ブレイクタイム 

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 bV 【日本人の信仰〜能「竹生島」から〜★new★2007/1/28
▽わがふるさとから琵琶湖を望むと、湖上にひょうたん型の島が浮かんでいます。「竹生島(ちくぶしま)」です。この島は、琵琶湖八景のひとつ「深緑(しんりょく) 竹生島の沈影(ちんえい)」とされている名勝ですが、能「竹生島」の舞台としても有名です。[ふるさとアラカルトNo.7・8]では、ふるさとを切り口にして祖先の信仰についてふれましたが、ここでは能「竹生島」を切り口として見てみたいと思います。

▽このお話は、醍醐天皇に仕えている男が竹生島にもうでたときの不思議なできごとについてのもので、「能の物語〈白州正子著 講談社文芸文庫〉」からあらすじを紹介します。
京都から琵琶湖岸に着いた男は、年老いた老人と若い女が乗った舟に乗せてもらって竹生島に着きます。島を案内されているときに、若い女が同道しているのに気がついて、この島は女人禁制ではなかったのかと尋ねたところ、
「・・・もとはといえば、弁財天は、大日如来の化身です。女人はことにお参りするべきだと思います。」
「・・・そもそも人間を救うという誓願を起こしたのは、弁財天にほかなりません。それは仏教以前の大悲願で、ご利益があるとういう点では、諸仏をこえているのです。」
といって、女は社殿の奥に消え、年老いた男は琵琶湖に飛び込みました。

▽やがて、弁財天の姿をした天女が優雅に舞い、波の間から現れた龍神が金銀珠玉を男に与えました。そして、最後につぎのようなことばを残して消えていきました。
「神仏が衆生を導く方法はさまざまである。ときには天女の姿となって諸願をかなえることもあり、ときには下界の龍神と化して国土を鎮め、人間を救済する。いま、目のあたりそのありさまをみたであろう。」

▽このお話の中で、年老いた男は、若い女が弁財天であり、大日如来の化身であることを明かし、自身は龍神となって現れます。そして、竹生島を訪ねた男を祝福します。ここからも、「ふるさとアラカルトNo.7・8」でふれた日本人の信仰をうかがい知ることができます。本来、人間の救済をめざすべき信仰や宗教が、そのねらいとは反対に多くの悲劇を生んできたことは過去の多くの歴史的事実はもちろん、現代のパレスチナ紛争やイラクの混乱などからも明らかです。日本でも、過去に悲劇を生んだこともありましたが、一方で古来からさまざまな人々や文化が混じり合った結果、人間(もちろん集団も含む)を救済するという願いのもとに、神仏習合などの知恵を生み出してきたことをこの能からもうかがい知ることができます。信仰や宗教が果たすべき本来の役割について、大いに考えさせられました。

 bU 【自分探しの旅〜第2の人生から〜2007/1/23
▽昨日、インターネットでつぎのような記事を見つけました。それは、2006ワールドカップ後に引退したサッカー元日本代表の中田英寿さんについて、所属事務所から「世界を旅して、もう地球4周分ぐらいになる。本人がやりたいことを見つけてご報告できる時期が来ると思う」という説明があったとあり、記事の最後は、「自分探し」の旅はいつまで続くのか、締めくくってありました。

▽「自分探しの旅」ということばは、いまとなっては大変懐かしく響くことばです。昨今、安倍首相主導の「教育再生国民会議」でやり玉にあげられている「ゆとり教育」を導入した中央教育審議会において、キーワードであったことばです。そこでは、教育は「自分探しの旅」を扶ける営みであり、子どもたちは教育を通じて社会の中で生きていくための基礎・基本を見つけ、個性を見出して自らにふさわしい生き方を選択していく、と述べられていました。そして、いま問題となっている学校週5日制や「総合的な学習」も取り入れらました。

▽このことばは、教育界では冷めてしまった感がありますが、いまや社会の話題の中心でもある定年退職者にとってこそ、大変重みがあることばではないかと思います。テレビ等でも、このことが直接的あるいは間接的にテーマとなっている番組も数多く見られます。「明日からどのように生きようか」という人が随分多い反面、しっかりとした人生設計をもとに輝いている人も多いことがわかります。

