Moon Talk
ー2ー






 慌ただしい日々が過ぎていく間に梅雨は終わり、きつく照りつける太陽が空で威張っている夏になった。
 私の休暇願いも通り、8月、 予定通り私と翔くんは北海道にやってきた。
「北海道でも暑いんだ・・・」
「当たり前だろ、夏なんだから。ま、京都みたいな蒸し暑さは ないし、朝晩は涼しいけどな」
 確かに、爽やかな暑さ、って感じがする。緑がとても眩しくて、気持ちがいい。
 空港でレンタカーを 借りて、私たちは出発した。天気が良いので、予定通りのコースを辿って、屈斜路湖畔のホテルに着いたのは午後4時頃だった。広くて、美しい 北海道の姿に、私はすっかり魅せられていた。
 ホテルの様子も気に入った。部屋はそう広くはないけれど、白地に青い小花模様の生地でカ ーテンもベッドカバーも、壁紙までもが統一された可愛い感じで、窓からは湖も見える。
「・・・気に入った?麻衣」
「うん、とっても」
「そりゃあ良かった。・・・食事にはまだ早いし、散歩でもするか?」
 荷物を置いてひと休みしてから、翔くんが言った。
「うん、 行く」
 ホテルの裏庭が湖に隣接しているらしく、貸しボートなんかも置いてあった。その近くにあったベンチに腰を下ろすと、私たちは暫 く黙って湖を見つめた。
 木々の緑の中で、空が茜に染まり、湖がラベンダー色へと変っていくまで、私たちはそこにいた。
 湖とその 周辺の緑、そして遠くの山々を見つめる翔くんの瞳はとても穏やかで優しい。彼が、この風景を、自然を愛していることがよく判る。
 私も、 ごく自然に微笑んでしまうくらい、美しくてやさしい風景だもの。心が、落ち着く。
 辺りが薄い闇に包まれ始めた頃、ようやく私たちは立 ち上がった。
 レストランで食事をした後、少しだけ売店に寄って土産物を見た。
 なんだか、すぐに部屋に戻るのが恥ずかしかったか ら。
「あ、これ、可愛い」
 私はそこで、キタキツネの飾りのついたフォトスタンドを見つけた。木のぬくもりが伝わってきそうな、綺 麗なものだ。
「それ、買うか?プレゼントするよ」
「いいの?翔くん」
「それくらいはお安い御用さ」
 翔くんは笑顔でそれを 買ってくれた。私は「ありがとう」を言うと、大事にそれを受け取った。
 もう、何もすることがなくなって、私たちは部屋へ向かった。
 ドキドキドキ・・・・・私の胸が早鐘を打つ。しーんと静まり返っている廊下に響き渡るんじゃないかと思う程、大きな音が出ているような感じがす る。翔くんに聞こえなきゃいいけど。
 つき合い出して2年。初デートで初体験、をした割に、私たちの間にはまだ片手で足りるほどの体験し かない。お互いに忙しくてゆっくりしたデートが数える程しかないせいでもあるし、やっぱり、翔くんが私を大事にしてくれているせいでもある と思う。そして、私の両親に対する遠慮、もあるのかもしれない。
 なんてことを考えてたら部屋に着いてしまった。私のドキドキが一層速 くなる。
 翔くんが扉を開けて、私に入るよう促す。顔が赤くなってなきゃいいけど、と思いつつ、ゆっくりと足を踏み入れた。
「どうし た?麻衣。何か、まずいことでもあったのか?」
 私の動作のぎこちなさに気づいた翔くんが、ちょっと心配そうに私の顔を覗き込む。
「べ、別に・・・何でもないよ」
 あー、もう、心臓が爆発しそう。私、今ものすごく焦ってる。
「・・・何もないって顔か?・・・ま、いいか。 深くは追及しないでおくよ。俺、先にシャワー浴びるな」
 私の頭をぽんぽんと軽く叩いて、翔くんはバスルームに消えた。
 はあーっ と大きな溜息をついて、私はベッドに腰かけた。
 きっと、翔くんには見抜かれている。私がこんなにも緊張している訳。別に、イヤってい う訳じゃないけど、やっぱり、テレてしまう。初めて、って訳じゃないのにね。
 やがて、翔くんが白いバスローブ姿で出て来た。濡れた髪 を拭いているところを見ていたら、カーッと頬が熱くなっていくような感覚に捕われる。
「麻衣も入ってこいよ。さっぱりするぞ」
「う、 うん」
 逃げるようにバスルームに滑り込むと、生暖かい空気に包まれて、それだけでのぼせそうになってしまう。それでも、しっかり髪ま で洗って、のろのろとパジャマをつけてそこを出た。冷房の効いた部屋が心地よい。
 翔くんは窓際の椅子に座って外を見ていた。
「麻 衣」
 笑顔で私を手招きして、翔くんはまた視線を外に戻す。
「ほら、見てみろよ。・・・月が綺麗だ」
 言われて、私も外を見る。淡 い闇の中に、傾きかけた、まだ円くない月が柔らかい光を放っている。
「ほんとだ・・・綺麗・・・」
 清らかな輝きを持つそれを、私たちは 暫く無言で見つめていた。
 そうしているうちに、ごく自然に、私の中の張り詰めたような緊張感が冷えていく。
「・・・静かだな」
「・・・うん」
 小さく答えた私の言葉を合図のように、翔くんはそっと立ち上がり、枕元のスタンンド以外の灯りを全て消した。
 また、 ドキドキが始まっちゃったけど、さっきほどひどくはない。
「・・・おいで」
 手を握って、翔くんは私をベッド脇へと誘い、そのままそ っと抱きしめた。
「今夜だけ、だから・・・」
 耳元で翔くんが囁く。彼の胸に凭れかかったままで、私は小さく頷いた。
 唇が重なり、 そのままでベッドに倒れこむ。
 後はもう、夢見心地で・・・・・身体の奥が燃え上がるような不思議な感覚を覚えながら、私はいつの間にか眠り についていた。




 翌朝早くに目が覚めて、まだ眠っている翔くんを起こさないようにベッドから抜け出してシャワーを浴び、着替えた。
 窓の外は白く輝 く光に満たされ、緑が鮮やかに映し出されている。昨夜、月を眺めた椅子に座って、今朝は眩しい緑の景色を眺めた。
 木立の後ろの湖面の蒼 がよく映えて、深みを醸し出す。
 美しくて、力強くて、神聖な雰囲気を合わせ持つ自然の姿に、私は感嘆の溜息をつく。ここにも、生命が溢 れている。
「おはよう・・・早いな、麻衣」
「・・・おはよう、翔くん」
 ベッドの上の翔くんに挨拶だけすると、私はまた窓の外に視線を 戻す。なんとなく気恥ずかしくて、じっと彼を見つめるなんて出来そうになかったから。
 暫くして、シャワーを浴びて着替えた翔くんが窓際 にやってきた。そして、眩しそうに外を見る。
「今日もいい天気だな。最高の景色だ」
「うん」
 私たちはそこでやっと顔を見合わせ て、ニッコリした。






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