中央市場の役割「はじめに」


オフィシャルな意味での「中央市場の役割」については、こちらを見てください。
また、築地の荷受会社「6社」のホームページにも、あります。「魚のリンクのページ」へどうぞ!
中央市場と呼ばれるものは、全国で56ヶ所あります。そして、その中でも、魚の生産地にあるものを産地市場(代表的なところは、長崎・福岡・金沢・札幌など)、大都市にあるものを消費地市場(東京築地・大阪・京都・名古屋など)と言っています。しかし、これは厳密に区別されているわけではありません。札幌などは、産地市場でありながら、消費地市場でもあるのです。卸売市場リンク集
京都の中央市場の鮮魚の入荷を見てみますと
  • 近海物 30%程度  養殖物 30%程度  輸入物 30%程度
となっています。詳細は「京都に入荷する魚と産地・漁期」を見てください。
近海魚がだんだん減少し、輸入魚が増加しているのが現状です。
京都市場に入荷する魚は、高級品が多いです。そのため、単純に相場の比較をすると、大阪市場より10%程度高値です。
これは、京都には高級料理屋さんが多く、良い魚が売れるという性格を持っているためです。その点、大阪はスーパーが多く、大衆的な価格の魚がよく売れると言うことがあり、小さめの魚や少しランクの低い魚が集まるのです。
別のところにも書いていますが、富山県氷見港の著名な出荷業者の方は、「京都には一級品を出す。」と明言されておりましたから、産地としても「京都は良いものを出さなければいけない。」という姿勢が貫徹しているのです。(良いものを出せば高く売れる=儲かるという事もあったようです。)
私は、約7年ほど、京都の中央市場に「買い付け」に通っています。ここでのいろいろな経験から感じている、「独断的」な「中央市場の役割」を書いていきます。
論旨が通らない部分や誤解等があれば、私の未熟のなすところ故、ご容赦をお願いいたします。

京都の中央市場は、今年70周年。日本一歴史のある中央市場です。
そして、京都という街は、古くからの伝統を持っており、その伝統を守るという意味では保守的なところの多い街です。(政治的には革新が強いのですが。)
そのため、昔からの慣習やしきたりが、良い意味でも悪い意味でも、受け継がれてきています。

他の大都市の市場がが、積極的に量販店対応をしていくなかで、京都はあまり大型店が無かったこともあり、量販店対応に無関心でした。(と、私は思っています。)

大型店規制が無くなり、昨年から「大型量販店の出店ラッシュ」という状況になって、魚の小売店が続々と廃業していくという状態を迎えています。
進出してきている大型店の多くが、魚を京都から仕入れず、大阪北部やその他の市場から仕入れるため、京都市場の荷扱い量が減少するという状況が起こっています。

このままでは、「京都は駄目になる。」という認識は、多くの市場人のなかに存在しており、対策を模索しておられます。

京都中央市場のある仲卸会社のポリシー
1、流通機構の一員としての使命
2、仲卸として、営利会社としての生存競争
3、京都市民に対する義務(商品の供給)
4、食文化の継承

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上記は、ある仲卸業者の役員さんがおっしゃられた事です。
私は、これに対する論評の権利を持っていません。
特に、3番、4番について、多くの仲卸さんが努力しておられます。敬意を表したいと思います。

市場の長老の話を聴きました。
下の文章は、その「聞き書き」ですが、正しく聴いて書いているかどうか、必ずしも保証できません。
もし、間違ったことを書いている場合は、ごめんなさい。ご指摘頂いたら修正いたします。
塩干の仲買さんで、森商店というお店があります。

ここの社長さんは特攻隊上がりで、あの水戸黄門をやっていた俳優の西村晃と、特攻隊で一緒だったという人です。
この方に、京都中央市場の歴史をいろいろ教えて頂きました。
森さんは、昭和21年から京都中央市場で仕事をされています。ちょうど、50年になるといいます。
なんと、私が生まれる前から、ここの市場で働いておられたのです。まさに、「生き字引」のような人です。

京都中央市場の前身?は、3つの「問屋街」のようなものに分けられると言います。
一つは、今の錦筋にあった問屋街
一つは、四条大宮のあたりにあった問屋街
もう一つは、五条大橋のあたりに会った問屋街
これらの、3つの問屋街を集約し統合したのが、今の京都中央市場の始まりのようです。

なお、青果物の方では、「鳥羽*」という屋号の仲買さんが多いですが、
これは、鳥羽の方に、野菜の野市があったからで、そこの出身の方が仲買さんをしておられるという事です。

昔は、仲買さんの数は今の3分の1くらいだったそうです。
「暖簾分け」のような形で、番頭さんなどが独立され、今のような件数になったということです。

ここまで、1997年7月に書きました。  つづく

ここから下の文章は、2002年2月に書いたものです。
昨年の3月下旬に、水産関係から足を洗い、IT関連の仕事をやっています。
個人的には、依然としてfishmlの主催者をやっていますので、全く水産界から離れたわけでもないのです。市場にも、ちょいちょい顔を出しています。
京都魚市が大水に吸収され(表向きは合併だが、実質は吸収だと誰もが思ってます。)、歴史のある京都の会社が無くなってしまいました。私個人にとっては、ずっと昔、叔父が京都魚市副社長をしていたという関係もあり、なんか寂しい思いがしています。
会社自体はあるわけですが、大阪資本が入って来たわけだから、もう「京都の会社」とは言えなくなったわけですよね。まだ名前は「京都魚市」ですが、そのうち「大水京都支社」に変わるでしょうしね。
京都には他地方の市場と違った、京都の独特のものがあります。それは守ってほしいものです。
量販店が日の出の勢いの頃、日本全国の荷受会社が「量販店対応」を重要な方針として実践してきましたね。実際には、量販店では儲からなくても、とにかく量を売ってくれるのだから無視できなくて、赤字覚悟での納入はザラに行われていたようです。物流センターや加工センターなどもいっぱい作ってますよね。量販店の多くが「左前」になってきた現在、この時の遺産はどうなっているのでしょうか?ちょうど「失われた10年」と言われる時期に市場に通っていたものとしては、時代の流れの速さに、ただ驚くばかりですが、原則は変わらないはずです。市場は、消費者のためにあるのです。

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