長崎坂づくし   稲佐地区の坂    


坂の名前
別名
町 名
場所と名前の由来
稲佐国際墓地の坂  曙町悟真寺(ごしんじ)の稲佐(いなさ)国際墓地の中央の坂。
悟真寺は、キリシタンの町長崎に慶長3年1598年最初に復興した寺院で、現存する長崎の寺院では最古である。 また悟真寺は、豪族・伊奈佐治郎太夫の居館の跡といわれ、稲佐の地名の発祥地である。
後に興福,崇福,福済の唐寺が建つまでは、悟真寺が長崎在留唐人の菩提寺であったので、中国墓地が3分の2を占めている。
またロシア極東艦隊が日露戦争までの50年間、冬季の10月〜3月頃まで長崎に滞在し、稲佐が滞在地となったので、ロシア墓地もある。
上の坂
(かみのさか)
 入船町 バス停「飽の浦(あくのうら)公園前」、十八銀行と親和銀行の間を上っていく坂道。
地形的な発想から付けられたと思われる。
<御船蔵町の小森好孝様と、秋月町の藤井勢次様より>
コンクリート坂 稲佐町・光町 稲佐橋を西に行った、(株)システック井上 前から稲佐児童公園北側までの直線の坂。
今はこの坂を上っていって、中間から左に曲がる道がバス道になっていますが、戦前はこのコンクリート坂がメイン道路でした。早くに コンクリート舗装された坂でした。
<稲佐町の水野初美様(大正11年生まれ)より>
すうじ坂 稲佐町稲佐小学校運動場下から三菱造船製材工場(今の北社会保険事務所)へ降りる坂。
付近のお酒屋さんやお米屋さん、年輩の方にお尋ねしましたが、ご存じありませんでした。今ではもう使われていないようです。
<長崎文化No.41(特集長崎の坂)より 山川 勝さん>
つばき坂 稲佐町稲佐小学校正門より渕神社裏門へ下る坂道。
つばき坂の途中にある食料品の久松商店さんのお話では、昔は石畳の情緒のある坂だったそうです(今はアスファルト)。
この坂を下った所に橋があり、片方には昭和三年三月架、もう一方には「つばきたにはし」と書かれています。長崎文化No.41に、山野辺としをさんが書かれていますが、大正の頃は坂にそった土手にたくさんの椿があったそうです。
椿坂、椿谷 とても良い名前ですから、いつまでも残って欲しいと思います。
<長崎文化No.41(特集長崎の坂)より 山野辺としを さん>
変電所の坂 飽の浦町
(あくのうら)
「飽の浦バス停」手前から「九電飽の浦変電所」に上がる坂。
傾斜が約35度と言われている(本当は18度)長崎で一番急な坂道です。長さが180メートルもあります。
車が通れる坂としては間違いなく急坂のNO.1です。
この坂は、九州電力(株)が変電所用として建設した私道ですが、付近の住人にも利用されております。


長崎中心部の坂 (ヘフリ坂、六角道、けんか坂)

東山手と南山手、小島周辺の坂 (オランダ坂、ドンドン坂)

長崎街道(蛍茶屋から東長崎)の坂 (はらきり坂、日見の七曲がり)

浦上周辺と時津街道の坂 (打坂、永井坂、力馬坂)


坂に関する雑学 「休み石」 対州馬 ほか

坂の想い出

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