王塚台、それは歴史と文化のすてきな町
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平野紹介





                     (ようはいしょ)
春日神社と神武天皇の遥拝所碑
 
春日神社は、平野町の中心地宮前の小高い丘陵地にある。紀元前660年(縄文時代)に神武天皇が初代天皇として即位したと、戦前生まれの人達は小学生の時に必ず覚えたものである。(107才の高齢まで天皇に即位していた?という話もある。)

 紀元前3世紀には、南方の稲作文化をもった海洋民族が、鉄や銅の文化をもって瀬戸内海へ入ってきたことはよく知られている。そして、これらの部族が各地に弥生小國を造り、定住生活を始めた。その時、垂水から明石にかけて(赤石(あかし)の国)が生まれた。その神話の中に、神武天皇一族が明石川を舟上がり、今の平野地区に水田を開き、一人の息子を残して稲作を始めさせたとある。この春日神社は神武天皇を祀り宇留の宮(うるのみや)とした、と伝承が残されている。

10世紀の延喜式(神名の本)の中には宇留神社として名前が出ている。また、地元では、奈良の春日大社の元宮がこの春日神社にあると言っている。弥生文化は、確かに、この時代より奈良へ移っている。神武天皇がここから大和へ出発する前に見たと謂われる石碑が遥拝所碑として現在残っている。

この神社の氏子地は西戸田、宮前、大畑、印路の各地区である。



八幡神社(平野町慶明)

 平野八幡神社には、8世紀に九州の宇佐八幡神社より、分神されたという言い伝えがある。また、17世紀江戸時代に厄神八幡となり、今日でも毎年1月19日には厄年の人が多く参拝して厄払いを受けている。

 古三木街道の神出との境に坂があり、矢の坂と呼び、天正6年(1578年)織田信長の軍勢が三木城を攻める時に秀吉軍がこの坂に陣取りしている。

この八幡神社の北の台地に、三木別所方の福中城があり、この城から秀吉軍へ矢を放ったため、秀吉軍に所在がばれ落城したとの話が残されている。その弓が今も八幡神社に残されている。

また、拝殿の前には能舞台がある。江戸中期の元禄時代以降一般庶民が歌舞伎や能舞を演じて楽しんだ所であり明治時代末期まで続いてきたようである。現在は行われていないが舞台のみが残されている。

この神社の氏子地は下村、向井、福中、芝崎、大野、慶明および玉津町田中、居住、小山の各地区である。
《参考》資料・・・  「西区ふるさと自慢百選」等


 




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