仏塔のお話-1 

 「塔」とは古代インドの「ストゥーパ」が中国での音読みで「卒塔婆
(そとば)」、「塔婆」 、
「塔」と略されて変わっていきました。ただ、
我が国で仏塔といえば接地面積の割には
大変高い建造物をイメージいたしますがインドの
ストゥーパとは饅頭型の円墳であっ
て高さも低く
我が国での古墳時代の円墳のようであります。 
 塔といえば舎利塔を表しましたが現在では電波塔、鉄塔、太陽の塔など多くの塔が
出来ておりますのでここでは仏教的な塔を「仏塔」と表現いたしますが「塔婆」もよく使
われております。それと、重と層とは同じ意味ですが使い分けをされております。
三重塔と表現いたしますが三層塔とは言わないのと高層建築と言いますが高重建築と
は言わないのも同じです。しかし、使っては駄目ということではありません。それか
ら、階とは各層に床のある場合の表現ですが床が無くても階が使われております。

インド


         ストゥーパ(サーンチー第一塔・北塔門)   

 「サーンチー第一塔」は仏塔の源流で昨年までは伏鉢の表面が黒ずんで汚れておりま
したが化粧直しが終わり(2007)、朝日に輝く幻想的な塔に生まれ変わりました。
 
偉大な仏陀を象徴する神聖なストゥーパだけに高さ70mの丘の頂上に設置されてお
ります。
 ストゥーパを礼拝する繞道に設けられた階段は南側のみで、現在は北側が正面です
が当初は南側が正面だったことでしょう。我が国の古代寺院は一部の例外を除いて正
面が南向きですが鎌倉時代になると浄土系寺院では浄土の思想で東向きとなります。
 ストゥーパの塔内は密封されていて立ち入ることはできず実用的な建造物ではあり
ません。 
 
 
現在、東西南北の4塔門にぎっしりと釈迦に関する物語が刻まれておりますが特に
北側の塔門には優れた彫刻が残っております。塔門の素材である硬い石に精緻な彫刻
を刻みこんだエネルギーには驚かせられます。汚れていた彫刻もきれいになりました。 
 塔頂にはかすかに平頭と傘蓋が覗いております。

 「仏陀の生涯」をご参照ください。


   ストゥーパ(サーンチー第二塔)


  ストゥーパ(サーンチー第三塔)

 「サーンチー第二塔」は伏鉢の上が欠失
しておりしかも塔門もありません。
 塔内には「高僧の舎利」を納めた舎利容
器が安置されていたとのことです。
 第一塔と第三塔は隣接しておりますが
第二塔は少しだけ離れて存在します。

 「サーンチー第三塔」は南塔門のみ
があることから第一塔も同じく当初
は南塔門が正門だったことでしょう。
 塔内には「十大弟子の舎利」を納め
た舎利容器が安置されていたとのこ
とです。 

 
     ダーメーク仏塔

 「ダーメーク仏塔」はインド最大のストゥ
ーパだと言われております。基壇の直径は
28m、高さは43.6mを誇り、伏鉢鼓胴部は
石積みで2段の円筒形となっております。
 8カ所の仏龕(青矢印)には仏像が残って
おりません。 

 ダーメーク仏塔は仏教の四大聖地の一つ
「サルナート」にあり仏陀が梵天勧請により
最初に説法された場所として著名です。
 鹿の園ということですが鹿の数は少なく
奈良公園の鹿の比ではないです。 


    アジャンター第10窟

   
     アジャンター第26窟

  「アジャンター第10窟のストゥーパ」は紀元前の造立だけにシンプルなスタイルで
す。2段の基壇上に半球状の伏鉢を置きその上に平頭、当然あった筈の傘蓋が欠落し
ております。初期の特徴である装飾彫刻、装飾画、仏像などは一切刻まれておりませ
ん。このストゥーパは上座部仏教(小乗仏教)時代の塔と言えるでしょう。

 「アジャンター第26窟のストゥーパ」は舎利崇拝から仏像崇拝に変わる時期に造営さ
れたのでしょう。基壇に龕を設けその龕の中に仏陀坐像を安置して舎利の代わりに仏
像を納めた仏像舎利となる過渡期のものでしょう。
 高い円筒形の基壇となったため伏鉢が上に押し上げられました。半球状から円球状
に近づいた伏鉢には男女の飛天などの装飾彫刻が施されております。伏鉢に彫刻を入
れることはストゥーパが装飾的建造物に変わりつつあるということでしょう。
 石窟内は奥が円形となっております。

   
     アジャンター第19窟


    エローラ第10窟

 「アジャンター第19窟」は高い基壇上に円球状の伏鉢となりしかも平頭と傘蓋が一体
化しております。
 仏像を祀った基壇部分が上へ上へと高くなり伏鉢は仏像の天蓋のようになっており
ストゥーパから仏像に主体性が移っております。
 我が国の仏塔の伏鉢は半球状でインドの古代のしきたりを踏襲しておりますがその
伏鉢は高層塔の屋根上にぽつんと乗っております。

