仏像ー藤原時代
「藤原時代」の時代区分を、「遣唐使廃止」の894(寛平六)年から「平家滅亡」の1185 前代の弘仁・貞観時代の「素木像」から、再び仏像の肌の色が、儀軌に忠実な金色に輝
前代、仏像制作の主流だった「薬師如来像」に取って代わって、「阿弥陀如来像」が多く 今まで「天神」さんは「雷」だったのが、臣下出身の菅原道真が天神さんに成り代わりま
寄木造、「割矧(わりはぎ)造」の技法を可能としたのは木目が整っていて縦に真っ直ぐ
藤原時代の約300年間、仏像の国風化と言うべき「定朝様」の様式が続き、なにやら 数多く造り出された
「寺院、仏像」は、その後「応仁の乱」などの内乱で焼失いたしました。定朝の作品が平等院の「阿弥陀如来像」しか残っていないことが物語るように当時、
「仏師」は天平時代は官の位を受けましたが、藤原時代の仏師は有力寺院に属していま 作者名は前代まで控えて表面に出てこなかったのが「定朝」のように進んで名前を公に |
聖 徳 太 子 像 (法隆寺) |
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道 詮 律 師 像 (法隆寺) |
薬師如来坐像 (法隆寺) |
釈迦如来坐像 (法隆寺) |
持国天像 (浄瑠璃寺) |
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阿弥陀如来坐像 (浄瑠璃寺) |
地蔵菩薩立像(法隆寺) |
迷企羅像 (興福寺) |
「法隆寺地蔵菩薩立像」は地蔵菩薩像では現存最古の像で、時代は浄土信仰によって極 |
吉祥天像 (法隆寺) |
毘沙門天像 (法隆寺) |
「法隆寺吉祥天像」は遣唐使廃止の伴う国風化の流れで藤原貴族の趣向を取り入れ、典 |
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画 中 西 雅 子 |