ゼミ読書会  by   新野幸次郎ゼミナール

新野先生のコメント2012年
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マリー アンチョルドギー著(安部悦生他訳)

「日本経済の再設計:共同体資本主義とハイテク産業の未来」 文真堂2011年12月

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 本書を読書会のテキストとしてとりあげたきっかけは、現下の世界経済・社会の行き詰まりを打開する糸口は何であろうかとうことに尽きる。本日のヘラルド・トリビューン紙も米国の内外の政策が中途半端で、低迷を続ける日本と同じように「non disision」の状況に陥っていることを論評している。その他の国々も同様に、現状を打破するような有効な手が打てない状況である。

 資本主義国は一様ではなく、いくつかの異なる特徴を持つ国々に分類できるが、例えば、ミッシェル・アルベールは彼の著作である「資本主義対資本主義」において資本主義の2つのタイプに類型化した。ひとつは、市場主義的色彩の強い英米流のアングロサクソン型であり、今一つが独・仏に日本も含めた共同体重視のアルペン型であるが、そのいずれのタイプの国々も経済の低迷に悩んでいる。近年では中国に代表される新興国を別の類型に加えてもいいかもしれないが、これまで大変にダイナミックな動きを見せていた新興国さえも、現状の閉塞感を打破する様な力は無いし、噴出する様々な問題点を克服できないでいる。

 10月4日付の日経新聞の経済教室に「金融危機型不況、長期化へ」と題するプリンストン大学のA・ブラインダー氏の記事が掲載されており、皆さんもお読みになったかもしれないが、この記事には、米国など主要国の多くが、ケインズ流の有効需要不足型の景気後退でなく、金融危機を伴うRRM型の景気後退に陥っていると主張されている。因みにRRMとは、ラインハート米メリーランド大教授、ロゴフ米ハーバード大教授、20世紀の米経済学者ミンスキーの3氏の頭文字をとったもので、3氏はサブプライム以降の不況の原因を裏付けのない無節操な債務、レバレッジ、資産価格の膨張にあると論理を展開した。そして?膨大な額の金融資産がタダ同然になり、金融システムが深刻な打撃により機能不全に陥っていること?低インフレ乃至デフレで実質債務が膨らむため、債務者は返済が困難になっていること?景気後退と金融機関の救済で政府財政は大赤字になり、財政出動の余地が乏しくなること?中央銀行も現状のように金利がゼロに近い水準になると打つ手が限られるといった意味で、ケインズ型の不況より厄介だと結論付けている。対策としては、長期にわたる大規模なデレバレッジ(債務圧縮)が必要になるといった提言を行っている。

 一方、エコノミスト誌の最新号(Oct13th 2012)には「True Progressivism」という特集記事が掲載されている。直訳すると「真の進歩主義」というのだろうか、資本主義、或いは、市場主義に内在する不平等、経済の不安定性などの弊害を克服しようという20世紀初頭の「進歩的な時代」に、起業家の活力を減らすことなく、より社会を公平にする諸制度を競って導入(管理人補足:反トラスト法、累進課税の導入、最低生活保障制度)したことが記載されている。

 今、この閉塞感から脱却するためにも、この進歩的な時代のように行過ぎた市場主義を是正するとともに、社会や経済の大胆な改革が必要であろう。そして、その改革の方向性のひとつに、本テキストの掲げる共同体的資本主義があるのではないかと考えたのである。さて、戦後の日本が技術力に勝る欧米をキャッチアップする過程においては、技術発展の軌道が明確で、外国製品を模倣できることから、共同体資本主義は大変うまく機能した。特に本書ではハイテク産業(コンピュータ、ソフトウェア、半導体)に焦点を当て、その成功とその後の衰退がなぜ起こったのかを、豊富な実例を通して論証を試みている。

 例えば、大企業中心の護送船団方式や、系列の存在、そしてベンチャーキャピタルが不十分であったことから米国のような新規参入が妨げられたし、リスクを取ろうという企業も現れなかった。また、競争が制限されたため、結果的にはコスト構造は問題を抱えたままだったし、製造業を前提とした国策により、ソフトウェアを軽視してしまったのである。

 皆さんのご感想にもあった通り、そこから得られる教訓は多いが、本来は日本国内の、それも上述のハイテク産業の分析だけでは不十分であることは間違いなく、各国の制度や仕組みを過去のものも含め、十分比較検討し、それぞれのメリット、デメリットを斟酌した上で、今の時代にどんな仕組みが相応しいか結論を導き出すというやり方が理想であっただろう。