▽オットーも、退職後の人生設計が必要であるとか、趣味をつくっておかなければならないとかいうアドバイスを、さまざまな形で目にしたり、耳にしたりしてきました。また、そのためのセミナーなどの案内もありました。しかし、なぜかそのことには気が向かず、「退職後は全く新しい道を歩もう」という信念のようなものだけを胸にしてタイムアウトを迎えました。しかし、いま自己喪失のような時期を脱することができたようにも思えます。そのようすの一端が本ホームページでもあるのですが(自己満足でしかないのですが)・・・。オットーの場合は、中田選手のようにマクロの世界から出発するのではなく、「ふるさと」という空間的には極めてミクロの世界に原点も求めたといえます。しかし、自分の世界は時空を超えて大きく広がることもあるし、超ミクロの世界に入ることもあるというのが実感です。こんな経験から、「自分探し」の旅はいつまで続くのかという問題ではなく、どのように続くのかというのが適切であるように思います。人生は常に道半ばであり、新たなことに挑戦し続けるのが人生であるともいえるからです。

 bT 【心と形〜しめ縄から〜2007/1/3
▽あけましておめでとうございます。穏やかな元旦を迎え、オットーも氏神様へお参りしましたが、鳥居をくぐる前にそこに張られた「しめ縄」がまず目に留まりました。それは、どこの神社でも藁(わら)をなってつくられているのですが、型が様々であることが以前から気になっていたからです。また、年によって異なることもあるような気がします。そこで、このような伝統的な事物がどのように伝えられたり、変化していくのかについて考えてみたいと思います。

▽しめ縄について調べてみると、神聖な場所と外界を隔てるためのものであり、神社によって様々な型があることがわかりました。漢字では「注連縄」と表記されることが多いのですが、「七五三縄」と表記される場合もあるようです。これは一定の間隔で〆(しめ)の子とよばれる藁を三・五・七本と3カ所に垂らすためだそうです。オットーも、随分以前に氏神様の当番をしたときにそのようなことを年配者から教わり、垂らされた3カ所の〆の子の間と両端と間に四枚の紙垂(しで)とよばれるジグザグに折った紙も垂らしたことを思い出しました。

▽ところで、私たちは伝統的な事を行ったり、物をつくったりするときには、まず以前の事物を忠実に模倣しようとします。しかし、中には神事は丁寧に行うことが大切であると自主的に判断して何かを少し付け足したり、時には相談して時代に合わせて省略したりすることもあります。また、物をつくる技術がうまく伝わっていないこともあります。こんなことの繰り返しで伝統は意外と早く変化してしまうと思われます。

▽一般的な行事などが回を重ねていくと、「形式化」とか「マンネリ化」ということばで表わされるような問題が起きてきます。それは、社会情勢等が変化したことも要因の一つですが、行事を立ち上げたときの人々の熱い心が忘れられてしまい、形だけが伝わっていくことが大きな原因です。やはり、時が経ても行事に対する願いを共有したり、新しい意義を確認したりしていかなければなりません。一方、神事などの伝統的な行事は、その意義やいわれを伝えていくことが心を伝えることであり、時代に合わせて形を変えて行く場合でも、過去の記録を残し、その心と意義を引き継いでいくことが大切ではないでしょうか。大きく社会が変化している時代、地域では、急速に失われつつある伝統的な行事をどう伝え、実施していくかが大きな課題です。

 bS 【似て非なるもの〜プレイオフから〜2006/12/5
▽日本では、プロ野球に続いてサッカーJリーグもシーズンが終了し、北海道日本ハムファイターズと浦和レッドダイヤモンズが頂点に立つなど新鮮さを感じることのできる1年であったように思います。一方、海の向こうアメリカでは、MLB(野球)は終了しましたがMBA(バスケットボール)やNHL(ホッケー)などがいよいよ佳境に入ってきました。その中で、オットーの最大の関心事は何といってもNFL(アメリカンフットボール)の動向であり、贔屓(ひいき)のシカゴベアーズが21年前のスーパーボウル制覇のシーズンを彷彿(ほうふつ)とさせる快進撃を続け、12月3日にはプレイオフに最初の名乗りを上げ、大変興奮しています。

▽ところで、アメリカではレギュラーシーズンに続いてプレイオフなどのポストシーズンのゲームが行われるのが一般的であり、これによって大変盛り上がります。日本のプロ野球でも、パリーグがこのシステムの導入で興行的に成功を収め、来年はセリーグでも行われることになりました。しかし、この制度の導入にあたっては賛否両論の熱い議論がありました。オットーは、この議論を注視してきましたが、一つの大切なものが欠落しているように思えてなりません。そして、大切なものを失ってしまったような気もします。

