(一)



熊野古道は、主に次の五つの道を指す。
 紀伊路:渡辺津(現在の大阪市中央区坐摩神社)-田辺
 小辺路:高野山-熊野本宮、約70km
 中辺路:田辺-熊野本宮、約60q
 大辺路:田辺-串本-熊野本宮、約120km
 伊勢路:伊勢神宮-熊野本宮、約160km

寺内安林が歩いたのは案内記に依ると「小辺路」である。熊野本宮までの一番の短距離であるが、3カ所の1000m越えの峠を有する一番厳しい道である。しかしこの街道は高野山と熊野三山という二つの霊地を結ぶ道であることから親しまれた道でもあった。
大阪市内から高野山までは約70qなので熊野本宮までは約140qである。
一方の大辺路に至っては、大阪市内から田辺までは約150qであるので約270qであるので、小辺路を通る道筋がいかに短距離であるかが分かる。中辺路でも約210qである。

金剛三昧院入り口、ここに昔ぬり橋があったのか。 左「金剛三昧院」 右「小辺路」 これより熊野街道 小辺路


寺内安林の熊野案内記はこの小辺路入り口から書かれている。
▲高野山より熊野本宮迄
十八里、本宮より新宮迄九里
八町、新宮より那智迄五里
高野山奥院にて
○常灯や心あるべき初嵐
▲高野大塔より五六町行、ぬり橋より右へ熊野道也。
山道五十町にて大たき村、家多し
                           (寺内安林の熊野案内記より)
熊野案内記と寺内安林 松原市史研究紀要 第六号より
1里=約4qなので高野山より熊野本宮までは約72q
1町=約100mなので本宮より新宮までは約37q
新宮より那智までは約20q
現在ぬり橋などは見当たりません。
千手院橋のバス停がありますが今は橋などありません。
ぬり橋とはこの千手院橋のことを指すのでしょうか?
「金剛三昧院」に向けて路地を入りますと熊野古道「小辺路」があります。

高野山→ 大滝口女人堂跡(ろくろ峠) → 薄(すすき)峠→ 御殿川→ 大滝→

大滝口女人堂跡(ろくろ峠) ろくろ峠より望む高野山系


薄(すすき)峠 御殿川


大滝村 大滝村(左に公衆便所が整備されている)  大滝村(休憩場所がある)


○大滝やちしほに見ゆる紅葉有
此川上に蛇の住む滝有。古へ高野
蛇、柳の所に住けるを、弘法大師
此所へ封じこめ給ひしと云。今に
雨乞、此滝にて有しと云。
(寺内安林の熊野案内記より)
熊野案内記と寺内安林 松原市史研究紀要 第六号より
薄(すすき)峠を過ぎてからは急な下り道である。
御殿川手前にも以前は集落があったのだろうが、今は存在しない。
集落跡には高野槙の木が植林されていた。
御殿川を越えると急な上り坂で大滝の集落があり、休憩場所と公衆便所がある。
キャンプ場ではないが、広場もありテントを張って野営も出来そうである。
最後の民家の庭先を通り過ぎて山道に入る。
滝には行くことは出来なかったが次回には寄ってみたい。


→ 大滝→ 水ヶ峰集落跡 → 東屋→ 今西辻→ 平辻→ 大股 →    

大滝村最後の民家奧を通り過ぎ山道 深林の中の山道を行く 龍神スカイラインと合流する


龍神スカイラインから左にそれ急坂を上る 龍神スカイラインとの分岐点に立つ看板


水ヶ峰集落跡 道標 水ヶ峰集落跡の大木群


林道タイノ原線と合流 東屋の休憩場からの望む 平辻 林道タイノ原線と小辺路の分岐点


平辻の石仏(道標) 日が暮れだす。 石仏


林道タイノ原線と合流 林道タイノ原線をしばらく歩く 大股に到着 日が暮れて真っ暗


▲大だきより水がミねへ壱里坂也。
家一軒有。是より果なし山下り
着、七色村迄ハ大和路也。
○・・(虫損)・・し谷ふかうして水ヶ峰
▲水か峰よりたいら辻迄一里半。家有。
○順礼のらく書ふとく墨つくは
あの御太平だいら辻也。
▲たいら辻より大またへ半里。家多し。
○大またにひつかけて行、あしひきの
   山の落つきやぐらといふ
▲大たきよりかやごや迄半里。家二軒。
            (寺内安林の熊野案内記より)
熊野案内記と寺内安林 松原市史研究紀要 第六号より
大滝から水ヶ峰へは深林の中をひたすら歩いた。
高野龍神スカイラインに合流するも下り坂が続く。
今は家はない。
七色村までは約50q位か?
水ヶ峰の集落跡には墓などのみがが残っている。
新しい道標が建っていた。
ここに数件家があったと思うと感無量。
水ヶ峰からは林道タイノ原線と古道は、
分岐したり合流したりしながら並行している。
平辻で石仏(道標)有り。ここより古道に入る。
日が暮れ出す。
林道タイノ原線に合流してまもなく古道に又分岐。
ここから大股までは大変な急坂!
大股に到着時には日が暮れる。17時40分着

11月23日(火)曇り時々晴
高野山から大股まで歩く。
大股で一泊する。