 日本経済の再生へのヒントという意味では、畑村洋太郎さんと吉川良三さんの共著である「勝つための経営 グローバル時代の日本企業生き残り戦略」という本が面白い視点を提供している。両氏によれば日本企業の不振の原因としてよく言われる円高や税制は、言い訳の域を出ておらず、経営者のグローバル化への対応のまずさに加え、松下幸之助さんのやり方や教えを受け入れた韓国企業とそれらを捨てた日本企業の姿勢が問題だという。

 IT時代になり、電気機器がデジタル化されると、それらの製品はどこ国でもつくることが容易となる。そういう意味では従来の日本の強みが発揮しにくい時代になってしまったことは間違いない。加えて、かつて、ユニークな商品群を世に送り出してきたSONYやシャープでさえも、ここ最近では、これと言った新機軸を打ち出すことができず、現在大変な苦境の最中にある。大変に親しくさせて頂いているシャープの佐々木さんやSONYの金井さんは、かつて、誰もしたことのないことに挑戦し続けたのであるが、現在はその面影が薄れてきているようにも思える。 

 その意味では、現在のシャープやSONYといった、本書の分析の対象であるNTTファミリーではなく、言い換えれば、共同体的な護送船団に属していなかった企業の停滞の分析も必要なのかもしれない。

 ソーシャルインクルージョン(管理人注:全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげるよう、社会の構成員として包み支え合うという理念)という観点、特に差別がなく平等が重視されるべきという視点からは、かつての共産主義の掲げる理念がそれに近いものであるが、皆のものは誰のものでもないという無責任で非効率な社会をつくってしまい、今やこの体制をとっているのはキューバと北朝鮮だけである。キューバも開放経済の道を歩んでいるので、真に平等社会たりえるのかという疑問は別にして、事実上、共産主義国は北朝鮮のみとなった。生協などの活動も共同体的資本主義に近い理念を持っているが、厳しいグローバル競争の中では共同体は、必ずしもうまく行っていない。ということなどを考えると、本書で主張されているように、旧来型の共同体的資本主義は危機に瀕していると言える(第8章)。

 濱田君が発表したように、アメリカのプロ野球は日本のような一軍と二軍という共同体的な組織形態をとっておらず、メジャーリーグの下にいくつもの階層(管理人注:AAA(3A)AA(2A)、アドバンスドA、クラスA、ショートシーズンA、ルーキー・アドバンスドに最下位組織の「ルーキーリーグ」と7段階あり、原則独立採算制)があり、ある意味、それぞれの選手が勝手に努力して上に上がろうという、巧妙な仕組みがつくられている。

 大学も同じで共同体的な日本ではどこの大学に行っても学位が取れるが、米国ではdoctorate degree(博士学位)は9.3%、master's degree(修士学位)は16%、bachelor's degree(学士学位)でも4割の大学しか授与できない制度となっており、その意味では大変な競争社会となっているし、個人がその能力に応じて自ら努力することが要求されている仕掛けになっている。 もともとメイフラワー号でやってきた開拓者の国である米国にとっては、自助が最大の美徳で、その結果生じた格差については仕方がないものとして受け入れられている社会的背景がある。公共のもの、保安官、消防、公園などといったものは、キリスト教に由来する補完性の原理(管理人注:個人の主体性が大前提で、個人ができないことを家族が助け、家族でもできないことを地域のコミュニティが助け、地域でもできないことを市町村が助け、それでもできないことを州が、そして、それでもできないときに初めて国が乗り出すべきだという考え方)が働くことになる。

 一方、欧州には長い歴史の中で、前述のソーシャルインクルーション的な考え方が社会の隅々まで浸透しており、敗者にも十分な配慮が必要だという側面が強い社会を構築してきたのである。

 いずれにしても、グローバル経済下、効率性という観点からは市場主義を捨てることは現実的ではないにしても、理想は共同体的資本主義という皆さんのご意見が多かったようだが、その共同体の良さ、或いはボールディングの言う「統合」の原理を、いかに社会の仕組みの中に取り入れるかが重要になろう。本書の原題はReprogramming Japanとなっているが、もう少し広くReprogramming Worldとして捉えた場合、ただ単に現状の維持だけ求めるというのでは駄目で、共同体をどう活かし、共同体的な仕掛けを資本主義体制の中にどう組み込んで行くかということこそ、Reprogramming Worldということかもしれない。そういった意味では他国に先んじて高齢化社会に突入する日本がそのモデルの提供者としての先導者たりえるとも思えるのである。政権の維持に汲々とする政治を思うと少し悲観的にならざるを得ないが、それでも、Reprogrammingが実現されることを期待してやまない。(平成24年10月20日 文責:管理人 )

