コラム

社員の化学日記 −第149話 「感謝」−

「あの頃は、まだ堺筋に市電が走っていた…。」

弊社の取締役でもあった超ベテラン社員のS氏が、この11月20日付で嘱託勤務の期間も含めて60年間の勤務を終えられた。 このS氏が勤務し始めた頃を振り返った際の言葉である。

大阪市電(大阪市営電気鉄道)は、大阪市交通局が運営する大阪市営の路面電車で、1903年(明治36年)開業の花園橋−築港桟橋間、5.1kmの築港線を第一期線として第四期銭まで、最盛期は118km弱の日本有数の市電(東京都電に次いで日本第2位)であったとのこと。

市電堺筋線は、大阪市内を南北に走る幹線道路の1つである堺筋(府道102号恵美須南森町線)に2番目の市電路線として1912年に誕生、市内の幹線市電路線として市民に親しまれた。

1950年代後半からの高度経済成長期に入ると、乗用車普及や道路渋滞の常態化により乗客が減少、大阪市議会は1966年3月、市電を全廃しすでに一部開業していた高速鉄道(地下鉄)による新交通体系を確立する旨の決議を行った。

市電堺筋線は1966年(昭和41年)3月31日を最後に長柄橋から阿倍野橋までの全線で廃止され、大阪市電は1969年(昭和44年)3月31日限りで65年半の歴史を終えた。

大阪市営地下鉄は、1933年に日本初の公営地下鉄として御堂筋線(正式名称「高速電気軌道第1号線」)の梅田−心斎橋間が開業したのを始まりとして、1942年に同3号線(四つ橋線)、1961年に同4号線(中央線)が開業していた。

1969年12月に同6号線として開業した地下鉄堺筋線は、今も通勤の足となってくれているが、2018年(平成30年)3月末をもって84年続いた公営地下鉄として営業を終了し、同年4月1日、大阪市高速電気軌道株式会社 (Osaka Metro) へ事業譲渡、民営化がなされた。

今年の10月で弊社は前身である合同生薬株式会社設立から丸80年を迎えたが、S氏はその3/4の期間を勤務され、現場の総監督として未熟な我々の指導にあたってくださった。 また、取引先の方々からは正に「生き字引」として抜群の信頼を受け、三津和化学の「顔」であり、我々にとっては上司であり、何でも知っている師であった。

S氏と始めてお会いしたのは二十数年前、自分は前職(専門学校専任講師)時代であったが、その頃S氏はまだ五十代後半で若々しく動いておられたのを覚えている。 その後、前職を退職して三津和化学に入社、20年近くの間指導していただいた。

数年前から「もう少しで辞めるから」と予告はされていたが、我々が余程頼りなく、自分の退職後が心配であったのであろう。 体力的な問題も考慮し、出勤時間をずらすなどしてそのまま勤務され、我々も可能な限りS氏に負担をかけないような勤務体制を心掛けていたが、今年の夏は特に猛暑による体力消耗が激しく、嘱託契約が切れる11月での退職を決意されたとのこと。

S氏が築き上げてきた60年の実績を引き継いでいかなければならないと考えると身が引き締まる思いだが、今は「感謝」の二文字をS氏に贈るのみである。

【道修町博士(ペンネーム)】

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