Moon Talk





 助産婦として働き出して4ヶ月。
 季節は梅雨明けを待つ雨の頃。紫陽花の花は色あせ始め、少しずつ夏が近づいてくる。
 翔くんは最後の追い込みで忙しく、私の方も 夜勤がある為に、ここのところはすれ違いの日々。
 正直なところ、顔すら見られないのはちょっと寂しい。でも、それも仕方のないこと。去年まで、都合がつかないのは私の方 だったんだもの。少しくらいは我慢しなくちゃ・・・
 と、頭ではしっかり解っているものの、やっぱり溜息をついてしまうこの頃だ。



 そんなある日の夕方、勤務を終えてロッカールームから出た私を、笑顔の翔くんが迎えてくれた。
「・・・翔くん」
「御苦労さん、麻衣。ちょっと、話があるんだけど」
「話?」
 私たちは病院を出て、車で20分くらい走った後、喫茶店に入った。
 当然の如く向かい合って座る。こんな風に真正面からゆっくりと翔くんの顔を見るのは本当に久しぶりで、 なんだかテレてしまう。
 それで、ついつい俯き加減でいたのだけれど、翔くんが気になって、上目使いに前を見た。じっと私を見ていた彼と目があって、私はドキッとし、彼はニコッと微笑んだ。
「なんだよ、そんなに俯いて。久しぶりなんだからゆっくり顔を見せてくれたっていいじゃないか」
「だって・・・何だか恥ずかしいんだもん」
「なんだ?それ。顔見て話すのなんて、いつも のことだろ?それとも、麻衣は俺の顔見ないで話してたのか?」
「そんな・・・事、ない」
「だろ?・・・ほら、顔、上げて」
 その時、頼んだコーヒーが運ばれてきて、私は自然に顔を上げた。 翔くんと目が合って、またまたドキッとする。
 どうしたんだろう。何だか、恋しはじめたばかりの頃みたい。暫く顔も見られなかったことがこんな気持ちにさせているのかな、なんて思った。
「あ・・・そうだ、翔くん、話って、なに?」
 ドキドキが止まらないのを隠すように、私は笑みを浮かべながら聞いた。
 翔くんの顔は一瞬動揺したかのように見えたけど、次の瞬間にはいつもの 落ち着いた表情に戻っていた。
「うん、実は・・・8月の初めに、姉さんの所へ行ってこようかと思うんだ。・・・で、麻衣も一緒に行かないか?」
「愛ちゃんの所って・・・北海道に?」
「ああ。休み、 取れないかな?」
「う、ん・・・休めない事はないと思うけど・・・でも、私、いいの?」
 翔くんがわざわざ愛ちゃんを訪ねて行くなんて、何か特別な理由があるんじゃないかと、私は思った。
  この前愛ちゃんに会ったのは、望ちゃんが生まれた時だから、もうおおかた1年半は会ってないけど・・・久しぶりに会いたい、とかじゃなくて、きっと、別の理由があるんじゃないのかな。とても大切な相 談がある、とか。翔くんにとって、愛ちゃんはお姉さんだというだけじゃなくて、ある意味お母さん的な存在でもあるらしいし。
 もし、そうだとしたら、私がのこのこ付いて行ってもいいのかな?
 そんな私の心の中を感じ取ってくれたのか、翔くんはちょっとだけテレ笑いをした。
「いや、別に、特別何かがあるって訳じゃない。ただ、俺、姉さんにまだ言ってないんだ、麻衣とのこと。だから、 1度きちんと言っておきたいって思って・・・それに、ここのところすれ違いばっかだったろ?ちょっとな、麻衣とゆっくりいたいな、なんて思ってさ」
「翔くん・・・」
 私と翔くんがつきあってること、 私が佐藤の両親の本当の娘ではないことを知っている人たちは少数だもんね・・・。おじいちゃんの自分史の本を読んだことのある人なら、私が実は養女だってことは知ってるだろうけど、でも、戸籍上は間違 いなく『いとこ』なんだし、『いとこ』同士は結婚出来るけど、やっぱり近い血は危険にも近いから、誉められたことじゃないって思っている身内も多いし。ここら辺は、医療に携わる身内が多いせいもある んだろうけど。