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ジェームズ・ハンター著(高山祥子訳)

「サーバント・リーダー -権力ではない。権威を求めよ-」海と月社2012年5月

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 本日はリーダーシップ論のひとつ「サーバントリーダー」をとりあげる。神戸大学文学部の教授であった加藤一郎さんなどは、学部時代からこのような人間教育を教えるべきだというようなことを仰っておられたが、本書にあるサーバントリーダーは、従来のような経営のありかたの限界を克服する可能性のあるもののひとつであり、神戸大学の金井壽宏先生が資生堂の福原義春名誉会長との対談をまとめた本を出版して以来、私も大変興味を持っているテーマのひとつである。

 その前に、もう一冊、関連の本を紹介しておきたい。ケイ・アイバーソン「逆境を生き抜くリーダーシップ」で、原題は「PLANETALK」となっているが、「従業員を団結させ、競争力を高める」ための実践的リーダー論が展開されている。内容は倒産寸前の小規模な地方製鉄所(ニューコア社)を全米第二位の鉄鋼メーカーに成長させた経営者の話で、39歳の若き社長が鉄鋼不況時は自らの給与を極限まで減らし、労働者解雇と工場閉鎖なしに経営危機を乗り切ったという実話に基づく。(管理人注:ニューコア社の労働者の平均賃金は鉄鋼業界首位、しかしアイバーソン社長の給与はフォーチュン500社のCEOの中で最下位であった)神戸製鋼の水越元会長にも本書をお勧めしたが、ご本人も本書に感銘を受けられ、本書を関係者に推薦しているようである。

 さて、テキストの「サーバントリーダー」であるが、360万部も売れたベストセラーである。今の世の中、上からの権力や報酬だけでは人を動かすごとができなくなってきており、そのための解決策のひとつとして、表題にあるように「権力ではなく、権威がリーダーシップを発揮する上で大事で、そのためにもサーバントたれ」ということなのである。勿論、これは何も企業レベルだけのことではなく、国家レベルでも、中国や北朝鮮などの例を見るまでも無く、権力で国民を引っ張っていくことは困難になってきていることは皆様もお感じのはず。

 そういった上から押し付ける強制的な権力に変わって、あの人にならついて行きたいというリーダーの人格とその影響力により、組織の目標に向かって、自分の意志どおりと言ってよいのだろうが、自発的に組織のメンバーを動かせることができるというのが、本書の主張である。

 とは言え、本書では最高のサーバントはイエス・キリストであるとするなど、西欧人の精神主義がベースとなっていて、金井先生の著作、、、読書会ではかつて「サーバントリーダーシップ入門」という本をとりあげたこともあったが、、、金井先生の本に比べ、少しわかりづらかったところがあったかもしれない。

 大学の学長をお引き受けした頃、YMCAの今井さんに勧められて、ロータリークラブに入ったが、ロータリークラブの理念はまさにサーバント。例えば"Service Above Self"「超我の奉仕」や"One profits most who serves best"「最も良く奉仕する者、最も多く報いられる。」などがそうである。

 日本では江戸時代から職業奉仕という考え方が根強く、石田梅岩の心学や近江商人の三方良しなどの例をあげるまでもなく、広く実践されてきた。日本が非西欧で最初に経済発展を遂げたのは、これらの伝統的な精神、武士道、渋沢栄一の「論語と算盤」などの精神文化がその基礎となっていたことは間違いがない。ウェーバー流に言えば、単なる拝金主義では、資本主義社会は発展しないのである。 ところで、神戸都市問題研究所のメルマガにも書いているのだが、間違ってはならないのは、本当のサーバントは、利害関係者の欲求をみたし、その人達のやりたい放題に寄せてゆくだけではいけなく、人々のニーズを見極めて、この人達が人間としてよりよい状態になるように工夫することが大事であるという点。例えば顧客の思いつきのニーズを聞き取りするだけでは駄目で、そのニーズを深く掘り下げ、見えない真のニーズを見極め、それを実現するにはどうしたらよいか絶えず考えておく大事なのであって、単なるサーバントになれということではない。そして、よい奉仕者になろうと思えば、そのことを常日頃考えてゆくことが必要で、そうすれば、考えが行動になり、行動が習慣になり、習慣が人格になる可能性もあり、その人達はすぐれたサーバメント・リーダーになれるということである。

