◆パペット◆第9回 by日向 霄 page 2/3
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老人の勧めてくれた熱いお茶に生唾を飲みながら、しかしムトーは玄関口に佇んだまま、警戒心を解くことができない。トラップに落ちたというのならここはレベル6でなければならない。上位レベルに戻るトラップもあるが、しかしレベル4にこんな畑が広がるなどという話は聞いたことがない。いや、そもそもどのレベルにだってこんな畑が存在しているはずはないのだ。
そう、こんな光景があり得るのはもはや子供でも見向きもしない安っぽいおとぎ話の中だけだ。まばゆすぎる黄金の小麦畑、天使のような子供達、いかにも長老然とした老人……。これが夢なら、自分の想像力のあまりの貧困さに苦笑したくなる。
「そんなことより、とにかく座ってこのお茶を飲んだらどうかね。毒など入っておらんぞ」
老人の言葉に促されたというより、取り囲むようにして自分の行動を見守っている子供達の視線に耐えかねたと言った方がいいだろう。ムトーはテーブルについた。
ほどよい熱さと甘さのそのお茶をゆっくり飲むには努力がいった。忘れていた空腹と渇きがいっぺんに甦って、胃の腑がもっとよこせと激しく主張する。努めて平静を装い、注意を怠るまいと気を張るムトーの理性を裏切って、胃の腑は自分の意見を音にして表明した。
聞きつけた子供達がクスクス笑うのへ向けて、老人が一言食事の用意を言いつける。
「ああ、ユウリ、おまえはそこの薬箱を。手当してさしあげなさい」
ムトーの辞退などおかまいなしに、ユウリと呼ばれた少女は甲斐甲斐しくムトーの肩の傷の消毒を始める。
その様子を黙って見つめている老人に向かって、ムトーは問うた。
「何も、お訊きにならないのですね」
「何か訊いてほしいのかね?」
「居心地が悪いんですよ。私ばかりが何も知らず、あなた方は何もかもご承知であられるようで」
老人は薄く笑った。
「何を承知する必要があるのかね。おまえさんが腹を空かした怪我人であるということの他に、まだわしが承知しておかねばならんことがあるのか?」
たとえばそれは、ムトーの名であり身分であり、どのようにしてここへ来て、どこへ行こうとしているかということだった。つまり、ムトーが訊かれたがっていたことは。
自分が何者であるのかということが全く気にされない―――それがこんなにも落ち着かないものだとは。公安特捜部の大尉であることを鼻にかけるつもりはさらさらない。一万リールのかかったお尋ね者であることなどなおさらだ。しかし、地位も身分も、名前すら剥がされ、むきだしの個として他人と相対するのは―――少なくともこの老人と対峙するのは、おそろしく心細いことだった。老人が何者であるのかこちらは知りたくてうずうずしているのに、老人の方はこちらのことを知る要もないと泰然と構えているのだから。
「私の名はジャン=ジャック=ムトー。今はただのお尋ね者です。ここがレベル6なら有り難いんですが。人を、捜しているもので」
問われないのなら、勝手に名乗るより他ない。名乗って、果たして老人がどう出るか。
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