Moon Talk
ー3ー






 朝食後、荷物をまとめて早々にチェックアウトした私たちは、愛ちゃんの家に向かった。
 途中、忽然と現 れた硫黄山を見たり、碧く、神秘的な輝きを湛えた摩周湖に立ち寄ったりしながら、昼過ぎには目的地に辿り着いた。
 久しぶりに 会った愛ちゃんは、少し顔色が悪そうに見えるのが気になったのだけれど、それよりも私を見て驚いている様子の方が先に立ってしまう。
「麻衣ちゃん、だったの・・・」
「え・・・あの、翔くんから、聞いてない、の?」
 意外な顔を見た、という表情の愛ちゃんを 前に、私はにわかに不安になって翔くんを振り返った。
「ああ・・・麻衣が行く、とは言ってなかったんだ。ただ、『彼女を連れて行 く』とだけ言っておいたもんだから・・・」
 翔くんが珍しくテレくさそうに髪をかき回す。彼女、だとはっきりさせる為の手段だっ たのかと、とりあえず胸を撫で下ろした。でも、改まって『彼女』だなんて言われると私もテレてしまいそう。
「まぁ、らしいと言 えばらしいわね、麻衣ちゃんなら。従兄妹同士なら結婚も出来るし」
「あれ?姉さん、聞いてないのか?お袋から」
「え?何を ?」
 ああ、そうか。愛ちゃんは知らないんだ、私のこと。
「あのね、愛ちゃん。私、本当は養女なの。だから、本当はね、愛 ちゃんとも、従姉妹でも、何でもなくて・・・」
「えっ・・・そうなの?」
 私と翔くんが一緒に頷く。
「詳しいことはまた話す けど、とにかく、そういうことだから。戸籍上は間違いなく従姉妹同士だし」
「・・・ん。判ったわ」
 にっこりと微笑みあう姉弟 の様子に安堵して。それから私は表情を少し険しくした。
「ところで、愛ちゃん。最近、身体の調子はどう?だるいとか、やたら眠 いとか、めまいがするとか、胃がむかつくとか、ない?」
「え?そ、そんな、こと・・・」
「・・・麻衣」
 突然の私の質問に、 愛ちゃんは勿論、翔くんも戸惑いを見せた。でも、そんなことに構ってはいられない。だって、もしかしたら、愛ちゃんは・・・・・。
「ねえ、愛ちゃん、もしかして遅れてない?あれ」
「えっ・・・あ・・・!!」
「麻衣・・・それって」
 翔くんが私の言いたいことを 察して愛ちゃんを見つめる。彼女は頬を桜色に染めて、少し俯きかげんになった。
「そう言えば・・・毎日バタバタしていて忘れてたけ ど、遅れてる、わね」
 やっぱりそうか。だろうと思ったの。何だか、今日の愛ちゃん、凄くだるそうで、いつもの彼女らしくない ような気がしたから。
「病院に行って確かめた方がいいよ。後で翔くん、連れて行ってあげて」
「ああ。姉さん、今日は、 義兄さんは?」
「うん、昨日は泊まりだったんだけど、今日は翔たちが来るって判ってるから、そこそこに帰ってくるとは思うんだ けど」
「じゃあ、とりあえず夕診が始まる頃に病院に行こう。義兄さんにはメモでも置いとけば大丈夫だろうし」
「ありがとう、 翔」
 それから、お茶をご馳走になりながら、望ちゃんと遊んだり、愛ちゃんの家事を手伝ったりしながら午後の時間を過ごした。
 1歳7ヶ月の望ちゃんは、片言で上手に喋りながらあれこれ遊ぶ。相手をしているうちに、私を気に入ってくれたのか「まーたん」と呼 んでくれるようになった。その言い方が何とも愛らしくて、私の頬はゆるゆるだった。
 現在の私があるのは、愛ちゃんと望ちゃんの お陰、と言ってもいいくらいだから、望ちゃんを見ているととても不思議な気がする。
 とても大切な、愛しい女の子。
 それは、 両親である愛ちゃんや由樹さんは勿論のこと、翔くんにとっても同じらしく、彼にしては珍しいくらい表情が崩れてる。そんな翔くんを見 るのも新鮮な発見で楽しい。
 そうこうしているうちに夕刻になり、病院に向けて出発しようかという頃、愛ちゃんが私にそっと耳打 ちしてきた。
「あのね、少し、出血してるみたいなの。大丈夫、かな・・・」
「ほんと?多い?」
「ううん、そうでもないんだけ ど・・・」
「うん、とにかく行こう。ちゃんと診てもらわないと」
 翔くんの運転で病院に着くと、受付で状態を話し、すぐにでも診 てもらえることになった。診察室へ向かおうとする愛ちゃんと私の側で、翔くんはさっと望ちゃんを抱き上げる。
「望は俺がみてるから、 麻衣は姉さんについててやってくれ」
 そう言うと、外へ行ってしまった。確かに、翔くんが付き添うより、私の方がいい気はする。
 一通りの診察が終わると、医師の前に座る愛ちゃんの側で私も一緒に結果を聞く。
「妊娠7週の半ばですね。切迫流産だから、暫く入院 して様子を見る方がいいでしょう」
 医師かこう告げる。私は予想していた答えだったけど、愛ちゃんにとっては「入院」という言葉がシ ョックだったようだ。
「あの、上に娘がいるので入院はちょっと・・・」
「先生、おおよその入院期間はどのくらいでしょうか」
  愛ちゃんの後ろから私が聞いた。多分、今の私の顔は助産婦としてのそれだと思う。医師は多少眉を動かして驚いた風だったけど、とりあえず 答えてくれた。
「まぁ、早ければ2、3日。だいたい1週間から10日、というところでしょう」
「・・・そんなに?」
 愛ちゃん はあまりの答えに驚愕してしまったようだ。でも、私は至って冷静だった。ここらへんは職業柄、だよね。
「判りました。よろしくお願い します」
 愛ちゃんに代わって、医師に頭を下げた。
「麻衣ちゃん!?」
 勝手に答えてしまった私に、愛ちゃんの非難が飛ぶ。
 愛ちゃんが言いたいことは尤もだと思うけど、折角芽生えた生命を大事にして欲しい。助産婦としても、愛ちゃんを慕う妹分としても。
「望ちゃんのことは何とかするから。入院しても、流れてしまうかもしれないけど、助かるものなら助かって欲しいもの。愛ちゃんはそうじゃ ないの?望ちゃんの弟か妹、由樹さんとの大事な生命でしょ?今は愛ちゃんしか守れないんだよ?・・・違う?」
「麻衣ちゃん・・・」
「と にかく、今日と明日は私と翔くんでみるから。その後は由樹さんと相談して、退院するなり、望ちゃんを預けるなり考えればいいでしょう?2 日間だけでも入院して、安静を取ってよ。ね?」
 私の気持ちを解ってくれたのか、愛ちゃんは小さく頷いた。