 神戸三中の出身で、ある病院の評議委員をご一緒させて頂いたこともあるアサヒビールの瀬戸雄三さん。日経新聞の私の履歴書が大変に話題となり、これが1冊の本となっている。本のタイトルは「月給取りになったらアカン」で、「リーダーは目標を達成するために組織の先頭に立って一番つらい仕事をする」という姿勢を貫かれ、アサヒビールを業界トップに押し上げられた。兵庫県立芸術文化センター管弦楽団の支援も頂いており、本当にお世話になっている。

 管理人注:新野先生は県立芸術文化センターの芸術監督佐渡裕さんが「楽団員の心を“must”(〜しなければならない)から“want”(〜したい)に変えるのが僕の役目」といったお話をされたことがあります。 

 低迷から抜けられない日本に加え、欧州危機や新興国の格差問題など、世界経済は大きな問題を抱えている。本書はその意味において、企業レベルの問題のみならず、リーダーシップの観点からそういった諸問題に一石を投じていると言えよう。そのためにも、自らの経験や知識、感覚を持って冷静に社会を見渡してみることが大切。付和雷同というのが一番悪い。

 付和雷同という意味で申し上げれば、最近のジャーナリズムは本当にひどい。例えば、反原発派による10万人デモを大きく報じたが、本当に大問題なのか?一体何を伝えたかったのか?よくわからない。大津の中学校のいじめ問題もしかり、学校、教育委員会、加害者と親など冷静な議論が必要なときに、突然、報道を過熱させ、どう解決していくべきかという視点は無く、中途半端な情報ばかりをセンセーショナルに報じる。混乱を煽っているとしか言いようが無い。

 私でさえ、、、と言えば少し言いすぎであるかもしれないが、本当にわからないことばかりである。最近、話題となっている質量の源である「ヒッグス粒子」の話は、いろいろ読んでも、やっぱり良くわからない。それでも、人の話に安易に乗るようなことがないよう、自分自身で問題を考え、ものごとを捉えていきたいと努力しているつもりである。全ての議論はアンサー・ベギング・クエスチョンの限界があるのであり、自分が同感できる論点だけでなく、異なる意見をいかに自分の中に取り込んでいくかということも重要である。

付和雷同の危険性は、あの戦時中よりも、戦後のメディアの発達もあり、現在のほうがより高まっているのではないかとさえ思える。 かつて米国ジャーナリズムの良心とも言われたウォルター・リップマンの著書『世論』は、現代におけるメディアの意義やあり方を説いた本として、ジャーナリズム論の古典として知られている。残念ながら、今の新聞記者の書く記事はリップマンが危険視したステレオタイプなものばかりで、記者はリップマンの著作さえ読んでいないと思えるほどである。そして、ステレオタイプのジャーナリズムと付和雷同する国民の関係は、現在の混乱に大きく拍車をかけている。

 少し横道にそれてしまったが、皆さんも「付和雷同」にならないよう、しっかり自分の考えを持って、自分に近いところで良いのでリーダーシップを発揮して頂くことが「良い生き方」ではないかと思う次第である。既に現役を引退されている方も多く、現役引退後の町内会でご活躍されているという話もあったが、皆さんの今所属されている組織の中で、自分がどう関わっていくべきか、なんらかのヒントになったとしたら幸いである。(平成24年7月21日、神戸都市問題研究所 文責:管理人)

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タイラー・コーエン著、若田部昌澄解説「大停滞」NTT出版2011年9月

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 皆さんも本屋に並んでいる本を手にとって見られたらお分かりの通り、それらの本が取り上げているのは、現状の日本を含む経済の諸問題を抽出、或いは、現行の政策を批評し、それをどう解決していくかということを主張しようとするが、勿論、アンサーベギング・クエスチョン的な限界があることは別にして、その大半は短期・中期の視点でものごとを捉えているものが殆どである。

