◆パペット◆第21回 by日向 霄 page 2/3
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画面が切り替わった。
豪勢なVIPルームの片隅で、陰気な顔をした男がグラスを手に虚空を睨みつけている。
ムトーだ。
その映像が現在ただ今のものであるという証拠はない。たとえそれが今であっても、数分後にはムトーは消されているのかもしれない。
「話してやるよ、全部」
ジュリアンは微笑んだ。再び画面に戻ってきたチェンバレンの顔が、あからさまな期待の色を浮かべて息を呑む。
「俺は記憶喪失なんだ。自分がジュリアン=バレルという名で、何かしら人殺しをしてきた人間だってことはわかる。わかると言っても、それも怪しいもんだけど。ムトーはひょっとして、それさえ誰かに刷り込まれた記憶かもしれないと思ってる。できれば俺もそうあってほしい。俺が誰の命令で動いてたのか、知りたいのはこの俺の方なんだ。さぁ、これで全部」
もちろんチェンバレンはそんな話を信じなかった。人はみな、自分の信じたいことしか信じない。奴の求める真実は、俺の求めるそれとは違う。
険悪な表情で『一時間だけ時間をやる』と言うチェンバレンに、ジュリアンは答えた。
「いいことを教えてやるよ。もし俺の役目がまだ終わっていなくて、どこの誰とも知れぬ黒幕さんとやらが俺をまだ必要としているとしたら、きっと俺を助けに来るはずだ。今までもそうだった。一時間なんてけちなこと言わないで、まぁ一日ぐらいは待ってみた方がいいと思うけどね」
チェンバレンはしかし、『一時間だ!』と言い捨てて通話を打ち切った。
別に確信していたわけではない。ここへ連れて来られるまでは、チェンバレンこそが救いの主だと思っていたのだ。既に市民達が“狼”の生還を知ってしまった今、一体自分にどれほどの利用価値が残っているのか。
『逃げ続けろ』
何者かの声が、脳裡にこだまする。
それが俺を操っている糸なら、逃げないことが俺の意志になる。逃げずにさっさと殺されてしまうこと。『おまえはよくやった。これからは好きなように生きるといい』と誰も言ってくれないのだとしたら。誰も『おまえは無実だ。マリエラのもとへ帰れ』と言ってくれないのなら。
『生きて!』
今度の声は、はっきりしていた。
『生きて帰ってきて、ジュリアン!』
マリエラだ。マリエラの声が、マリエラの姿が、ジュリアンの心を満たす。あたたかくて、せつない感情。これだけが、自分が自分である証なのだと思う。どれほどの糸が巻きついていようと、よしんば彼女との出逢いすらもが仕組まれたものであろうと――もしそうなら俺はそれをした奴に感謝する――、この想いだけは俺のものなんだ。
『そうよ、ジュリアン。あなたが誰であろうと、私はあなたを愛してる。だから生きて! 私と一緒に!』
まるで、すぐそばにマリエラがいるかのように。
まるで、マリエラの優しい腕に抱かれているかのように。
大統領官邸の一室、その広い空間にたった一人で刑の執行を待ちながら、しかしジュリアンは幸福だった。
マリエラ、俺はいつだって君と一緒に生きてるんだ。どこにいても。たとえ二度と逢えなくても。
ジュリアンは目を閉じ、しばしそのあたたかい感覚に身を任せた。子ども達とともに笑っているマリエラが見える。抜けるような青空の下に広がる黄金の麦畑。目を細め、見守っている老人。ムトーが慣れぬ手つきで刈り取った穂を束ねている。冷やかす俺の手つきも十分に危なっかしくて……。
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