 「エローラ第10窟」は大きな仏龕で基壇が見えません。塔の前に仏龕を設け脇侍を従
えた仏像を安置しております。
 仏龕はストゥーパから前に張り出た状態で構築されており仏像とストゥーパとは各
々独立したものという考えでしょう。傘蓋は欠失しております

 

     
      現物ですが合成写真


 模作(タキシラ博物館)

 パキスタンの「モラモラドゥ」の仏塔です。
 円形の基壇と仏像が刻まれた四重基壇の五重基壇の上に伏鉢、平頭、七個の傘蓋が
ありますが傘蓋が一際目立っております。相輪と仏像を祀る基壇とが同格に扱われて
いるように見えますが実際にガンダーラにはこのような仏塔が存在したのでしょうか。
 多重基壇で各重に仏像があるのは中国式仏塔の原形でしょうか。ただ、傘蓋が高く
なっており我が国でも見られる仏塔に近いですが中国、韓国の相輪は相対的に低いで
す。それと、中国、韓国ともに傘蓋の数は決まっていないようです。 

 

ミャンマ

 「ミャンマ」には昔々に行きましたが適当な写真
はありませんでした。
 上座部仏教では極楽往生できるのは僧侶のみで
あるのに在家の信者までが来世には極楽へ行ける
ことを願っているようです。その願いを叶えるた
め最高の供養である仏塔、仏像を金色に保つよう
にと収入の多くを寄進しております。
 インドのストゥーパと違って相輪の先が鋭く尖
っているのが特徴といえます。なお、ストゥーパ
のことをミャンマでは「パコダ」と言います。

 ガイド活動で記載しましたように法隆寺に興味を抱き法隆寺について調べると当時
の仏教伝道のルート・インド、中国、韓国についても調べてみたい衝動にかられ韓国、
中国を訪れましたが法隆寺ボランティアガイドを実施したため東南アジア訪問はお休
みとなりました。それと、韓国、中国を訪れた際はホームページの作成など考えてお
りませんでしたので仏塔の適当な写真がありません。今後中国、韓国を訪れて鮮明な
写真と入れ替えをする積りです。

 

 

中 国 

 「中国」では楼閣建築の上にインドのストゥーパを揚げたのが仏塔の始まりだと言わ
れております。楼とは2階以上の高層建築のことです。しかしながら、我が国の古代
の鐘楼は2階建てですが鎌倉以降には柱だけの建物となりますが呼び名は鐘楼を維持
しております。閣とは四方が見通せる建築構造を言います。

 
       銀 閣 寺

 我が国で人が階上に上がることが出来
る現存最古の楼閣建築と言えば「銀閣寺」
です。この楼閣建築にインドのストゥー
パである相輪が載って中国式層塔が考案
されましたが実際の中国の楼閣は階数の
多い高層建築です。 
 唐代までは方形の楼閣建築が流行いた
しました。
 中国式仏塔は当初、銀閣寺のような木
造建築でしたが火災で焼失することを避
けるため木造塔から塼塔(レンガ塔)に変
わっていきました。それで、中国には現
在、多くの塼塔が残っております。
 

 古代から伝わる神仙思想すなわち、高い場所には神が宿る思想から高い所へ登り天
と交わることによって不老長寿のご利益を期待した影響で高層建築が建立されました。
その高層の楼閣建築の頂部に「承露盤」という容器を設置して天から授けられた「露」を
集めました。その集められた露は「
甘露」と言いそれと飲むと不老長寿のご利益がある
ということでした。
インドでは釈迦誕生の際龍が釈迦の灌水に甘露を使用したと言わ
れております。その流れをくんで我が国でも釈迦の誕生を祝う4月8日の灌仏会には
生まれたばかりの釈迦像に甘茶を注ぎます。この承露盤が傘蓋と似ていたので傘蓋を
露盤と呼んでいたのがいつの間にか最下部の四角い露盤のみを露盤と呼ぶようになり
ました。ということは、承露盤がインドのストゥーパと入れ替わったことになります。
それと、ガンダーラでは高い基壇のストゥーパがありますのでそれが中国に伝来して
高層の楼閣建築の応用となったのでしょう。 


   慈恩寺大雁塔


  香積寺善導塔

    永祚寺双塔

 中国の仏塔は各階が独立しておりその階毎に仏像を祀り礼拝されていたことから考
えますと金堂と塔が一緒になった仏堂的仏塔といえます。それと中国では見張り台的
な要素を兼ね備えておりこの考えは我が国の仏塔とは大きく違います。
 
 時代を経ると四角、六角、八角、十六角の仏塔が出来ておりますが我が国では八角
の仏塔で残っているのは後述の「安楽寺三重塔」だけであり我が国で八角と言えば
「法隆寺夢殿」などの八角円堂が思い浮かびます。八角円堂は個人を祀る仏殿ですので
仏塔と同じ性格の建物といえるのではないでしょうか。 

 「慈恩寺大雁塔(じおんじだいがんとう)」は塼造、四角七層で逞しい姿です。
この大雁塔は玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典などを収蔵するために建立されま
した。階段で最上階まで登れ西安の町が眺望出来ます。

