◆パペット◆第9回 by日向 霄 page 3/3
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老人の瞳に躍る、挑みかかるような笑み。思わずムトーは息を飲む。
「と言ったところで、どのみち信じはしまい? ここはおまえさんの思い描くレベル6とは似ても似つかん。おそらく、おまえさんの知るどのレベルとも」
「まさか、ここはレベル7だとでも―――?」
その時、奥から運ばれてきた物の食欲をそそる匂いが、ムトーの気を殺いだ。
「どうぞ」
「召し上がれ」
子供達にせかされ、老人にはうなずき一つで促されて、ムトーは渋々といった体(てい)でスプーンを手にとる。もちろん、胃の腑はさっきからイライラして待っている。
粗末な食事だった。スープとパンと、干し肉にチーズ。スープに浮かんでいるのは野菜の切れ端だけだし、パンは固くてパサパサしている。しかしもちろんそう思うのはわずかな理性ばかりで、肉体はパン屑一つ残すまいと食料を貪った。
「食べる物と眠る場所さえあれば、ここがどこであろうとかまうまいが? レベル6だの何だの、名前をつけ、区別をして、人はそれを把握した気になり、一方で、その名前に足をとられ、肝心なところを見誤る。『犬』という名の生き物は、なるほど頭のいい生き物だ。だがすべての犬が一様に頭が良く、人間の命令に素直に従うわけではない。レベル1に住むのが本当に第一級の人間か、レベル5や6には本当に犯罪者しか住まんのか? その目で見たこともない者が、名前だけで判断する。だからわしは、ここに、この場所に名前をつけようとは思わんのさ」
ではやはりここは―――。
「レベルという名でくくりたいのなら、ここは確かにレベル6なのさ。レベル5の下だからな。ここがどこだかわかって落ち着いたかね、ジャン=ジャック=ムトーさんとやら」
嘲弄するような老人の口調に、しかしムトーは不思議と怒りを覚えない。そう、そもそもその『名』を疑うことから始まったのだ。ジョアン=ガラバーニという名が存在するからといって、ジョアン=ガラバーニという人物が存在するとは限らない。自分が名前を知らないからと言って、どのレベルにも属さない新しい空間が存在しないとどうして言えよう。
「いや、よけいに混乱してきましたよ。なるほどここはこの通りの場所で、地上からの深さで言えばレベル6に相当するところなのでしょう。しかしそうであるなら一体……」
一体どのようにしてそれが可能だというのか。レベル6の深さに、何故青空が広がり、花が咲き乱れるのだ? 地上でさえ既に喪われた風景。人工的に作り出すには、あまりにも金のかかる世界。シンジケートだけが空間を押し広げ、そこに至る扉が作り出せるとされる深さで、どうすればこのような異質な世界を創造し、維持していくことができるのか。シンジケートが何故そんなことを許すのか。
ムトーの耳元で、誰かがそっと囁く。
シンジケートという名に、だまされてはならない。
「シンジケートが、犯罪ばかりを後押しするとは限らない、と、そういうことですか」
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