新熊野案内紀


個人的なことですが、私のご先祖に寺内安林という方がいます。
この方熊野詣でその案内記を作りました。
これに習って、私も熊野に詣でることにしました。。
この様に思うのは勝手なのだが、歩いてみて大変なことを試みたものだと痛感。
一度に歩くのではなく、ゆっくり楽しく歩こうと思っていたものが、歩くに付け先人に申し訳なく思うようになった。
安林さんの熊野案内記の巻頭に、
くまの路を    ものうき       旅と         おもふなよ
  死出の      山にて    おもひ      しら        せむ
と、ある。
心してこの旅を成し遂げなければと思う。
人間が移動手段として一番原始的なのは徒歩だと思う。
日本人はつい最近まで徒歩を移動手段としていた。
又、観光として遠方に行くことは認められていなかった。
唯一行けるとするならば、それは、伊勢詣り・四国巡礼などの宗教的なものだったろう。
歩いてみて分かることだが、昔の街道は村という点を結ぶ線であるが、今の都会では点となす村が巨大化し平面となし、その面に走る貫入線(陶器の割れ目線)のような道になっている。
街道の面影を探すために、道標・石地蔵・神社・寺院などを探し求めることにした。
道標や石地蔵は辛うじて残る程度で、又道路拡張などにより移動されたり、車による破壊されているものなどが幾つか確認された。
安林さんの熊野案内記は何故か、高野山から書かれてある。
熊野案内記なので、高野街道は省いたのかも知れない。
帰りは中辺路・大辺路を歩き葛井寺まで記している。
この度の新熊野案内記は、布忍神社前に下高野街道が走っていることもあり、下高野街道で高野山まで行き、小辺路の熊野古道にて熊野本宮に行くこととする。
熊野案内記と寺内安林 松原市史研究紀要 第六号より

下高野街道(松原市〜高野山)
新熊野案内記一 新熊野案内記二 新熊野案内記一
小辺路
新熊野案内記四