▽まず、国土の広さやチーム数等の違いから派生するシステムの違いとその意義が忘れられているように思います。いちばんよく知られているMLBを例にもう少し具体的にいえば、広いアメリカ全土に数多くのチームがありますが、ナショナルリーグとアメリカンリーグに分かれ、それぞれのリーグはさらに東・中・西の3つの地区(ディビジョン)に分かれます。各チームは同じ地区のチームとの試合が最も多いのですが、他の地区のチームや異なるリーグのチームとの試合もあります。しかし、相手と試合数はそれぞれのチームによって異なります。このように同じリーグでも異なる条件でレギュラーシーズンを戦っているわけであり、リーグチャンピオンを決める場合にプレイオフが必要となることはだれもが納得できます。
*例えば、アメリカンリーグ東地区のニューヨークヤンキースは、同リーグ同地区のボストンレッドソックスとは数多く試合がありますが、同リーグ中地区のシカゴホワイトソックスや西地区のシアトルマリナーズとも試合をします。また、異なるリーグであるナショナルリーグに属するニューヨークメッツとも試合をします(俗にサブウェイ=地下鉄シリーズともよんでいます)。しかし、同リーグ中地区のホワイトソックスや西地区のマリナーズとは相手も試合数は全く異なります。

▽さて、日本のプロ野球を見てみますと、レギュラーシーズンにおける同リーグ内での試合相手と試合数は全く同じですし、昨年から取り入れられたリーグ間の交流試合でも相手や試合数は全く同じです。このように、公平な条件のもとでレギュラーシーズンを戦った末に、さらにプレイオフを戦うのには意味があるのでしょうか。オットーは、不公平を公平にしようとするアメリカのプレイオフと、既に公平であるのに不公平をもたらすような日本のプレイオフは、似て非なるものだと思い続けてきました。こんなわけで優勝決定が最終節までもつれ込んだ今年のJリーグには、大きな魅力と興奮を感じました。「再チャレンジ」ということばが流行していますが、根本に流れるものによってその意味が大きく変わるのであり、魅力ある新しいシステムづくりを願っています。



 bR 【自然への関心〜ジョウビタキから〜2006/11/12
▽日頃目にすることが多く、一つひとつが違っていても、一般的には総称で呼んでしまうもの、総称しか知らないものが数多くあります。例えば、木とか草、花、雲などです。関心のある人にとっては、何十、何百の名前になり、それぞれに対する思いがあるのでしょうが、関心のない人にとっては単なる2音節程度の単語で終わってしまいます。

▽このことは、関心の有無とともに、日常生活における関わり方や国なり、地域なり、民族なりがもつ文化にも影響していると思われます。日本では魚を、それに対して欧米では肉やチーズなどを細かく名前を付けて呼んでいることなどからもわかります。

ジョウビタキ(尉鶲または上鶲)

▽ところで、オットーにとって、鳥は単なる「トリ」でなく、固有の名前をつけて呼ばなければ気が済まないような存在ですが、そのきっかけをつくってくれたのが、左の写真の鳥です。今から10年以上前の秋のある日、何気なく縁側に座って庭を眺めているとき、目の前の梅の枝から鮮やかな色が目に飛び込んできました。早速、本屋さんで求めてきた図鑑から「ジョウビタキ」という名前を知りました。これがこの鳥との出会いであり、お陰でバードウォッチングがオットーの広く浅い趣味の一つに加わりました。

▽胸のオレンジ色は自然界では際立ち、翼に真っ白い斑点を付けた姿(「紋付鳥」とも呼ばれます)は一度見れば忘れられません。渡り鳥(秋になると日本やってくる「冬鳥」)で、今年も毎日、印象的な姿を見せてくれるようになりました。こんなジョウビタキはオットーにとって豊かな自然界を感じさせてくれたり、秋の深まりを知らせてくれたりする貴重な存在です。

*写真は、フィールドスコープとよぶ望遠鏡にデジタルカメラを取り付けて撮ったもので、デジスコともいわれます〈11/3撮影〉


 bQ 【知らぬが仏〜竜巻から〜2006/11/10
▽先日、北海道の佐呂間町で大規模な竜巻が発生し、大きな被害をもたらしました。また、この秋には宮崎県や大分県で台風とともに竜巻やダウンバーストが発生し、列車転覆などの被害がありました。さて、これらのニュースを聞いてオットーが思い出したのが、「知らぬが仏」ということばです。