 「香積寺(こうしゃくじ)善導塔」は四角十一層ですが創建当初は十三層だったと言わ
れております。唐時代の建築です。 

 「永祚寺」ですが私は遠望しただけで建物についての知識は持ち合わせておりません。
文字通り2つの塔があることから通称「双塔寺」とも言われます。
 慈恩寺大雁塔、香積寺善導塔は層塔ですが後述の「談山寺十三重塔」のような塔を
「簷塔(えんとう)」といい2階以上の階高を低くくして屋根(庇・軒)を重ねただけの塔
のことです。永祚寺塔は13層の簷塔かと思いましたが、高さが53mもあり、最上階の
13層からは太原の町が一望することができるらしいので簷塔ではなく層塔です。  
 簷塔の写真は持ち合わせておりませんのでいずれかの時期に撮影して参ります。      

談山神社十三重塔 


  十三重塔(談山神社)

 多武峰(とうのみね)・「談山神社」は有名な
「藤原鎌足」の菩提寺だった「妙樂寺」がもとでした。
 屋根の桧皮葺が約40年ぶり(2007.11)に葺き替
えられきれいにお化粧直しをし、亭々とそびえる
「十三重塔」となっております。

 この仏塔は多檐塔(たえんとう)といわれるもの
で初重の軒(軸部)は高いのに二層以上の軒高が低
い構造形式でまるで軒(屋根)が積み重なったよう
に見えます。簷とは庇のことです。石塔を見本と
したのでしょうか。
 九輪の輪が7個と異例です。
 
 塔の全景写真の撮影場所はここしかありません
が現在後ろに見えます「権殿」が修築中のため背景
が工事足場となり華麗な十三重塔の撮影は今しば
らく無理です。

  

 

韓 国 

  
     定林寺跡五層石塔 

 韓国も中国と同じく古代の木造塔は残って
おりません。ですから、これからの韓国の仏
塔は石塔のみの紹介となります。

 「定林寺跡五層石塔」は高さ8.33mで、屋蓋
石が深く我が国の木造塔に似ており特に
「法隆寺五重塔」に近いと言われております。
 初重は長方形の花崗岩で構成されており高
いので目立ちます。材料の石が垂直方向に組
まれておりますのは天へ天への上昇志向を表
したものでしょうか。それとも、この組み合
わせの方が見栄えが良かったからでしょうか。

  「仏国寺」には東に「多宝塔」、西に「釈迦塔」が並んで
立っております。
 多宝塔の素材は花崗岩という硬質の石材で、高欄な
ど複雑な構造の石塔をよくぞ仕上げられたものだと感
動すら覚えます。このような精巧極まりない石塔を造
ることが出来たのは道具もさることながら高い技術力
を持った素晴らしい工人が居たからでしょう。
 方形の台座上に下から方形、八角形、円形の組物、
八角形の屋根さらに相輪が乗っております。後述の我
が国の多宝塔の下層が方形、上層が円形というイメー
ジと合いますが塔の持つ意味は違うことでしょう。
 我が国では良質の木材が入手出来ますので石塔は少
ないです。それに比べ韓国では木材といえば松の木が
ほとんどです。


     多 宝 塔(仏国寺)

   
     釈 迦 塔(仏国寺)

 

 「釈迦塔」は屋根の出が石塔らしく少なく
なっております。多宝塔に比べ簡素ですが
直線的な構造で男性的な趣きがあり両塔の
対比は見事としか言いようがありません。
 材質は花崗岩の二層基壇です。我が国で
の二層基壇は飛鳥時代の特徴で「法隆寺の
金堂、五重塔」の基壇がそうです。
 塔身は三層で相輪の数は少ないです。 
 「東大寺の大仏開眼供養」の752年に建立
されたそうです。

 

 「感恩寺双塔」は三層石塔で双塔は
約30m離れて立っております。
 相輪は破損欠失して鉄竿が差されて
おりました。
 双塔以外の堂舎は見当たりませんで
した。
 後述の我が国の双塔伽藍「薬師寺」の
モデルではないかと言われております。

 

       双 塔(感恩寺)


        芬皇寺石塔

 


    狛 犬


        仁 王 像

 「芬皇寺(ふんこうじ)石塔」は
634年に創建された四天王寺式伽藍
の塔で、石組の積壇上に安山岩を塼
築のように積み上げています。現在
は三層でありますが当初の層高は七
層とも九層とも言われております。
 現存最古の石塔と言われている貴
重な仏塔です。
 基壇の四隅には狛犬(石獅子)をお
き、第一層塔身の四面には龕室があ
りその石扉の左右には花崗岩に仁王

像を彫刻して嵌めてあります。
 「狛犬」ですが狛犬の源流はインドの獅子でありますが高麗(こま)から我が国に伝わ
ったとき犬のように見えたので高麗犬と呼ばれました。それではなぜ、高麗犬が狛犬
となったのかについては地名の高麗は狛とも表示されたからだという説と我が国での
狛犬は当初、白色の犬で制作されたので白に獣偏を付けて狛犬となったという説もあ
ります。


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