 例えば、不況対策では、もはやケインズ式のやり方は駄目で、構造改革や緊縮財政を徹底しなければならないという強硬な主張がある一方、クルーグマンなどは、ケインズの有名な言葉である「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう。嵐の中にあって、経済学者が言えることが、ただ、嵐が遠く過ぎ去ればまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく無用である」『貨幣改革論』(1923)。」を引用し、今行うべきことは有効需要を創出し、失業対策を含む積極財政であるといったことが、最近のヘラルドトリビューン紙に掲載されている。特にスペインの失業率が25%、ギリシャも2割で、かつ、若者だけだと、その倍の失業率を抱えているような状況下で、緊縮財政をすることは、かつて失業者で溢れたドイツでナチスの台頭を許してしまった悪夢が蘇るという主張だ。フランスやギリシャの選挙ではこのような考え方が支持されたのである。

 しかしながら、これらの議論は現下のデフレをどう克服していくかという短・中期の議論であり、それはそれでしっかり議論をしなくてはいけないが、それだけではないことを知って頂きたく、本書をテキストに選んだのである。

 本書はもともと、電子書籍限定で発刊されたが、大変な反響を呼び、紙の本になったということのようであるが、その主張は大変にユニークである。即ち、現在の「大停滞」の根本原因を、第1章に議論が展開されているが、「容易に収穫できる果実は食べつくされた」ことにあると言う。そして、その「容易に収穫できる果実」として「無償の土地」、「イノベーション」、「未教育の賢い子どもたち」の3つを著者は例示している。濱田君は無償の土地は米国では成り立つが、日本では成立しない条件であると言っていたが、その通りである。分析は米国が中心となっていることは間違いないが、かつては、広い国土を手に入れたことで米国は農業や工業などの分野で極めて有利であった。しかし、将来について言えば「無償の土地」という好条件は期待できないことは間違いない。また、労働者というか、ここでは「未教育の賢い子どもたち」ということになるのだが、移民の国米国では先進国では珍しく人口は増加傾向にあるが、それでも、かつてのような好循環を今後期待できるかと問われればそうではない。

 本書では、3つの要因の内、特にイノベーションに力点が置かれているが、その前提となっているのが、ヒューブナーの研究(p40)で、1955年以降、世界のイノベーション件数(人口10億人あたり)は大きく低下しているという。しかし、そもそもイノベーションの件数と言っても、どれが重要なイノベーションか判定する作業自体、恣意的であると思われ、本来はこのヒューブナーの研究について十分な検証がなされなくてはならない。

 ところで、「容易に収穫できる果実」は本当に「無償の土地」「イノベーション」、「未教育の賢い子どもたち」の3つでよいのだろうか?1981年の神戸ポートピア博覧会が開催された年に、神戸にお越しになったボールディングは成長の原動力を「エネルギー」「資源」「ノウハウ」とし、エネルギーにも資源にも恵まれない日本が当時、世界に冠たる世界第二の経済大国となったことを高く評価し、特にこの3つの内、「ノウハウ」の重要性を強調したのである。尚、東日本大震災による福島の原発問題は、ボールディングの言う「エネルギー」に大きな制約を課すことは間違いない。

 さらに申し上げると、世界で最も早くから大停滞に陥っている日本が、そもそも、大停滞に陥った原因については、本書のアプローチで説明することは難しいだろう。勿論、戦後暫くして、日本では官民挙げて、世界から技術を導入し、様々な分野でイノベーションをもたらした。しかしながら、今や、新興国にキャッチアップされ、多くの分野で技術立国の地位を脅かされている。

 いずれにしても、大停滞を生み出したのが本当にこの3つの要因で良いのか、是非とも本書がとりあげているように長期的な視点で考えてみてもらいたい。

  第2章では生産性が停滞し、デフレが続いていることの主張を補強するために、「政府」、「医療」、「教育」の3部門をとりあげる。米国では、90年代半ば以降、統計の上では生産性が大幅に上昇しているが、そもそも市場原理が効かないこの3部門に対する支出が急成長したことが、見かけ上の生産性上昇の主な要因であるという主張がなされる。

 因みに米国ではサービス産業が80%を占め、生産性を捉える上でわかりにくい。また、第二次産業は空洞化していることもあり、寧ろ第一次産業の方が輸出を支えているという特徴を持っていることを付言しておく。

 また、意外に思われるかもしれないが、日本の教育は生産性という意味では世界のトップクラスである。これは、教育関連の支出を抑えており、教師の数も、その他の職員の数も大きく減らしてきたため、単純な計算の上ではGDP対比、極めて効率が良いということなる。一方、東京大学でさえも、大学院の定員を確保すべく、他大学の卒業生を増やしたところが、論文を指導する以前に補習をやらないといけない状況であるそうで、お世辞にも、日本の教育の生産性が向上したと言える状況ではないことは明白である。

