものから解釈がひとり歩きすることで、95条自体が空文化し、存在価値を失うであろうとの重大な非難からは逃れられない。
 
5.小括
 ここで学説の時系列的な配列について少し述べておきたい。学説1は民法総則編成立の明治29年頃から大正末期までは、絶大な力を持っていた通説であった。大正14年になると杉之原舜一氏の論文が発表され*34、ここにおいて初めて、錯誤無効の相対的無効化が説かれ、学説3・4の立場が登場する。しかし学説1の通説的立場は、昭和初期においても変わることはなかった。ただ、この頃から次第に通説への批判は強まり、昭和12年の舟橋諄一氏の論文*35により、学説3の立場が唱えられると、学説1離れは進み、昭和16年には薬師寺志光氏の論文により*36、無効行為の追認を容認することを前提とする学説2ーロ説の立場が現れる。この頃からは学説2を中心に学説が構成されるようになり、学説2は通説化する。その一方で昭和30年代あたりから、学説2ではなお不十分として学説3を支持する学説が増加し、次第に有力説になっていく。そして次章でも述べるとおり、昭和40年9月に最高裁が学説2ーロ説の立場を容認するようになった頃には、既に学説3は有力説になっていた。しかし、現在に至っても、学説2の立場が通説的地位にあることに変わりはない。
 以上の流れを少し角度を変えて総括すれば、学説の解釈の変遷のきっかけを作った杉之原舜一氏・舟橋諄一氏の学説は、ドイツ民法の錯誤取消構成に強い影響を受けたものであり、当時の我が国の学説・判例の現状に比して大きくかけ離れたものであったが、学界に与えた衝撃は大きなものであり、これらが起爆剤となり、様々な研究が為された結果、日本の学説判例の現状からも手が届く学説が現れ、この問題について論理的且つ合目的的に説くようになり、次章でも述べる通り、判例もこれらの学説の理論に追随した。こうして、学説2により判例・学説が錯誤の効果を主張者面において取消に近い相対的無効として安定させたことにより、有力説はさらに進んで一層取消に接近させ、また取消化は図れないものかと思案しているというのが現在の状況といえる。
 学説についていくらか述べれば、これら錯誤無効の効果を制限しようとする学説の全てが、表意者以外の者の錯誤主張についての議論に集中している点が興味深い。この章で紹介したそれぞれの学説が、さらに取消に近い立場の学説から批判される際の最大の理由は、取引の安全に弱いとするものである。即ち、学説の最大の関心事は取引の安全保護であり、しからば、錯誤主張者の制限のみにこだわる必要はなく、絶対的無効の他の要素である主張される者つまり対抗関係や、無効主張の期間の制限を加えようとする議論がもっと盛んに為されてもよい筈である*37。何故かくも主張者の制限の議論に集中するのであろうか、考えられる原因としては、錯誤の規定は表意者の保護のためにあるものだという目的論的解釈から、その錯誤規定の目的に関係しないものや反するものを極力排することで取引の安全を守ろうとする考えが働いているものと思われる。この表意者の保護に関係しないもの、反するものを考えれば、まず一番先に排すべきは対抗関係でも主張期間でもなく、やはり、表意者以外の者の主張の制限に行き着いてしまうということであろう。
 また個々の学説についてであるが、95条が現行法として存在する限り、少なくとも学説4は支持すべきではないと思われる。根拠は先にその項で述べたとおり、95条の条文を完全に無視してしまっている点にある。解釈による変更がこの域にまで及ぶことを許すとすれば、立法権を侵害する危険がある。この説は、あくまで、次に改正するとしたらこうすべきだという立法論にとどめるべきであり、解釈に用いるのは危険である。
 学説3についてであるが、現行法がある限り許される取消への接近の限界はこのあたりではないかと思われる。錯誤制度の趣旨を表意者の保護とし、無効制度そのものから目的別に構成し直したこの学説は、極めて合理的、機能的であり、現実の社会の要請に最も合致しているように思われる。ただしこの説は、構成は異にするものの効果の面では学説2のイ・ロ両説を容認した場合と殆ど異ならない。
 学説2については、イ説について大きな問題はないが、ロ説はその根拠が明確ではない。最有力である追認説を採るとしても、無権代理の諸規定の修正的適用についてはその根拠を論理的に明らかにする必要があろう。この学説は、錯誤制度の趣旨については、表意者の保護を揚げたものの、立法者の採った構成にも配慮したために、学説3のように徹底した構成は採り得なかったが、立法者の立場に出発し、地道な解釈の変更から学説3と同様の効果を導き出せたことは、学説2の賞賛されるべき成果ということが出来るだろう。
 最後に学説1は、立法者の見解を最も正確に反映したものであるが、注釈部分(*17)で指摘したように、損害賠償制度が学者達によって反故にされていたとすれば、他説に比して取引の安全への不安は否めない。従ってより一層の取引の安全を求めて、学説2以降の学説が登場したことは、やむを得ない流れであったと考えられる。
 本章では、以上のように学説の流れを見てきたが、次章では判例の流れを検討することとしたい。

続き(第3章 第1項 判例1〜4)を読む
(C)1997 外山智士
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