序章 はじめに


 
1.問題の所在

 現行民法の総則編が起草され、帝国議会を経て公布に至ったのは明治29年(1896年)、施行は明治31年(1898年)のことであった。立法者においては錯誤制度の効果は絶対的無効であるとされていたが、その直後から実務の面において、そうあることの不都合が生じ、無効主張を制限する動きが出始め、また学説においても日本民法総則編の公布の同年に公布されたドイツ民法が錯誤の効果を取消と定めたことから、次第に制限的に解するに至り、ついには取消化・取消への接近などと唱えられるまでになった。著しい変化を遂げた学説に押されるように、判例も次第に制限的になり、昭和40年9月には、表意者の意思に沿わない表意者以外の者の主張が出来ない旨の判決が為されるに至った。結果的には、絶対的無効であった筈の錯誤制度は、その後一世紀を経ぬ間に限りなく取消に近い相対的無効に学説・判例とも転換してしまったことになる。本稿では、このように劇的な判例・学説における民法第95条錯誤制度の解釈の変化が如何にして、何故為されたのかを明らかにすべく、ローマ法以来、日本民法錯誤制度誕生までの西洋法制史上の錯誤制度の変遷の経緯と、日本民法下での判例・学説の変遷を出来る限り詳細に検討してゆきたい。
 
2.課題の設定

 本稿においては、この目的を達成するために以下の方法で研究を進めたい。
 第1章では、西洋法制史上の錯誤制度の変遷の歴史を眺め、それとの対比から、民法第95条に定められた錯誤制度の効果に関する立法者の採った立場を明確にしたい。
 第2章では、学説がどのような段階を経て取消化の議論をするまでに至ったかを明らかにするために、これまでの学説を大きく4つに分け、それぞれの立場とそれに対する批判、その学説を唱えることによる利益等を極力細かく見てゆきたい。
 第3章では、これまでの諸先生方の研究の中で、錯誤の効果に関するものであるとされてきた大審院と最高裁の判例全てについて可能な限り詳細且つ、どの学説の立場にも影響されない公平な視野に立った検討をしつつ、判例変遷の経緯を明らかにしてゆきたい。
 第4章では、それまでの各章で研究した内容から総合的な考察を行うこととしたい。
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(C)1997 外山智士
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