 第3章では、IT産業を分析している。皆さんからも感想があった通り、本書では、IT産業をそれほど高く評価していない。勿論、グーグルやアップルの例を見るまでも無く、所得収支という意味では、IT産業は米国に大きな経常黒字をもたらしているのだが、この業界は雇用をそれほど生み出していないことや、価格を押し下げたり、実際の消費に結びつかないサービスも多いことなど、デフレを助長する側面があるというのがその言い分である。いずれにしても、インターネットは素晴らしいものだが、「容易に収穫できる果実」ではないと結論付けているのである。

 さて、出口はどこにあるのか?本書では政治的な対立を避け、科学者の地位向上(本書では名誉と金)に努めるべきだという。ここでは、世界に先駆けていち早く、停滞した日本が、その後大きな混乱も無く、低成長でもやっていけることを示したとして、本書では変な評価のされ方をしているが、もとより、日本に対する正当な分析とはなっていない。先日、日本銀行の幹部とお話しする機会があり、日銀の「成長性分野向け貸出」が順調で5.5兆円に増枠したことを強調しておられた。(成長分野の企業へ投融資する金融機関に対し、日銀が低金利(年0・1%)でお金を貸し、成長を後押しする融資制度。環境、農業、観光、雇用支援など18分野が対象で、貸付期間は最長4年。)しかし、今ひとつ重点が絞り込まれていないように思え、また、低利の融資制度だけで成果が現れるか疑問である旨、申し上げた。(銀行出身者より、一般融資が振り変わっただけで、あまり意味が無いと言った意見あり)

 円高解消が日本の低迷の主犯であると言った議論を展開するゼミ生があったが、もし、そういう主張をするとしたら、円高がなぜ起こり、また、円高によってそれぞれの分野にどのような形で影響が現れるのか、過去、幾度かこの問題を克服できたように円高を克服する手立てがないのか?或いは円高に影響しないものづくりは不可能なのかと言ったことなど、多方面から考えていかないとしっかりとした議論とならないだろう。

 最後に、読書会ではテキストをベースに、自分の考えをまとめ、それをどう説明するかロジックを用意しておく、そして読書会に臨む。すると、自分では思いつかなかった論点を誰かが提供してくれる。或いは、自分の考えていたことを、誰かがより突っ込んで議論を展開する、、、。自分では思いつかなかった発想や深められなかった論点を発見することに意味があり、そんなところを是非とも楽しんでもらいたい。(平成23年5月12日/文責:管理人)

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戸堂康之 著「日本経済の底力」中公新書2011年8月

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 今回のテキストの主題は東北大震災の復興のみならず、寧ろこれを契機に日本経済全体が浮上できないかということであり、そのために、一層のグローバル化の推進しTPPについても肯定的にとらえられるべきであるとする主張と経済特区を含む産業集積を創出すべきとする(まえがき?)。その意味では、わかりやすい主張がされており、今回のテキストを題材に、代表的な意見にテーマを選定して、皆が分かれて「討論」をやってもよかったかもしれない。とは言っても、今回読書会に21名という多くの参加を頂いており、討論するには、人数が多いかもしれないが、、、。とは言え、本日の読書会を通じて、自分の考え方はこうだが、他の人の意見のポイントや自分の気づかなかった論点などが汲み取れ、暗黙のうちに対話になっていたのではないかと思う。私の若い頃、たとえば朝日新聞なんかが後援してくれて、旧制高校、大学などで「A」か「B」に分かれて活発に討論会が開催されたものだ。討論を通じて、自分は何が言いたいのか、言いたいことがちゃんと言えているかなど、有意義な体験であった。 

 さて、日本経済浮上のポイントはグローバル化、あるいは産業集積の両面で「三人寄れば文殊の知恵」を発揮することで、これは、本書(p41)にもあるように、経済産業研究所の藤田昌久さん、彼は甲南大学の客員教授でもあったし、兵庫県立大学の評価委員としても活躍されており、私もよく存じ上げているが、この藤田さんの着想であり、著者は随分心酔しておられるようだ。但し、文殊の知恵と言っても、ただ単に集まるだけでは駄目で、現状はグローバルな問題のみならず、解決すべき問題が山積し、多様化している中、本書ではあまり触れられていないが、そのために何をなすべきか、どういう対話にするべきなのか、どうすれば文殊の知恵を引き出せるのかと言ったことがより重要だろう。