▽竜巻の規模を示すのに世界的に「藤田スケール(F)」という基準が使われることが報道されるようになりましたが、この基準を作られたのが竜巻の世界的な権威者であった故藤田哲也博士(当時シガゴ大学教授)です。実は、今から20年余り前に大学に藤田博士を訪ね、直接お話を聞く機会がありました。

▽上昇気流で起こる「竜巻」とその反対の下降気流でおこる「ダウンバースト」についてお話をうかがいました。発生原因の説明に続いて、「ダウンバースト」は局地的に発生して「マイクロバースト」とよばれること、アメリカでの航空機の離着陸時の事故にもこれが原因であると考えられるものが多いこと、アメリカでは空港の近くに専用レーダー(ドップラーレーダー)の配備を進めていること、日本でもこれが原因と考えられる航空機事故があること、しかし、日本では発生しないと信じられていて余り関心がないことなどについてです。

▽このとき、博士の口から出たのが「知らぬが仏」ということばで、博士のお顔とともに思い出されます。今回の悲劇を生かして、可能で有効な対策の研究が進むことを祈らずにはいられません。

*日本ではテレビで「洪水警報」などの異常気象情報がテレビで放送されます。アメリカでも、竜巻が発生するとテレビに「Tornado Watching(竜巻観測情報)」が流れます。また、学校でも「Fire Drill(火災訓練)」とならんで「Disaster Drill(災害訓練)」として竜巻に対する訓練があります。竜巻の進行方向風下側の窓を開けるとともに、窓に面していない半地下の廊下等の壁に寄って頭を守るなどの行動をとります。
なお、アメリカの建物には、ベースメントとよばれる半地下の部屋が造られています。


bP 【大人が問われるとき〜母親の行動から〜】  2006/11/1
▽社会では再び教育への関心が高まってきました。高校の単位履修問題は、生徒に罪はないということで救済が論じられていますが、高校野球の不祥事では、教育という土俵の中の問題であるといわれて連帯責任による出場停止等の処分もあるのですが・・・。オットーにはこのことを論じる資格はありませんが、どこかに潜む「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の行動パターンや責任ある立場の人の護送船団方式の考え方が気にかかります。やはり、いまこそ大人が自らの生き方を問い、意識を改革しなければならないと思います。そこで、ここではちょっとブレイクして、かつてオットーが経験した素晴らしいお話を紹介したいと思います。

▽オットーは、小さな山歩き(トレッキングともいわれます)によく出かけます。足のむくまま、気の向くまま,時には海を越えたこともあります。今回、紹介する舞台は、アルプスの国スイスのダボスという小さな町(毎年開催されるダボス会議で有名です)から山の中に入ったセルティック・デリフリという本当に小さな村です。ここは、スイス相撲が有名で年1回だけ開催されるのですが、運良くこの情報を得て、山歩きの途中に立ち寄ることにしました。会場では、さまざまな行事があってとてもにぎやかで楽しかったのですが、白い巨人がいっぱいの中でオットーと妻は違和感いっぱいで、ジロジロとみつめられたりしました。


スイス相撲

おがくずを敷いた土俵で行なわれ、
相手を投げ倒して勝負をつけます。
▽さて、相撲などを堪能して、早めにバス停に向かいました。バスはすでに到着していて座席は埋まってしまい、オットーだけが立つことになりました。近くの座席には、若い夫婦と4歳ぐらいの男の子と2歳ぐらいの女の子が向かい合って座っていました(シートが向かい合ったバスも結構あります)。バスは出発して、女の子がこちらを見やりながら何やら母親にささやいているようでした。そのうち、母親が女の子を自分の膝の上に乗せて席を空け、オットーに座るよう手招きしてくれました。

▽そして、母親は,どこから来たのかなどと尋ねてきました。通り一遍の話かと思っていましたが、そのうち、「この子が『彼(オットーのこと)は私をたべない?』と言うのよ」ということを明かしてくれました。どうやら、母親は、女の子に「そんなことはないよ」ということを示すために席を空けて横に招いてくれたようです。そんな訳で、下手な英語で旅行のことやスイスのこと、日本のことなどを話しながら山を下り、一家が車を置いている駐車場のあるバス停で別れました。話はただそれだけのことですが、オットーは美しい山の景色以上にとてもすがすがしい気分になりました。大人が身をもって大切なことを子どもに教えるという行動をとった母親には感心しました。

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