アマ小説家の作品

◆パペット◆第3回 by日向 霄 page 2/3
 目を閉じたまま、ジュリアンは言った。
「誉めすぎよ。あたしのことなんか、何も知らないくせに」
「教えてくれ。消えてしまわないうちに」
「消えるわけないじゃない、馬鹿ね。ここは、レベル6は、みんなが思ってるほどひどい所じゃないわ。あたしも来るまではどんな怖ろしい所かと思ってたけど。あたしね、もとはレベル3にいたの。一応は”市民”だったのよ。でも父が、反政府主義者の烙印を押されて、それで、父と一緒にここまで逃げてきたの。怖かったわ。レベル5やレベル6で生きていけるのかって、父を恨んだ。でもついて来るしかなかった。政治犯の家族って、けっこうひどい目に会わされるのよ。母は父に愛想をつかして地上へ出て行ったけど、無事に生き延びているかどうか―――。
 でも、レベル6に来て驚いたわ。だって普通の街なんだもの。そりゃ通路は迷路だし、家は穴ぐら、まるで蟻の巣だけど、むしろレベル5よりずっと人間らしいの。生活感があるっていうのかしら。市場もあればちょっとした学校まである。子供達が迷路のような通路で笑いながら遊んでるのを見た時は本当に驚いたわ。一体どうなってるんだろうって。あたしがさっき、どうやって生計を立ててると思うって訊いた時、あなた失礼なこと言ったけど、でも無理ないわよね。若い娘が一人でレベル6で生きていくなんて、体でも売らなきゃ不可能だって、誰だって思うわよね。でもそれが違うの。あたし、先生をやってるのよ。子供達に読み書きを教える先生。あたしは子供達がお礼に持ってきてくれる食べ物で生きてるの。親がお金を持ってきてくれる時もあるわ。本当に―――
 ジュリアン?」
 安らかな寝息が聞こえていた。
 良かったと思う反面、少し物足りない気もした。
 聞いていてほしかったのに。
 こんなふうに自分のことを話したのは何年ぶりだろう。いくらレベル6が予想以上に住み良い場所だといっても、そう簡単に友達ができるわけもない。頼りの父は、レベル6に来てすぐ行方不明になってしまった。出かけると行ったきり―――。あれはもう、半年も前のことになるだろうか。
 閉ざされた蟻の巣の中で、いつも不安だった。一体これからどうなるのか。どうやって生きていけばいいのか。レベル6が地上で思われているほどの無法地帯でないことはわかったけれど、でもだからと言ってここで生きていく覚悟などおいそれとはつかない。
 一人でこの部屋に座っていると、たまらなく不安になって、物言わぬ壁を相手に一人芝居を演じたこともある。眠れぬ夜を、どれほど過ごしたことか。
 だから見捨てられなかった。
 ううん、それどころか、あたしはたぶん、喜んで手を差し伸べたのだ。この人ならひょっとして、と、そう思って。
 家に帰ると、世話を焼かなければならない誰かが待っていて、『おかえり』と笑って迎えてくれる。そんな生活に憧れてた。もうずっと昔から。レベル3の粗末な家で、父と母が怒鳴りあっている声に耳をふさいで、小さくなっていた昔から。
 あたしは、嬉々としてこの人の手当をしたのじゃなかったかしら。
 この人があたしに銃をつきつけて、そしてあたしの部屋で倒れて、こうしてあたしのベッドに眠っているのはただの偶然なんかじゃない。
 そう、もしかすると。
 これはあたしが作り出した夢。ジュリアンは夢の中の人なのかもしれない。こんなに善良な殺し屋が現実にいるとは思えない。こんなに綺麗な顔の殺し屋が。
 マリエラは彼の額にかかる髪にそっと手を触れた。柔らかな髪。こうして見ると、まるでお人形さんみたい。昔、あたしもお人形を持っていたっけ。名前は確か………。
 ジュリアンの寝顔を見ているうちに、マリエラもまたいつしか眠りに落ちていった。
 ジュリアンはマリエラを幻と思い、マリエラもまたジュリアンを夢と思い、つかのま二人は満ち足りて、ジュリアンが追われているという事実を忘れていた。
 それは事実だった。ジュリアンの首に賞金がかかっているということは。
 目を醒ましたのは、ジュリアンが先だった。
 傍らにマリエラの寝顔があり、そして扉の外に、何かがあった。
 何かが弾けて、けたたましい婆さんのわめき声に変じた。
「マリエラ、マリエラ、ここをお開け!」


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