 ともかく、私が養女だってことをいちいち説明するのも面倒だし、血が繋がってなくても、私は佐藤の両親の娘であることに変わりはないから、あまり堂々とつきあってること、言えず にきてるところはあるから、愛ちゃんにも話せてないのはある意味当然だと思う。
 でも、愛ちゃんにだけはちゃんと話しておきたいって言ってくれた翔くんの気持ちが、私にはとても嬉しかった。それ って、私のこと、凄く大事にしてくれてるってことだもの。
「・・・どうかな。やっぱ、駄目か?」
「ううん、行きたい。愛ちゃんにも会いたいし、それに望ちゃんと由樹さんにも」
 私の返事を聞 くと、翔くんは安堵の溜息を漏らした。
「予定は3泊4日。そのうち2泊は姉さんの所に泊めてもらおうと思ってるけど、最初の1泊は麻衣のリクエストを聞くよ。どっか、行ってみたい場所ってあるか?」
「え・・・えーと、そう、ねえ・・・ありきたりだけど、摩周湖、とか・・・」
 急に言われてもすぐには思いつかない。私が北海道に行ったのはまだ随分と小さかった頃で、記憶にはないから、今度が初めて だと言ってもいいくらい。だから、何があるのかとかもロクに覚えていなかったり、する。
「摩周湖なら、姉さん家からでも行けるぞ?」
「そうなの?」
「ああ、そんなに遠くないから。・・・・・そう だな、それじゃあ・・・」
 翔くんは持ってきていた鞄から道路地図を取り出して見せてくれた。
「ここら辺が姉さん家。ほら、摩周湖はここ。・・・だから、飛行機で女満別へ降りて、網走へ行ってオホー ツク海を見て、美幌峠を通って屈斜路湖畔で泊まろうか。確か、ここら辺りに結構感じのいいホテルがあるって聞いたことがあるから」
 泊まる、という言葉を聞いて、私は改めてドキッとした。そうだよ ね、旅行に行こうって言ってるんだもん、翔くんと2人で泊まったって、当たり前、なんだけど・・・。
「・・・そんな感じでいいかな?麻衣」
「あ・・・う、うん、それでいいよ」
「どうした?何か、まず いことでも?」
「ううん、そんなことないよ。それより、ちゃんとお休み取らなくちゃ、ね」
「ああ。・・・あ、伯父さんと伯母さんにはちゃんと話すから、許可が出たら、になるけどな」
 翔くんは そう言って冷めかけたコーヒーを飲み干した。




 この後、私は家まで送ってもらった。丁度お父さんが帰ってたから、翔くんは早速旅行の話を両親に話して、許可をもらった。
 こういうとこ、翔くんはきっちりしてる。嘘をついて2人で出かける、 なんてことはしない。幼い頃から優等生で通っていることも手伝ってか、きちんとしてるということで逆に信頼されてるみたい。
 自室のベッドにごろん、と寝そべってぼんやりと天井を眺めた。
 な んとなく蒸し暑くて、空気がねっとりと纏わりついてくるような気がする。不快感はあるけれど、何だか動く気になれなくて、そのまま目を閉じた。
 翔くんとの旅行はこれで2度目になる。この前は去年 の春。助産科へ進む前の休みに、白浜のサファリパークへ行ったっけ。咲き始めの桜と、満開の菜の花と蒼い海。とても綺麗だったなぁ・・・。
 今回は夏の北海道。翔くんが、13才まで住んでいた町に、愛 ちゃんたち一家は暮らしている。
 行きたい、と思うけど、翔くんと2人で、というのが何だか・・・。
 嬉しいけれど恥ずかしい、なんて、変かな?





TOP   NEXT