 本書では日本の底力ということがテーマであり、日本国内あるいは日本と海外の関係を分析するにとどまっている。しかし、海外に目を向けると、現下、世界経済は大変なピンチである。米国も日本と同じで、上院と下院において民主党と共和党の議席数の「ねじれ国会」の状況にあり、巨額の財政赤字に陥っていることから、オバマ大統領も思い切った経済刺激策を打つことが出来ない。かのクルーグマンは米国も欧州と同様に”ジャパナイズ“したなどと揶揄しているが、失業率は9%程度と高止まり、さらに格差問題からご存知の若者を中心としたデモも頻発している。勿論、混乱のお膝元である欧州も深刻、ギリシャに加え、イタリア、スペインへ問題は波及し、フランスまでもが格下げという重大な局面を迎えている。唯一安定しているドイツも下手に譲歩すると、自国の格付けにまで悪影響を与えるだろうから、ドイツも動きづらいところである。

 比較的成長率が高い中国も難しい局面にある。成長の原動力であった欧米への輸出にブレーキがかかっている上、インフレ懸念から内需対策もとりにくい環境にある。石平さんの「中国人がタブーにする中国経済の真実」(福島香織との共著・PHP)には、そんな中国社会の矛盾が書かれており、無責任に夜逃げする経営者などの実態など、生々しく触れられている。極めつけは「厚黒学」で、読んで字のごとく「厚かましく腹黒いことを正当化し推奨する学問(李宗吾1879〜1943が提唱)で、この本が、孔子を生み、四書五経の国である中国で売れに売れているらしい。

 日本では正式の学校制度も無かった時代においても、「実語経」、これは千年も前からある教科書であるらしく、空海が始めたというのは、少々あやしいが、古くから寺子屋などで、この「実語経」や論語を題材にして、読み書きなどの知識と、何よりも人の道を教えてきたのである。

 さて、本書では単に震災からの復興というのではなく、震災を契機として復興を超えた飛躍的成長をもたらす必要があるとするが(p?)、元神戸大学教授の室崎益輝さんも、復興は未来につながるものではなくてはならず、住宅の復旧のみならず、人口が減少している地域というハンディを克服し産業を育てなければならないといった主張をされている。

 一方、グローバル化、TTPに関してはどう考えるべきだろうか。ご意見も多かったが、TPPに参加するかしないかという単純な二元論では駄目で、日本が孤立主義をとるという選択がないという前提で、その上で、TPPに起因する問題をどう克服し、解決すべきかという具体的な議論がなされなければならないし、特に後日、中国が協定に入ってくることを前提に、戦略的に、長期的に考える必要がある。そのためにも政治家がしっかりしなければならないが、新聞などのマスコミも個別の問題を大きく取り上げ、議論を混乱させるばかりで、その報道ぶりは日本の将来にとって責任感や一貫性など無いのではないか。政治家は確かにお粗末なのかもしれないが、単なるアンケート調査で首相が選ばれるというおかしな状況をつくってしまった新聞などの姿勢にも問題がありと考えるべきであろう。

 財政問題にしても、日本の抱える問題は皆さんがお感じの通り、極めて根深い。ギリシャで起こったような問題は日本においても起こりえるし、起こるとすれば、突然起こるだろう。政治家も国民も、これ以上無責任な問題先送りは許されない。その意味では今回の震災がその契機となるのかもしれない。御厨貴さんが書かれた 『「戦後」が終わり、「災後」の始まる』では、今回の震災の規模もさることながら、天災と人災の複合したかたちであったことで、今後、この震災が今後の発展の鍵、即ち日本人の共通体験となるという視点を提供する。そして、本書のタイトルにあるとおり、戦後は終わり、漸く新しい「災後」という新しい社会が生まれると言った議論を展開する。確かに復興とそれに続く飛躍のためには共通体験は不可欠かもしれない。阪神大震災の時には、淀川を渡った東岸は別世界で、大阪の有名ホテルでは、震災当日は勿論、事態がどんな状況であるか明らかになった翌日であっても結婚式が行われたのである。阪神大震災はあれだけの被害を出したが、残念ながら、今申し上げた「災後」という新しい局面にならなかったのである。(平成24年1月21日 文責:管理人)