 それから、愛ちゃんはそのまま病室へ、私は翔くんに入院のことを告げ、望ちゃんを伴って一旦北原家に帰り、愛ちゃんに指示された荷物を 作って、望ちゃんにご飯を食べさせた。その間に、翔くんに荷物を届けてもらおうと思っていた矢先に、由樹さんが帰ってきてくれた。
「始 めまして」の挨拶もそこそこに、手早く事情を説明して、病院へは由樹さんに行ってもらうことにした。
 きっと、愛ちゃんが1番会いたい人 の筈だから。
 べそをかきかけている望ちゃんを抱っこしながら、翔くんと2人で由樹さんの車を見送った。
「麻衣、お疲れさん」
 車が見えなくなってから本格的に泣き出した望ちゃんをあやしながら、翔くんがそっと言ってくれた。
「ううん、私は何もしてないよ・・・きっ と、職業意識が働いちゃったのね、愛ちゃんに説教じみたこと言うなんて・・・愛ちゃん、怒ってないかな」
 私が言ったこと、したこと、思い 返せばあまりにも偉そうでちょっと恥ずかしい。
「大丈夫だよ。それより、助かるといいな」
「・・・うん」
 望ちゃんは泣きつかれて うつらうつらし始めている。時折、思い出したように泣き出すところが何とも可笑しくて、可愛い。
 暫くそのまま抱いていて、ある程度寝入 ってから布団に寝かせた。頬に涙の跡がくっきりと浮かんでいる。
 やっぱり、母親って、特別な存在なんだよね・・・こんなに小さくてもしっか りと解っている。
 無理矢理引き離してしまったみたいで胸の奥がぎゅーっと痛くなったけれど、この望ちゃんの涙のためにも、愛ちゃんの中の 小さな生命が無事育つよう、祈りたいと思った。






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